【完結】カエルレア探偵事務所《中》 〜アクビスの里〜

千鶴

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無念

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 「ゔおおおおおおおっっっ!!!」


 膝から崩れ落ち、血走った眼球を震わせて苦痛を叫ぶ。そうして自身の腐敗を庇うように身体を丸めた。


「き、…………貴様っ!!」
「神の核ってへその上辺りって言ったよね。その辺で合ってた?」
 
 マウトが伸ばした手は、空を切る。
 廊下に並ぶ水槽のポンプ音が、マウトの気持ちを逆撫でするようにブーンと響いていた。
 
「おのれ小娘っ、うぅ……くそぉぉおお!!」

“逃すか”
“許さない”
“ユルサナイ”

 ユルサナ————

 
 

 
 
「うわっ!」
 
 マウトから自身を庇うように両手でガードした遥は、肌に突き刺さる寒さを感じて手を下ろした。
 
「ちょっと翔太! 今タイミングかなり危なくなかった? マウトの手がもうすぐそこまで来てたんだけど!」
「そんなことないっす。絶妙、ってやつっすね」
「……まったく。俺はいまだに夢ん中な気分だよ」
 
 遥たちはアクビスの里の外れ、林の中に居た。翔太の瞬間移動で酔った九条は、顔をしかめて胸をトントン叩く。
 
「先輩には毎度驚かされます。まさか、マウトを刺すとは思わなかった」
 
 あの時。遥は右足を一歩出して踏ん張ったあと、上げた左手を思い切り下ろした勢いそのまま、背後のマウトまでペン先を到達させた。
 
「死んじゃったかな、マウト」
「いや。あの程度では核まで到達するのは難しいっす。それに、既にマウトの気を追えなくなりました。おそらくイシスの呪力でしょうね。問題はペンの傷よりうつわの腐敗の方です」
「あ! 結界が解けたら、たか絵さんや舞ちゃんにマウトが接触するんじゃないの!?」
 
 いつになく慌てる遥に、翔太は大丈夫と一言。
 
「呪力を込めた特製のネックレスを、たか絵さんと晃さんにプレゼントしておきました。これ」
 
 翔太はそう言うと、ネックレスを三つ取り出した。
 
「はい、九条さんの分。美桜ちゃんとお婆さまの分も、念のため。たか絵さんたちの物とは少しデザインを変えてあるんで、そんなに気にならないかと。なるべく身につけておいてくださいね」
 
 九条はまじまじとネックレスを眺める。それは十字の上に楕円がくっついた『アンク』のモチーフだった。
 
「これがあのマウトってやつから身を守るのか。美桜やお袋はまだしも、男の俺がスーツの下にこれつけてたら軟派なんぱに見えないか?」
「ボタンを上までしっかり止めれば問題ありません」
 
 にっこり笑う遥に、九条も無理矢理合わせて笑った。
 
「舞ちゃんについたマウトの聖痕せいこんは、時間を掛けて消していくしか手がありません。今のところ舞ちゃんはマウトが接触する最重要人物なので、俺の聖痕を刻印するのがベストな対策だと思いました。女の子だし、見えない方がいいと思って大腿骨だいたいこつに刻印したんすけど、痛みも伴うので大泣きして可哀想だったな……あ、今はもう痛みとかはないと思うんですけど」
「それがあれば、舞ちゃんはマウトの器にならなくて済むの?」
 
 翔太は頷く。
 
「言い方悪くなっちゃうんすけど、器としてはもう使えないです。でもマウトの聖痕があると、舞ちゃん自身の魂が離れやすくなっちゃうんですよ。そうなるとマウトだけでなく、他の彷徨う魂ですら舞ちゃんに乗り移ることができてしまう。だから早いとこ聖痕を消さなければならないんです。早くて半年。マウトの呪力次第では、一年くらいかかるかもしれません」
 
 翔太の話を聞いて、遥は落ち込むようにため息をついた。
 
「結局儀式の八人も救えなかったし、なんかすごく中途半端な気もするけど……これでしばらくはマウトも大人しくなるのかな」
「まあ、今すぐにどうにかなるようなことはないと思いますよ」
 
 まだ表情の晴れない遥の肩を、翔太は強めに叩く。
 
「ったいな、何すんの」
「先輩、あんなとこでも手話使って。もうずいぶん身近になりましたね」
 
 翔太の言葉に、九条も便乗する。
 
「しかもあんな土壇場でやるなんて、遥は本当に大したもんだ」
「うるさいな。早く涼子さんのところ行かないとまたへそ曲げるんだから。ほら、行くよ!」
「じゃあ俺の瞬間移動で……」
「いや待て! まだ慣れないんだ。里を調査中の警察がまだ残ってるだろうから、車を調達してくる」
「翔太、あんたなるべく呪力なしで生きて行くんじゃなかったの?」
「……ごめんなさい」
 
 しょげる翔太を横目に、九条が走り去るのを見て。遥はやっと今日が終わったのだと深く息を吐いた。



 

 
 涼子の元へ向かう車の中では、他愛もない会話が続いた。九条も翔太も、賭けのことは口にしない。沈黙を避けるように、二人は不自然なほど明るく笑うのだ。

 四年後の六月十日。その日までに遥が翔太を殺さなければ、遥は死ぬ。
 
 
(私、なんであんな手話したんだろう)
 
 
 マウトを背にして、翔太に謝ったあの時。遥は見せたこともない穏やかな顔をしていた。
 
 お腹の位置で右の手のひらを上に向けて、ギュッと握りながら、上にあげる。
 
 
 “信じて”
 
 
 あの時、遥はそう手話をしたのだ。
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