【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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 二〇二二年 十二月二十四日
 
 生クリームを買い忘れた——東伍にそう伝えてマンションを出た陽子は、駅前のスーパーへと向かう。時刻は二十時三十七分。スーパーは二十一時には閉まってしまうので、少し小走りした。
 イルミネーションと呼べる程のものではないが、ちらほら電飾が目立ってくる。居酒屋やレストランには温かみのある笑顔が溢れ、駅から出てきたサラリーマンは、コンビニ前でサンタクロースのコスチュームを纏った男の子からケーキを買っていた。
 
(そういえばケーキ、買ってなかった)
 
 陽子はふと思い立ち、サンタクロースがにこやかに待つコンビニ前へと行き先を変更。
 
「メリークリスマス。今なら二割引きでお売りしますよ」
「それじゃあ、四号のチョコレートケーキを」
「ありがとうございます。二千と九十円になります」
 
 財布を探る。手元には、生クリームを買えるだけの小銭しかなかった。
 
「あの。店内のATMでお金を下ろしてくるので、少し待っていてもらえますか」
「ええ、構いませんよ。袋に入れてご用意しておきますね」
 
 陽子は店内に入り、冷蔵コーナーの一角に生クリームを発見する。少々割高にはなるが、駅前のスーパーまで行かずともここで全て揃うというのは都合が良いので、ついでに買うことに決めた。
 
「すみません、お待たせしてしまって」
 
 店の外、生クリームを会計したお釣りを財布にしまいながら、陽子が言う。だが顔を上げても、店の外に居たはずの店員の姿がそこにはなかった。
 左右を確認。すると駐車場奥にあるプレハブの陰に、サンタクロースの後ろ姿を発見した。
 
「あの、ケーキ……」
 
 近づきながら、声を掛ける。
 スウェード調の赤い生地。帽子のてっぺんから垂れる、もふもふの白いポンポン。
 そのポンポンが、弾けたように遠心力で回ると同時、振り向いたその顔を見て、陽子は手に持っていた生クリーム入りのビニール袋を地面に落とした。
 
 
 
 
 
「——私が声をかけたサンタは、ケーキを売っていた彼じゃなかった。その男は私を殴り気絶させ、監禁場所に私を拉致したの」
 
 陽子を助手席に乗せ、東伍は車を走らせる。
 あの後、夕食を済ませた陽子と合流した東伍は、指示されるままに道を進んでいた。
 話に耳を貸しながら、脳内で陽子の言う行動の動線を辿り、コンビニや周辺の景色を思い出してみる。
 
「男の顔に見覚えは? 本物の店員ではなかったのかな」
「わからない。でも、歳は私たちと同年代か、ちょっと上。痩せ型で、目の下のクマが病的だったのをよく覚えてる」
「そいつはなんのために陽子を拉致したんだろう。心当たりはないの?」
「ない。あ、その角を左に曲がって」
 
 ウインカーを出してハンドルを切る。大通りから角を曲がれば、すぐに人気ひとけのない道になるというのは田舎特有で。例に違わず、目の前は林と畑一色に変貌した。
 それから道なりにしばらく徐行した先、ヘッドライトが照らしたのは、車種名が幾つか記載された中古車販売店の看板。道は細く、車一台通れるかどうかギリギリだ。
 川村の自宅を出てから約二十分。辺りはすっかり暗く、時刻は十九時半を回ったところだった。
 
「目を覚ました時、私は病室ような場所にいて、そこのベッドに横になってた。部屋の扉には鍵が。でも病室の窓から、この車種のたくさん並んだ看板が見えたの。それを頼りにネットカフェの地図でいろいろ調べてみたら、私の監禁されていたであろうクリニックを見つけた。そこ、右に入れるところが駐車場よ」
 
 東伍は言われるままに右折したが、そこは駐車場というより砂利場だった。黄色と黒をった細い紐で幾つか区切られてはいるが、紐は擦り切れ色褪せていて、明かりがないこともありよく分からない。
 
「うーん。どのあたりに停めたらいいだろう」
「もう、真面目ね。病院はもうやってない時間なんだし、別にどこに停めたって構いやしないわ。早くいきましょう」
 
 陽子にせっつかれ、東伍は適当な場所で車を停止する。その間、すでにシートベルトを外して待っていた陽子は、車が停止するや否やドアを開けた。
 
「行くわよ東伍」
「ちょ、ちょっと待って」
「なに」
「ここに、陽子の身体があるの?」
「たぶんね」
「その身体に戻る方法、陽子は分かっているんだよね」
「それは、……わからない」
 
 語尾を萎めるようにして、急に強気が失速した陽子に、東伍は疑問を投げる。
 
「陽子さ、なんでそんなに冷静なの? 普通こんな訳のわからないことが起きたらパニックだよね。まだその身体になってから、三日も経っていないんでしょう? おかしいよ」
「おかしいって何よ。 また私が陽子じゃないって話に逆戻りするの?」
「そうじゃないけど」

 ポツンとひとつ、砂利場を照らす街灯に、虫がちらつく。
 東伍の顔を見て陽子はため息をつくが、それは呆れや苛立ちではなく、穏やかな一呼吸だった。
 
「こんな状況でも私が冷静でいられたのは、東伍の存在があったからよ。あなたに会えばなんとかなる、その思いだけでやってきた。身体は戻る。そう信じてる。でも、元に戻った時に監禁されたままでは困るでしょう? だから残り十日……いや、八日間の内に、私は私の身体を救い出しておきたいの。東伍が言ったように、泉さんの意識が私の体に宿っているのだとしたら尚更。彼女、川村泉さんを救いたい。さっき東伍もそう言ってくれたじゃない」
 
 ね、と首を傾げる陽子の顔を見て、東伍が眉を下げる。一瞬唇をきゅっと結び、瞬きを何度か繰り返すうちに、いつのまにか東伍の手は陽子へと向かって伸びていた。
 
 栗色のショートヘア。ほんのり吊り目がちな、鋭い目。くっきり高い鼻、薄い唇。
 陽子の顔貌を目の前の泉に重ね合わせ、その違いに、思わず顔を顰めてしまう。
 
 ずっと恋しく思っていた相手が、目の前にいる。それなのにその顔は、声は。よく知る恋人のものじゃない。
 
「……陽子」
 
 東伍は陽子の頬まで寄せた掌をそっと握り、触れぬままに腕を下ろした。
 
「必ず、身体を取り戻そう。元に戻ろう」
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