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「さて、何から話しましょうか。迷ってしまいますね」
使用人宿舎とは名ばかりの大豪邸のリビングにて、泉は考える素振りで顎に手を添えた。
ペルシャ絨毯の上、優雅にうねる四脚の足が支えるテーブルに、恭一がソーサーとティーカップを並べていく。
「アールグレイを淹れましたが、よろしければカモミール……そうですね、ブランデーなんかもご用意が」
「い、いいです結構です、この紅茶で」
「そうですか」
それぞれの前のテーブルに紅茶を配り終えると、恭一は泉と凛子が腰掛けているソファの隣に立った。
テーブルを挟んで対面のソファに座る東伍は、目の前の三人の絵画のような出立ちに厳かな雰囲気を感じ取る。
朱色に金糸で刺繍を施されたソファ。そこに座る凛子が、つい先日まで自分の生徒であったことが嘘のようで。それなのに、その隣の泉が大豪邸に生まれたお嬢様であるという話は、なぜだかすんなり受け入れられた。
泉はカップにつけた紅を親指の腹で拭うと、視線を東伍に向ける。そして徐に上げた右手に、恭一が何やら箱のようなものを手渡した。
「全ては、この箱から始まります。東伍さん、どうぞ開けてみてください」
泉は箱をテーブルに置くと、滑らせるように東伍の方へ押し出す。それを受け取った東伍は、言われた通りに蓋を開けた。
その中身を見て、東伍は思わず顔を上げる。
「やはり。東伍さんはその鍵たちに見覚えがあるのですね」
開かれた箱の中には、鍵が二本入っていた。
一つは赤い石のはめ込まれた木の鍵。もう一つは、黄色い石のはめ込まれた鉄の鍵。
二本の鍵は、その形にくり抜かれた黒い緩衝材にフィットするように収められており、抜け殻の窪みが、もう三つ。
「東伍さんが私から貰ったという鍵には、青い宝石が埋め込まれていた、そう言っていましたよね? でも、私の知る鍵は今ここにある二本だけ。青い宝石のついた鍵には心当たりがないのです。とはいえ。そこにある残りの窪みに、あなたの言う青い鍵がぴったりハマりそうな窪みがあるのではないですか?」
東伍は箱の中身をまじまじ見つめる。
確かに、東伍が持っていた小ぶりな鍵に合いそうな窪みがそこにはあった。
だがそれ以上に東伍が驚いたのは、小ぶりな窪みの隣、その長めのサイズにフィットしそうな鍵に覚えがあったからだ。
ジン——丸井理仁が持っていた、緑色の宝石の付いた鍵。あれは元々、この箱に収められていた鍵に違いなかった。
「確かに覚えがある。なら、俺があの地下で使った鍵は、元々この箱の持ち主のものってこと? これ、誰の箱?」
「分かりません。ある日起きると、この箱がメモと一緒に枕元に置いてあったのです。メモには拙いひらがなで “ぜったいだれにもわたさないで” そう書いてありました」
泉の言葉で、東伍の記憶は過去を繰り返す。
「……泉さんは本当に、俺に鍵を渡した覚えはないんですか?」
「はい。でも」
「でも?」
「なぜ覚えがないのか。その最もしっくりくる答えを説明することはできます。事実かどうかを確認することは、できませんが」
ずいぶん回りくどい言い方だ、東伍はそう思ったが、次の一言でその意味を理解する。
「私は、解離性同一性障害なのです」
解離性同一性障害。それはかつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、幼少期に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験、また心的外傷を受けることにより、一人の人間の中に全く別の人格が共存することをいう。
「私、鷹司泉と共存する人格は、主人格以外に二つ存在します。ひとつは幼児人格、サクヤ。そしてもうひとつの人格の名は、エルといいます」
泉は一瞬憂げに視線を落とすが、すぐさま表情を戻して説明を続けた。
「ですから数年前、海で溺れた私を助けた東伍さんに鍵を渡したのはサクヤか、或いはエル。なんとも曖昧で申し訳ありませんが、私は私以外の人格とコンタクトを取れる権利を有しておらず、事実を確かめる術がないのです」
「多重、人格……」
東伍の戸惑いを察知した泉は、眉を下げて苦笑する。
「こんな話、すぐには信じられませんよね。でもこれで、東伍さんの元に訪れた私が、小林陽子のフリをした私ではない別人格という可能性を示唆できます。残念ながら私自身には、人格交代期間の記憶がないので、その辺りは凛子に説明してもらいましょうか」
会話のバトンを受け取った凛子は、待ってましたと言わんばかりに広げた膝に肘を乗せると、手のひらを組んで身を乗り出した。
「泉の身体に他人格が出現する頻度は、実をいうとそんなに高くはないんだよね。あたしがサクヤ人格と会話したのは今まで二回だけだし、エルって奴に限っては文字でしか会話したことがなかった。普段の生活においても、泉の行動や発言がトラブルを招くようなことはないし、多重人格なんて、あたしはそこまで気にすることでもないと思ってた。でも去年のクリスマス、泉は何の前触れもなく居なくちゃって」
焦った凛子は、恭一と共に泉を捜索する。
「どこを探しても見つからなくてさ。二日経って、とうとう警察に連絡しようかって思った矢先。泉がふらっと帰ってきたんだ。でも、帰ってきた人格は泉のものじゃなくて」
凛子が確かめると、その人格はサクヤでもエルでもなく、小林陽子と名乗ったという。
「小林陽子なんて知らない名前だった。だから最初は、エルが別人のフリをしているんじゃないか、そう思ったんだよ。だけど陽子と名乗ったそいつは、あたしに妙なお願いをしてきてさ」
“淑和学院に勤めている水野東伍。彼の命を狙う人物を、校内から探し出してほしい”
使用人宿舎とは名ばかりの大豪邸のリビングにて、泉は考える素振りで顎に手を添えた。
ペルシャ絨毯の上、優雅にうねる四脚の足が支えるテーブルに、恭一がソーサーとティーカップを並べていく。
「アールグレイを淹れましたが、よろしければカモミール……そうですね、ブランデーなんかもご用意が」
「い、いいです結構です、この紅茶で」
「そうですか」
それぞれの前のテーブルに紅茶を配り終えると、恭一は泉と凛子が腰掛けているソファの隣に立った。
テーブルを挟んで対面のソファに座る東伍は、目の前の三人の絵画のような出立ちに厳かな雰囲気を感じ取る。
朱色に金糸で刺繍を施されたソファ。そこに座る凛子が、つい先日まで自分の生徒であったことが嘘のようで。それなのに、その隣の泉が大豪邸に生まれたお嬢様であるという話は、なぜだかすんなり受け入れられた。
泉はカップにつけた紅を親指の腹で拭うと、視線を東伍に向ける。そして徐に上げた右手に、恭一が何やら箱のようなものを手渡した。
「全ては、この箱から始まります。東伍さん、どうぞ開けてみてください」
泉は箱をテーブルに置くと、滑らせるように東伍の方へ押し出す。それを受け取った東伍は、言われた通りに蓋を開けた。
その中身を見て、東伍は思わず顔を上げる。
「やはり。東伍さんはその鍵たちに見覚えがあるのですね」
開かれた箱の中には、鍵が二本入っていた。
一つは赤い石のはめ込まれた木の鍵。もう一つは、黄色い石のはめ込まれた鉄の鍵。
二本の鍵は、その形にくり抜かれた黒い緩衝材にフィットするように収められており、抜け殻の窪みが、もう三つ。
「東伍さんが私から貰ったという鍵には、青い宝石が埋め込まれていた、そう言っていましたよね? でも、私の知る鍵は今ここにある二本だけ。青い宝石のついた鍵には心当たりがないのです。とはいえ。そこにある残りの窪みに、あなたの言う青い鍵がぴったりハマりそうな窪みがあるのではないですか?」
東伍は箱の中身をまじまじ見つめる。
確かに、東伍が持っていた小ぶりな鍵に合いそうな窪みがそこにはあった。
だがそれ以上に東伍が驚いたのは、小ぶりな窪みの隣、その長めのサイズにフィットしそうな鍵に覚えがあったからだ。
ジン——丸井理仁が持っていた、緑色の宝石の付いた鍵。あれは元々、この箱に収められていた鍵に違いなかった。
「確かに覚えがある。なら、俺があの地下で使った鍵は、元々この箱の持ち主のものってこと? これ、誰の箱?」
「分かりません。ある日起きると、この箱がメモと一緒に枕元に置いてあったのです。メモには拙いひらがなで “ぜったいだれにもわたさないで” そう書いてありました」
泉の言葉で、東伍の記憶は過去を繰り返す。
「……泉さんは本当に、俺に鍵を渡した覚えはないんですか?」
「はい。でも」
「でも?」
「なぜ覚えがないのか。その最もしっくりくる答えを説明することはできます。事実かどうかを確認することは、できませんが」
ずいぶん回りくどい言い方だ、東伍はそう思ったが、次の一言でその意味を理解する。
「私は、解離性同一性障害なのです」
解離性同一性障害。それはかつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、幼少期に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験、また心的外傷を受けることにより、一人の人間の中に全く別の人格が共存することをいう。
「私、鷹司泉と共存する人格は、主人格以外に二つ存在します。ひとつは幼児人格、サクヤ。そしてもうひとつの人格の名は、エルといいます」
泉は一瞬憂げに視線を落とすが、すぐさま表情を戻して説明を続けた。
「ですから数年前、海で溺れた私を助けた東伍さんに鍵を渡したのはサクヤか、或いはエル。なんとも曖昧で申し訳ありませんが、私は私以外の人格とコンタクトを取れる権利を有しておらず、事実を確かめる術がないのです」
「多重、人格……」
東伍の戸惑いを察知した泉は、眉を下げて苦笑する。
「こんな話、すぐには信じられませんよね。でもこれで、東伍さんの元に訪れた私が、小林陽子のフリをした私ではない別人格という可能性を示唆できます。残念ながら私自身には、人格交代期間の記憶がないので、その辺りは凛子に説明してもらいましょうか」
会話のバトンを受け取った凛子は、待ってましたと言わんばかりに広げた膝に肘を乗せると、手のひらを組んで身を乗り出した。
「泉の身体に他人格が出現する頻度は、実をいうとそんなに高くはないんだよね。あたしがサクヤ人格と会話したのは今まで二回だけだし、エルって奴に限っては文字でしか会話したことがなかった。普段の生活においても、泉の行動や発言がトラブルを招くようなことはないし、多重人格なんて、あたしはそこまで気にすることでもないと思ってた。でも去年のクリスマス、泉は何の前触れもなく居なくちゃって」
焦った凛子は、恭一と共に泉を捜索する。
「どこを探しても見つからなくてさ。二日経って、とうとう警察に連絡しようかって思った矢先。泉がふらっと帰ってきたんだ。でも、帰ってきた人格は泉のものじゃなくて」
凛子が確かめると、その人格はサクヤでもエルでもなく、小林陽子と名乗ったという。
「小林陽子なんて知らない名前だった。だから最初は、エルが別人のフリをしているんじゃないか、そう思ったんだよ。だけど陽子と名乗ったそいつは、あたしに妙なお願いをしてきてさ」
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