【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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 カチ、と妙な音が耳をついた。その瞬間、青白い照明は非常灯に切り替わり、天井に設置された警報器がけたたましく騒ぎ始める。
 
 
 “検体脱出、検体脱出。C通路ニテ四体ノ生物反応ヲ確認。出入リ口ヲ封鎖”
 
 
 狼狽える暇もなく。背後のエレベータを遮る如く、天井から格子状の柵が落とされた。
 柵は、番号の振られたドアをも塞ぐべく順に落とされていく。
 
「……来たか」
 
 暗がりに点滅を繰り返す異常な光を受けながら、東伍は覚悟を決めた。
 
「な、なに。どうなるのこれ。恭ちゃん!」
「凛子、泉さん。わたくしの側に」
 
 恭一もまた、覚悟を決める。泉と凛子を自身に引き寄せ、空間を見定めるように警戒を強めた。
 
 
 “信号ヲ受信シマシタ。メインフロア開放。警戒レベル引キ下ゲマス”
 
 
 東伍たちが立つ通路の先。エレベータとは反対側に見える扉が、ひとりでに開く。
 遠くにひらけた空間には、赤や緑、黄色の電飾がイルミネーションのように点灯していた。
 
 一歩ずつ。吸い寄せられるようにして、東伍は開いた扉の先へ。
 そこに現れた空間を見上げれば、つい先刻に決めた覚悟はどこへやら、東伍は一気に血の気を失い肝を冷やした。
 
 黒い金網床が、ドーナツ状に広がる。天井はプラネタリウムのようなドーム型になっていて、たった今東伍たちが通ってきた道を南とするなら、それぞれ東西、そして北にも同じような通路がみえた。
 十字に交差するその中心には、まるでかいこまゆのような細長い楕円が五つ並んでいる。
 
「あれ……人、か?」
「直幸さんだ」
 
 東伍の戸惑いを追い抜く形で、恭一が繭に近づく。
 それは金属のカプセルのようなもので、胴体部分は覆われているものの、顔面を確認できる開閉式の小窓があり、五体のうち三体の小窓が開いていた。
 そこから覗く表情は、健やかに目を閉じる。
 
「どうして直幸さんが」
「直幸って確か、鷹司泉の父親だったな」
「ええ、そうです。直幸さんは鷹司製薬の現代表取締役社長、わたくしはその秘書を」
「寝込んでるって、こういう意味だったのか」
「そんなわけな——」
 
 更に、恭一の驚嘆はここで終わらない。直幸の右隣で同じように目を瞑る人物に目を配ると、先ほど直幸を発見した時とは比べ物にならない悲痛な瞳で繭に食い入る。
 
「小春さん……!」
 
 恭一の声に反応した凛子は繭に駆け寄り、目を瞑る小春の頬を撫でるように小窓に触れた。
 
 あまりにも残酷な家族の再会。その悲壮を横目にするも、泉は今が窮地であることを追考する。
 空間を把握しようと辺りを見回せば、繭の上部に繋がれたくだは空間を這うように張り巡らされたのち、黒いボックスへ。ボックスの中身はさまざまな色の光で埋め尽くされており、空間をイルミネーションのように感じた理由はこれだった。
 
「あの並んでいる黒いボックスはサーバーでしょうか。水野さんはこの場所が鷹司製薬の第四ラボだと断定していましたから、以前にもきたことがあるのですよね。これは一体なんですか? 丸井理仁はどこに?」
 
 不安と恐怖で早口に問う泉だが、東伍からの返事はない。ふと見れば、東伍はぼうっと一点、繭を見つめていた。
 
 小春でもなく。
 直幸でもない。
 
 その隣、眠るようにして目を閉じる黒髪の少女に、東伍は釘付けだった。
 
 
 
 
「おかえりなさい」
 
 
 
 どこからか響いたその声を皮切りに、繭装置の背後から冷静な足音を鳴らして男が姿を現す。その後ろにはサングラスにマスクで顔を隠した男と、同様の姿で立つハイヒールの女。
 
「ずいぶん時間が掛かりましたね、恭一さん。予定では昨晩のうちに、水野東伍をこちらに連れてくる手筈だったかと」
 
 ——小瀬颯こせはやて。白髪の混じる黒髪に色白の肌、撫で肩で華奢な小瀬は、白衣に身を包みポケットに手を突っ込みながら口角を上げていた。
 
「でもまあこれで、これからもご家族が一緒にいられますね。定着の具合はどうです? そろそろ、点滴が必要な時期でしょうか」
 
 小瀬が泉に手を伸ばすが、泉が身を引っ込めたことで小瀬は眉を上げる。
 
「おや、小春さんではない。だとすると今は誰でしょう。エル? 小林陽子? それとも泉?」
「私は……」
「何故でしょう。メイン人格は小春さんに設定している。泉は他人格に干渉できませんし、問題がなければ出てきていただきたいのですが。小春さーん」
 
 とぼけた顔でわざとらしく小瀬が言えば、凛子がたまらず割って入る。
 
「やめて。もう、ママは消えたの」
 
 その言葉で、瞬時小瀬は眉を顰めた。
 
「……消えた? どういうことです」
「そのままだよ。ママはお別れの言葉を口にして、泉の身体から消えていった」
「ありえない。前回の点滴から猶予はまだあったはず。なぜこんな結果に……これではまたデータを取り直さなければ」
 
 親指と人差し指の腹を擦り合わせながら、小瀬は考え込む。その一連の会話を聞いて泉は狼狽えた。
 
「凛子、どういうこと?」
「……」
「黙っていないで説明してください。小春さんが消えたとはどういう意味ですか? 水野さんをここに連れてくるはずだったって……凛子、私に言いましたよね? 私の身体に現れた小林陽子という人格が、自分の彼である水野東伍という男性を助けて欲しいと言ってきたと。そしてその水野東伍は、以前海で溺れた私を助けてくれた方なんじゃないかと。水野さんを助けるために、小林陽子の人格と共に水野さんを安全な場所に閉じ込めておく作戦を立てたのだと!」
 
 泉はたまらず、凛子の手首を掴んだ。
 
「全部……全部嘘だったんですか? 本当は助けるのでなく殺すつもりだったんですか? 小瀬メンタルクリニックに持っていくはずだった食料を紛失したのも、電気や水の供給を止めたのも全部、凛子の仕業じゃっ」
「それは違う! あたしは本当に水野っちを助けようとしたんだ、嘘じゃない!」
 
 凛子が泉の手を振り払うと、泉はそのまま蹲って頭を抱えた。そんな泉を見下ろしながら、凛子は続ける。
 
「……水野っちの存在を十日だけ地上から消す。それがラボからの指令だった。その十日が何を意味するのかなんて知らない。でもその指令をこなせばママと話をさせてくれる、ママを蘇らせてくれる、そう言われてあたしは」
 
 その時。恭一はそっと、凛子の方に触れた。
 
「凛子だけのせいではありません。凛子から話を聞いた時、わたくしが止めなければなりませんでした。絵空事だ、騙されていると、凛子を説かなければならなかった。ですが、わたくしは負けたのです。最愛の人にもう一度会いたい。それだけの気持ちで、こんな馬鹿なことをした。本当に申し訳ありません」
 
 恭一は後悔と懺悔を込めてぎゅっと瞼を閉じた。
 凛子は冷静を取り戻すように唾をひと呑みすると、おもむろに小瀬を示すように指を向ける。
 
「電気や水を止めたのはそこにいる小瀬と、後ろの女・・・・。手の甲に傷跡のある、あいつだ」
 
 小瀬の背後に並ぶショートヘアの女は、凛子に指を差されたことで俯きがちだった顔を上げた。サングラスに映る東伍の顔が、虚無を極める。
 女がそっとマスクを外せば、くっきり高い鼻に、薄い唇。最後にサングラスを剥ぎ取ると、女は目尻に皺を作ってにこりと笑った。
 
「はぐれちゃったわね東伍。でもまた、こうして出会えて嬉しいわ。サプリは飲んだの? 随分顔色が悪いけど、まだ飲んでないなら今ここに」
「いらない」
「あら、怒ってるの? どうして? 私たち結婚するんでしょう?」
「確かに俺は去年のクリスマスイブ、陽子にプロポーズをした。でも違う」
「違うってなにが」
「何もかもだよ」
 
 東伍の悟った振る舞いに、凛子も覚悟を決めて会話に口を挟む。
 
「……こいつは水野っちからのプロポーズを受けちゃいない」
「黙りなさい。川村凛子」
「水野っちがプロポーズしたのはこいつじゃない!」
「黙れって言っているの。わからない?」
「黙るのはお前だ」
 
 東伍の低い声が、妙によく通る。
 
「お前は、陽子じゃない」
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