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【第1部】転落編
謎の女
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1月23日(日)——
呼び出し音。永遠と繰り返されるその機械音に苛立った海里は、スマートフォンを床に投げつけた。
「くそっ! なんで出ないんだよ!」
海里が電話をかける相手はただひとり。
佐々木淳。海里と淳は、大学時代にサークルが一緒だった。
茶髪を逆立て細身な身体に、オーバーサイズのスポーツブランドの服を好む淳。
それとは対照的に、切りっぱなしの黒髪短髪、地元ブランドのシャツとチノパンが私服の海里。
気の合わなそうなふたりだったが、飲み会では気づくと淳が海里の隣を陣取り、あーでもないこーでもないと管を巻いては絡んできていた。今思えば、距離感の鈍った淳を皆が避ける中、その最終受け入れ口が海里だったのかもしれない。
厄介者の淳、影の薄い海里。ふたりは仕方なく……いや、それでも割といい塩梅で関係を築いてきた、はずだった。
ドンドンドン!
「野中さーん。居るのわかってますよ、ええ加減に返してください。おーかーねー」
メゾネットタイプのアパート。海里は玄関に通ずる階段を降り、覗き穴を見る。
「ひっ」
男のあまりの顔の近さに、海里は思わず小さく声を出した。
四角い顔、印象的な吊り目、浅黒く焼けたその首元にチラッと見える、魚の頭。あれは……
(鯉だ)
海里は足音を立てぬように階段を上がり、室内へ通ずる扉をそっと閉めた。扉を背にずるずると尻をつけば、がらんとした殺風景の部屋に頭を掻きむしる。
借金総額480万円。もともとの借入金は300万円だったが利子で膨らみ、こうしている今も増え続けていた。これでも既に200万円程度返済したが、それでも現状は変わらない。
布団、鍋、電子レンジ以外の家具家電は、全て売った。フィギュアの売値に期待もしたが、買取店の店員は怪訝な表情を見せ、結局1円にもならなかった。
男は大声で語りかける。
「あんたの責任ですよ? 人間、借りたもんは返す。小学生でもわかる理屈やろ、なあ」
一緒にいるのは部下だろうか。男の問いかけにへいっ、と返事をすれば、再びドンドンと玄関の扉が叩かれる。海里は耳を塞ぎ、布団を被った。
「なんで俺がこんな目に……」
しばらくして、声が止む。やっと怒号が収まった安心感で湯を沸かせば、再び悪魔の音が響いた。
ピンポーン
「くっ……」
時計を見れば、22時。海里はおびえることにさえ疲れ切って、次のステップに進んだ。
“文句を言ってやる”
いざとなれば警察だってなんだっている。海里は不思議と恐怖心より、苛立ちや虚無で心が満たされていた。
何にも、怖くない。
ドタドタと大げさに足音を立てて玄関に向かえば、自然と鍵の摘みを回していた。
「いいかげんに——」
一瞬だった。扉を引き海里の横を擦り抜け、ダダダっと階段を駆けあがった女は、思わぬ奇声を上げる。
「助けて! きゃぁぁあ! 殺さないでええ!」
?!!
声を聞いた海里は女を追って、部屋へと足を速めた。
「ちょ、ちょっと」
寒々しい部屋の中心。膝をついて海里の方を向く女の、そのあまりにも現実離れした状況に、海里は瞬刻呼吸を止めた。
腹に、刃物が突き刺さっている。
女は両手を刃物の柄に添えると、更に力を入れて自分の腹の中へと押し込んだ。そして、思い切り引き抜く。
刃物の軌道に沿って弧を描く血飛沫。女は横向きに倒れ、顔の前に流れた長い茶髪が目元を隠した。
黒く粘度のある血液は、海里ににじり寄るように床を広がっていく。時間にして数秒の出来事だったが、ハっと我に帰った海里は呼吸を再開した。
「い、生きてんのか?」
すり足で近づく。頭のそばでしゃがむと、女の肩が微かに上下しているのが分かった。
「きゅ、救急車」
海里がスマートフォンに手を伸ばせば、女は最後の力を振り絞るように、震える手で海里の腕を掴んだ。
「OE……GAD」
「おーいー、じぃ? 何言って——」
海里の腕から女の手が離れる。ゴンっ、と小さな音を立てて床に脱力した腕。
数分の後。海里は女の手首で脈を取るも、反応はない。
「嘘だろ。いやいやいや、違うって」
目を抑え、頭を抑え。右往左往する海里の頭は、もうとっくにパンクしていた。目の前に横たわる女。その姿を見て、海里は心の底から思ったことを口に出した。
「……誰なんだ、お前」
呼び出し音。永遠と繰り返されるその機械音に苛立った海里は、スマートフォンを床に投げつけた。
「くそっ! なんで出ないんだよ!」
海里が電話をかける相手はただひとり。
佐々木淳。海里と淳は、大学時代にサークルが一緒だった。
茶髪を逆立て細身な身体に、オーバーサイズのスポーツブランドの服を好む淳。
それとは対照的に、切りっぱなしの黒髪短髪、地元ブランドのシャツとチノパンが私服の海里。
気の合わなそうなふたりだったが、飲み会では気づくと淳が海里の隣を陣取り、あーでもないこーでもないと管を巻いては絡んできていた。今思えば、距離感の鈍った淳を皆が避ける中、その最終受け入れ口が海里だったのかもしれない。
厄介者の淳、影の薄い海里。ふたりは仕方なく……いや、それでも割といい塩梅で関係を築いてきた、はずだった。
ドンドンドン!
「野中さーん。居るのわかってますよ、ええ加減に返してください。おーかーねー」
メゾネットタイプのアパート。海里は玄関に通ずる階段を降り、覗き穴を見る。
「ひっ」
男のあまりの顔の近さに、海里は思わず小さく声を出した。
四角い顔、印象的な吊り目、浅黒く焼けたその首元にチラッと見える、魚の頭。あれは……
(鯉だ)
海里は足音を立てぬように階段を上がり、室内へ通ずる扉をそっと閉めた。扉を背にずるずると尻をつけば、がらんとした殺風景の部屋に頭を掻きむしる。
借金総額480万円。もともとの借入金は300万円だったが利子で膨らみ、こうしている今も増え続けていた。これでも既に200万円程度返済したが、それでも現状は変わらない。
布団、鍋、電子レンジ以外の家具家電は、全て売った。フィギュアの売値に期待もしたが、買取店の店員は怪訝な表情を見せ、結局1円にもならなかった。
男は大声で語りかける。
「あんたの責任ですよ? 人間、借りたもんは返す。小学生でもわかる理屈やろ、なあ」
一緒にいるのは部下だろうか。男の問いかけにへいっ、と返事をすれば、再びドンドンと玄関の扉が叩かれる。海里は耳を塞ぎ、布団を被った。
「なんで俺がこんな目に……」
しばらくして、声が止む。やっと怒号が収まった安心感で湯を沸かせば、再び悪魔の音が響いた。
ピンポーン
「くっ……」
時計を見れば、22時。海里はおびえることにさえ疲れ切って、次のステップに進んだ。
“文句を言ってやる”
いざとなれば警察だってなんだっている。海里は不思議と恐怖心より、苛立ちや虚無で心が満たされていた。
何にも、怖くない。
ドタドタと大げさに足音を立てて玄関に向かえば、自然と鍵の摘みを回していた。
「いいかげんに——」
一瞬だった。扉を引き海里の横を擦り抜け、ダダダっと階段を駆けあがった女は、思わぬ奇声を上げる。
「助けて! きゃぁぁあ! 殺さないでええ!」
?!!
声を聞いた海里は女を追って、部屋へと足を速めた。
「ちょ、ちょっと」
寒々しい部屋の中心。膝をついて海里の方を向く女の、そのあまりにも現実離れした状況に、海里は瞬刻呼吸を止めた。
腹に、刃物が突き刺さっている。
女は両手を刃物の柄に添えると、更に力を入れて自分の腹の中へと押し込んだ。そして、思い切り引き抜く。
刃物の軌道に沿って弧を描く血飛沫。女は横向きに倒れ、顔の前に流れた長い茶髪が目元を隠した。
黒く粘度のある血液は、海里ににじり寄るように床を広がっていく。時間にして数秒の出来事だったが、ハっと我に帰った海里は呼吸を再開した。
「い、生きてんのか?」
すり足で近づく。頭のそばでしゃがむと、女の肩が微かに上下しているのが分かった。
「きゅ、救急車」
海里がスマートフォンに手を伸ばせば、女は最後の力を振り絞るように、震える手で海里の腕を掴んだ。
「OE……GAD」
「おーいー、じぃ? 何言って——」
海里の腕から女の手が離れる。ゴンっ、と小さな音を立てて床に脱力した腕。
数分の後。海里は女の手首で脈を取るも、反応はない。
「嘘だろ。いやいやいや、違うって」
目を抑え、頭を抑え。右往左往する海里の頭は、もうとっくにパンクしていた。目の前に横たわる女。その姿を見て、海里は心の底から思ったことを口に出した。
「……誰なんだ、お前」
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