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因縁編

躙り寄る

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「嘘だ!」
 
 ダンっとテーブルを叩いて立ち上がった勢いのまま、椅子が真後ろに倒れた。
 
「……段田さん?」
 
 照明に反射した眼鏡のレンズが瞳を隠すと共に、段田の顔色はみるみる血の気を無くし、唇が震え出す。
 
「あれは事故だ。それに僕は……僕は悪くない」
 
 段田は不規則に眼球を揺らしながら、脳内の引き出しを必死に引っ張り出していた。髪をむしり、爪を噛み、浅い呼吸を繰り返して取り乱す姿は異常そのものだった。
 
 その様子に皆も椅子から腰を上げ、ゆっくり段田から距離を取る。
 
「ちょ、おい。落ち着けよ」
 
 権堂が声をかけるも、段田の視線はそれを通り越してその先の人物を捕らえていた。
 
 瞬間、段田は権堂とマリアをかき分ける様に吹っ飛ばすと、海里の胸ぐらに飛び込む。2人はそのまま床に倒れた。
 
「誰のだ」
「え?」
「誰の恨みだ! めぐみか? それとも犯人の方か!」
 
 海里に馬乗りになった段田の手は、胸ぐらから首へとゆっくり移動した。
 
「め……ぐみ?」
「お前の部屋で死んだっていう女だろ! 薄気味悪い嘘つきやがって。あの事件はとっくの昔に裁判でケリがついてんだ……今更蒸し返したところでどうにもならないぞ。一度くだされた判決は絶対に覆らない!」
 
 海里は苦しみに眉をひそめながら、段田の瞳をじっと見つめる。その眼は怒りと動揺、そして恐怖を如実に映していた。
 
「芹って奴は異常者だ。大柳のババアだって死んだ後どうなったか分かったもんじゃない。僕は殺してない、でも契約書にあったよな? 館での生活、その他全ての情報の他言を固く禁ずるって。この館で起きたことは隠蔽出来るんだよ!」
 
 呼吸もままならない。首筋に血管が浮き出て、指先が痺れ始めたところで海里はやっと我に返る。慌てて抵抗するも、段田の手はしつこく海里の肌に纏わりついて離れない。
 
「邪魔をする奴は全員排除だ。僕は何をしても許されるんだ。排除、排除、排……じょ……」
 
 その時。ふと、首を絞める手の力が抜けた。その一瞬を逃さぬよう、海里は左手で段田の髪を鷲掴みにし、自身から引き剥がす。
 
 床に転がる段田。足りない酸素を急速に取り込みながら咳き込む海里。そのぼやける視界をクリアにしようと目を細めて確認すれば、倒れる段田の口の端からは泡が流れ、痙攣し、白目を剥いていた。
 
 その胸ポケットから覗く、スペードの6のトランプカード。ただ、そのトランプカードはプレイルームにあるそれとは異なる上、表にはマジックで文字が書かれていた。
 
「おい……どうした」
 
 段田に意識はない。そして何より、海里は今の状況を把握しきれずにいた。なぜなら見渡した食堂内、床にうずくまる人物が段田以外にもふたり確認できたからだ。
 
「やっと効いたよ、この毒。まがいもんなんじゃないかって、ちょっとヒヤッとしちゃった」
 
 小瓶を片手に辺りを見下ろすニヒリスティックな女。その隣で、竹林彩美は涙目だった。
 
「ごめんね、助けなくって。でももう大丈夫、そいつはもうじき死んじゃうからさ」
「どうしてあなたが、こんな」
 
 彩美の視線の先のマリアは、くくられた髪を振りながら寝転ぶふたりを交互に見た。
 
「理由はそこで苦しむふたりに聞いたらいいよ。あんたたちはまだお喋りできるでしょ?」
 
 マリアは権堂を汚いものでもあしらう様に蹴突く。権堂の額には汗が滲み、腹を抑えて吐き気もある。それは千聖も同様だった。
 
「なんなのよ、これ。あたしに何したの? なんの毒なの?! ふざけないでよ!」
「は? いや、大真面目なんですけど。恵や暁人が味わった苦しみに比べたらまだまだ! 生ぬるいんだよそんな苦しみは!」
「だから誰なのよそれ! あたしはそんな名前に覚えなんかない!」
「……待て。思い出したぞ」
 
 興奮気味で話す千聖を遮ったのは権堂だ。

「2年前、都内のラブホテルで殺された女子高生がいた。その被害者の名が確か、筑田恵つきためぐみ。犯人は被害者が当時付き合っていた男で、名前は——」
早船暁人はやふねあきひとね。でもそれ、間違ってるから。暁人は恵の彼氏じゃない、マリアの恋人だったの! うちら3人は同じ高校で同級生、恵はマリアの親友だった。それがあんな事件が起きて……あんたが週刊誌にデタラメ書いたせいで、うちらの人生なにもかもメチャクチャにされたんだ!」
 
 海里は首元を押さえながら状況を必死で把握する。
 
「週刊誌? それじゃあ、権堂さんって」
「……ああ。俺は少し前までフリーのライターだったんだよ」
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