【完結】万華鏡の館 〜あなたの人生、高額買取り致します〜

千鶴

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【第2部】愈々

芹という男

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「ではまず。あなたの人生の対価を決めなければなりませんね。欲するのはもちろん、その本に書かれていることの事実確認と、登場人物の詳細。お間違えないです?」
「あ、いや、あの。も、もしですよ? 俺の人生をお金で買い取ってもらえるのなら、一体いくらになるのかなあ、って」
「おや。お金でよろしいのですか? ですと、そうですねえ。おいくら程、用立てれば良いのでしょうか」
 
 何度も頭の中で描いたシミュレーション。もし、この本に書いてあることが事実だとしたら。もしも自分の人生を対価に、お金をもらえるチャンスが訪れたのだとしたら。
 
 俺は迷わずこう答えると決めていた。
 
「2億、ください」
「ほう……」
 
 法外な金額ではないはずだった。むしろ謙虚に言ったつもりだ。
 
 人生を買い取る——この契約を結ぶ人間は皆、その先の自身の処遇を案じて腰がひけてしまう。なぜならこのあと館に連れて行かれ、更には至れり尽くせりの施設で過ごせるということを、彼らはつゆほども知り得ないからだ。
 
 だが、俺は知っている。
 
「仮に2億。それで俺の人生は何ヶ月……いや、何年差出すことになるのでしょうか」
「12年」
「じゅっ?!」
 
 間髪入れずに答えた井無田に対して、俺は思わず驚きの声をあげてしまった。
 
「どうかしました?」
「あ、いや。でも……この本に出てくる相澤千聖あいざわちひろ、さん。彼女の契約金は1ヶ月で500万でしたよね? 単純に計算しても3年弱、長くなっても5年程だと想定していたものですから」
「なるほど。ですが、人生の価値は人によって様々なのです。失礼ですがあなた、今のお仕事で手取りおいくらほど貰えていますか?」
「ムラはありますが大体……21万、くらい」
「ならば12年同じ職場に勤めたところで、得られる収入は当然2億には満たない。条件としてはそんなに驚かれることでもないかと」
 
 淡々と述べる井無田に対して、俺はまばたきを速めるばかりで決断できずにいた。
 
 確かに、井無田の言う通りではある。だが、一抹の不安も当然あった。
 
 野中海里のなかかいり江畑えばたマリア、段田慎之介だんだしんのすけのように。この契約が人生を終わらせる引き金になる可能性だって充分に——
 
「悩んでいらっしゃいますか」
「あ……」
「ではお金での契約はやめて、やはり情報を対価にすることに致しましょうか。あ、もう珈琲も冷めてしまいましたね。淹れ直しましょう」
 
 長い話になりますから、と。井無田はまだ一口もつけていない珈琲を下げてしまった。
 
 豆を挽き、その粉をフィルターに入れる。ドリッパーを軽く振って表面をならすと、井無田はお湯を細く出すための専用ポットを手に取った。
 
 ゆっくり。一秒にも満たないうちにそそぐ手を降ろせば、少しばかりお湯を含んだ珈琲粉の様子を覗き込む。
 
 そんな井無田の視線につられて、俺もついドリッパーへと視線を落とした。プツプツと細かい音をたて、ぷっくり膨らんでは小さく弾けることを繰り返す。
 
「この蒸らしが重要なんですよ。珈琲豆からガスが出てお湯となじみ、次の二湯目にとうめの通り道を作ります。いきますよ」
 
 井無田は『の』の字を描きながら、ゆっくりと手首を使ってポットを回した。お湯が減っては入れてを3回ほど繰り返すと、そっとポットを置く。
 
「フィルターに当たらないように、中心で小さくお湯を回し入れるのがコツなんです。表面に見える小さな泡はこの珈琲の雑味。これが残っているということは、おいしい珈琲が淹れられたという証拠ですね」
 
 そう言って、井無田は事前にお湯で温めていたカップに淹れたての珈琲をそそいだ。
 
「どうぞ。今度は冷めないうちに。それからこちらがメニューになります」
 
 軽く会釈をして。差し出された珈琲に口を付ける。鼻に抜ける香りが爽やかで、舌に残るこっくりとした旨みと苦味が心地よい。この珈琲には、塩気のあるクッキーなんかが合いそうだ。
 
 本来の目的から、ほんの少しだけ思考がずれる。だが、俺はすぐに現実へと引き戻された。
 
「へ? うわあ!!」
 
 メニューを開き、左側のページに左手を添えた瞬間。その手を貫くような青緑の閃光が放たれる。くらんだ目で確認すれば、左手の甲には十字の印があった。
 
 手を離した拍子に床に落ちたメニューには、六芒星。
 
 喉元に、胃まで流し込んだはずの珈琲が逆流してくる。急いで唾を飲み込み、心臓が少しだけ痛くなった。
 
(やっぱりだ。やっぱり、本に書いてあったことは全て現実だった。となれば契約者だってやかただって、妙なメールも殺人も! 全部が全部事実! あいつも、きっと彼が)
 
 俺は左手の甲の十字の印から、ゆっくりと視線を上げる。すると予想した通り、目の前の男と視線が噛み合った。
 
「ご無礼を。更には私、あなたに謝らなければならないことが」
 
 男はサングラスを外し、鼻の下にこさえた細い髭を掴むと、ペリペリ剥がす。
 
 そうして目を細めると、にこりと口の端を上げた。
 
「改めまして。私が当喫茶店オーナー、せりでございます」
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