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CASE:1
天使か、悪魔か
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リビングのテーブルに、骨袋がひとつ。その紫色の骨袋に点々と描かれた菊の花を、佐和子は両手を添えながらじっと見つめていた。
知らぬ間に陽も落ちた。
佐和子が警察署から自宅に戻った時には、まだ外は明るかったはずだ。
「こんなに小さかったの? あなた」
佐和子の独り言には、大抵返事がない。
「ごめんなさいね。私、あなたに謝らなきゃいけないことが」
佐和子は言葉に詰まる。自分の声が喉元を通る振動につられて、押さえ込んでいた怒りが、憤りが、哀しみが、小刻みに震える唇と共に涙と化して溢れ出す。
「行ってきますって、そう言ったじゃない」
行ってきます。それは再び帰る、そういう意味だ。
「作った煮物も、もうダメになってしまった」
いつも固いだの、味が濃いだの、散々文句を言われて。
「庭の手入れも出来なくって」
いつも使っていた黄緑色の如雨露は、雨風に晒され埃を被る。
「わたし……私が、あなたの言いつけを、破ったから?」
佐和子は唇を噛み締め、ぎゅっと瞼に皺を作った。
「お願いよ。ちゃんと、謝らせてください……あなたっ」
突っ伏すと同時に、テーブルに擦れた薬指の指輪。その指輪を摩るように手の甲を撫でる佐和子。
その静寂を、電話の呼び出し音がつん裂いた。
何度かコール音が鳴るが、佐和子に電話を取る気力はない。暫くすると音は止まり、着信を知らせる赤いランプが点る。それからすぐ、2度目の着信が鳴り出した。
3度目……4度目……
5度目の着信で、ついに逆撫でされた神経がプツリと切れる。佐和子は勢いよく受話器を取ると、大声で叫んだ。
「いい加減にして!」
「……」
「あなた、少し前にも掛けてきた人よね」
「……はい」
「なんのつもり? 何度も何度も電話して、人生って一体なによ! 私の人生の、何を買い取るっていうの? 名義? 銀行口座? それともなに、命でも取るってわけ?! 受けて立つわよ!」
言葉の強さとは裏腹に、声は掠れる。受話器を持つ手も興奮で揺れ、相手の声がすぐに返ってこない状況に、佐和子は血圧の上昇を感じていた。
「もしもし?!」
「大柳佐和子様。で、お間違えないです?」
「だから何なのよ!」
「あなたのご主人、大柳勝紀様の死は事故ではございません。勝紀様は、大きな力に飲み込まれて命を落とした。その全貌を知りたくはありませんか?」
佐和子は血走った眼球を泳がせると、テーブルに乗った骨袋を振り返る。受話器を耳に当て、勝紀の亡骸を見つめたまま、今度は恐る恐る口を開いた。
「あなた、何者なの」
「私の名は芹。大柳様の味方です」
「みかた?」
佐和子は不機嫌をあらわにする。その声色を察してか、芹と名乗った男は特段柔らかい物腰で喋り出した。
「現状、大柳様が知り得る情報は限りなく少ない。ご主人の死やその原因にまつわる事柄を、あなたはなにもご存じないのです。それではあまりにも不便。ですから私、あなたに情報を差し上げたく連絡させて頂いた所存で」
「なんの為に?」
佐和子は唇を舐める。
「そんなことをして、あなたに何の利があるの? 主人が亡くなった理由って? 殺されたとでもいうの? 何故あなたがそんなことを知っているの? あなたが主人を殺した犯人って可能性だって——」
ピンポーン
訪問者を知らせるチャイム。音は受話器を当てていない佐和子の左耳、そして何故か受話器を当てている右耳にも、時間差で伝わる。
「ちょっと、あなたもしかして」
「はい。来てしまいました」
「しまいました、って……」
「私だけが大柳様の顔貌を知るようではフェアではない、そう思いまして。あ、インターフォンに録画の機能はありますか? あれば録画を。それから、僅かばかりの気持ちを郵便受けに入れましたので、ご確認頂いて」
佐和子は受話器を本体の横に置くと、足音を立てないようにそっと玄関に向かった。
扉に備え付けられた郵便受けには、確かに白い封筒が入っている。佐和子はそっと封筒を手に取ると、玄関の右側の擦りガラスを首を伸ばして確認してみた。
人影。その黒い影は、微動だにせず扉の向こうに立っている。
佐和子は唾を飲み込むと、封筒を手に再びリビングへと戻った。
テーブルを前に正座し、骨袋をそっと床に下ろす。それから白い封筒を開き、逆さに振って中身を出した。
「なに、これ……」
テーブルに、大量の一万円札が散らばる。それから顔写真付きの資料が何枚か、まるで探偵が調べたそれのように、箇条書きで人物の詳細や特徴が書かれていた。
中には、見覚えのある顔も。
佐和子は立ち上がると、受話器の元へと急ぐ。
「見たわ。このお金は?」
「差し上げます」
「いや、そうじゃなくて」
こんなお金受け取れない、と口に出そうとして。佐和子は、自分の中にまだ常識的な感情が残っていることに気が付く。
自棄に、なりかけていた。
もし芹からの電話なくあのままこの家に1人でいたとしたら。勝紀とふたり、返事の返ってこない会話を呟き続けていたなら。
そこまで考えて、佐和子は再び受話器の向こうへと意識を向けた。
「ちょっと待ってて」
電話を切る。佐和子は遠慮のない足音を立てながら玄関に向かうと、鍵のつまみを回して扉を開けた。
そこには灰色のスーツに赤いネクタイを締めた、20代半ばの男性がひとり。背筋を伸ばした状態で、礼儀正しく立っている。
目の前で微笑む芹の顔を見て、佐和子は本能的に舐められまいと顎を上げて言い放った。
「入って。中で話しましょう」
知らぬ間に陽も落ちた。
佐和子が警察署から自宅に戻った時には、まだ外は明るかったはずだ。
「こんなに小さかったの? あなた」
佐和子の独り言には、大抵返事がない。
「ごめんなさいね。私、あなたに謝らなきゃいけないことが」
佐和子は言葉に詰まる。自分の声が喉元を通る振動につられて、押さえ込んでいた怒りが、憤りが、哀しみが、小刻みに震える唇と共に涙と化して溢れ出す。
「行ってきますって、そう言ったじゃない」
行ってきます。それは再び帰る、そういう意味だ。
「作った煮物も、もうダメになってしまった」
いつも固いだの、味が濃いだの、散々文句を言われて。
「庭の手入れも出来なくって」
いつも使っていた黄緑色の如雨露は、雨風に晒され埃を被る。
「わたし……私が、あなたの言いつけを、破ったから?」
佐和子は唇を噛み締め、ぎゅっと瞼に皺を作った。
「お願いよ。ちゃんと、謝らせてください……あなたっ」
突っ伏すと同時に、テーブルに擦れた薬指の指輪。その指輪を摩るように手の甲を撫でる佐和子。
その静寂を、電話の呼び出し音がつん裂いた。
何度かコール音が鳴るが、佐和子に電話を取る気力はない。暫くすると音は止まり、着信を知らせる赤いランプが点る。それからすぐ、2度目の着信が鳴り出した。
3度目……4度目……
5度目の着信で、ついに逆撫でされた神経がプツリと切れる。佐和子は勢いよく受話器を取ると、大声で叫んだ。
「いい加減にして!」
「……」
「あなた、少し前にも掛けてきた人よね」
「……はい」
「なんのつもり? 何度も何度も電話して、人生って一体なによ! 私の人生の、何を買い取るっていうの? 名義? 銀行口座? それともなに、命でも取るってわけ?! 受けて立つわよ!」
言葉の強さとは裏腹に、声は掠れる。受話器を持つ手も興奮で揺れ、相手の声がすぐに返ってこない状況に、佐和子は血圧の上昇を感じていた。
「もしもし?!」
「大柳佐和子様。で、お間違えないです?」
「だから何なのよ!」
「あなたのご主人、大柳勝紀様の死は事故ではございません。勝紀様は、大きな力に飲み込まれて命を落とした。その全貌を知りたくはありませんか?」
佐和子は血走った眼球を泳がせると、テーブルに乗った骨袋を振り返る。受話器を耳に当て、勝紀の亡骸を見つめたまま、今度は恐る恐る口を開いた。
「あなた、何者なの」
「私の名は芹。大柳様の味方です」
「みかた?」
佐和子は不機嫌をあらわにする。その声色を察してか、芹と名乗った男は特段柔らかい物腰で喋り出した。
「現状、大柳様が知り得る情報は限りなく少ない。ご主人の死やその原因にまつわる事柄を、あなたはなにもご存じないのです。それではあまりにも不便。ですから私、あなたに情報を差し上げたく連絡させて頂いた所存で」
「なんの為に?」
佐和子は唇を舐める。
「そんなことをして、あなたに何の利があるの? 主人が亡くなった理由って? 殺されたとでもいうの? 何故あなたがそんなことを知っているの? あなたが主人を殺した犯人って可能性だって——」
ピンポーン
訪問者を知らせるチャイム。音は受話器を当てていない佐和子の左耳、そして何故か受話器を当てている右耳にも、時間差で伝わる。
「ちょっと、あなたもしかして」
「はい。来てしまいました」
「しまいました、って……」
「私だけが大柳様の顔貌を知るようではフェアではない、そう思いまして。あ、インターフォンに録画の機能はありますか? あれば録画を。それから、僅かばかりの気持ちを郵便受けに入れましたので、ご確認頂いて」
佐和子は受話器を本体の横に置くと、足音を立てないようにそっと玄関に向かった。
扉に備え付けられた郵便受けには、確かに白い封筒が入っている。佐和子はそっと封筒を手に取ると、玄関の右側の擦りガラスを首を伸ばして確認してみた。
人影。その黒い影は、微動だにせず扉の向こうに立っている。
佐和子は唾を飲み込むと、封筒を手に再びリビングへと戻った。
テーブルを前に正座し、骨袋をそっと床に下ろす。それから白い封筒を開き、逆さに振って中身を出した。
「なに、これ……」
テーブルに、大量の一万円札が散らばる。それから顔写真付きの資料が何枚か、まるで探偵が調べたそれのように、箇条書きで人物の詳細や特徴が書かれていた。
中には、見覚えのある顔も。
佐和子は立ち上がると、受話器の元へと急ぐ。
「見たわ。このお金は?」
「差し上げます」
「いや、そうじゃなくて」
こんなお金受け取れない、と口に出そうとして。佐和子は、自分の中にまだ常識的な感情が残っていることに気が付く。
自棄に、なりかけていた。
もし芹からの電話なくあのままこの家に1人でいたとしたら。勝紀とふたり、返事の返ってこない会話を呟き続けていたなら。
そこまで考えて、佐和子は再び受話器の向こうへと意識を向けた。
「ちょっと待ってて」
電話を切る。佐和子は遠慮のない足音を立てながら玄関に向かうと、鍵のつまみを回して扉を開けた。
そこには灰色のスーツに赤いネクタイを締めた、20代半ばの男性がひとり。背筋を伸ばした状態で、礼儀正しく立っている。
目の前で微笑む芹の顔を見て、佐和子は本能的に舐められまいと顎を上げて言い放った。
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