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CASE:3
江畑マリア 17歳 学生
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彼女はいつも、決まって同じ人物を描く。
サイドを刈り上げた爽やかな黒髪。太めの眉毛に切れ長な一重、通った鼻筋、薄い唇。ほんのり赤らむニキビは、実物より些か控えめだ。
男の顔を、マリアは目を瞑ってでも正確に描ける自信があった。
遮光カーテンの引かれた室内、明かりは絵を照らすスタンドライトのみ。床に散乱するキャンバス全てに無数の彼が存在し、そのどれもがマリアに向かって薄ら微笑む。
マリアはいつだって、同じ人物しか描かない。
「ちょっと。いつまでそうしてるの」
自室の扉が開いた。怪訝に眉を吊り上げる母親が、鼻をつまみながら首を引っ込める。
「ねえ、窓開けなさいよ」
「……」
「ゴミも。いい加減にしなさい」
紙風船を膨らましたように、無数のコンビニ袋が散乱する。コップの中で干からびた麦茶は、1ヶ月も前から同じ場所にあった。
「学校は?」
「行かない」
「言っとくけど、留年したら学費は払わないわよ。辞めるならさっさと辞めて、働きにでも出たらどうなの」
「絵が描けなくなる」
「絵、ねえ……」
母親は床に散らばるキャンバスの中から1枚拾い上げると、フンっと鼻を鳴らす。
「マリアの絵、ママ嫌いじゃないわよ? でもそれは母親だから思うのであって、これくらいの絵、みーんな描ける。最近は似たような男の子ばかり描いて……ねえ、誰? これ」
「早船暁人」
「いや、だから誰よ。アイドル?」
「うるさいな、勝手に触らないでよ!」
マリアは筆を床に投げつけ、ドタドタと大袈裟に足音を立てながら母の元に向かうと、キャンバスをひったくった。
「放っておいて。もう、ママには期待してない」
「はあ? 期待? あんた親をなんだと」
「わかってるよ!」
母親の肩を不本意にも突き飛ばし、自室を飛び出す。玄関を出て、アパートの鉄骨階段を駆け降りると、マリアはそのまま走った。
コンビニや漫画喫茶、人の行き交う駅前の喧騒で心を鎮めると、結局いつもの公園へと辿り着く。
青い、所々ペンキの剥がれたベンチに座って、ペンギン遊具の無表情な目に見つめられながら。マリアはそのペンギンの頭部の向こうを、ぼうっと見上げていた。
3階建てのビル。その2階に位置するファストフード店のガラス張りの窓際に、時々見える店員の横顔。店内で食事をとる客へとトレイを運び、番号の書かれたプレートを回収する彼の顔が、爽やかに微笑む。
それは、マリアの部屋に溢《あふ》れるキャンバスと同じ顔だった。
「いつもお疲れ様。ねえ、今日バイト何時に終わる? 大体いつも21時だけど、時々22時の時もあるからさ。あ、今日木曜日だっけ。それじゃあ21時上がりか」
公園の街灯に白く照らされながら。ガラスの向こうを行き来する彼とその客を見て、マリアは口を動かす。
「あれ。今話していた女の子、一昨日もお店に来ていたよね。あ、角の席の子も。少し前に同じハンバーガー頼んでた。顔、一緒だもん。マリア記憶力いいって言わなかった?」
段々と感情の昂るマリアの声に、公園を通り掛かるカップルが視線を向けた。
“あの子、1人でしゃべってる”
“やめろって。ジロジロ見んなよ”
“え、やっぱ見えてるよね?”
“そりゃ見えてるけど”
“よかった。髪は黒くて重たいし、なんか妙に細いし影薄いし。幽霊だったらどうしようかと——”
ぐりん、と。マリアの頭部が小声のやりとりを捕らえた。
サイドを刈り上げた爽やかな黒髪。太めの眉毛に切れ長な一重、通った鼻筋、薄い唇。ほんのり赤らむニキビは、実物より些か控えめだ。
男の顔を、マリアは目を瞑ってでも正確に描ける自信があった。
遮光カーテンの引かれた室内、明かりは絵を照らすスタンドライトのみ。床に散乱するキャンバス全てに無数の彼が存在し、そのどれもがマリアに向かって薄ら微笑む。
マリアはいつだって、同じ人物しか描かない。
「ちょっと。いつまでそうしてるの」
自室の扉が開いた。怪訝に眉を吊り上げる母親が、鼻をつまみながら首を引っ込める。
「ねえ、窓開けなさいよ」
「……」
「ゴミも。いい加減にしなさい」
紙風船を膨らましたように、無数のコンビニ袋が散乱する。コップの中で干からびた麦茶は、1ヶ月も前から同じ場所にあった。
「学校は?」
「行かない」
「言っとくけど、留年したら学費は払わないわよ。辞めるならさっさと辞めて、働きにでも出たらどうなの」
「絵が描けなくなる」
「絵、ねえ……」
母親は床に散らばるキャンバスの中から1枚拾い上げると、フンっと鼻を鳴らす。
「マリアの絵、ママ嫌いじゃないわよ? でもそれは母親だから思うのであって、これくらいの絵、みーんな描ける。最近は似たような男の子ばかり描いて……ねえ、誰? これ」
「早船暁人」
「いや、だから誰よ。アイドル?」
「うるさいな、勝手に触らないでよ!」
マリアは筆を床に投げつけ、ドタドタと大袈裟に足音を立てながら母の元に向かうと、キャンバスをひったくった。
「放っておいて。もう、ママには期待してない」
「はあ? 期待? あんた親をなんだと」
「わかってるよ!」
母親の肩を不本意にも突き飛ばし、自室を飛び出す。玄関を出て、アパートの鉄骨階段を駆け降りると、マリアはそのまま走った。
コンビニや漫画喫茶、人の行き交う駅前の喧騒で心を鎮めると、結局いつもの公園へと辿り着く。
青い、所々ペンキの剥がれたベンチに座って、ペンギン遊具の無表情な目に見つめられながら。マリアはそのペンギンの頭部の向こうを、ぼうっと見上げていた。
3階建てのビル。その2階に位置するファストフード店のガラス張りの窓際に、時々見える店員の横顔。店内で食事をとる客へとトレイを運び、番号の書かれたプレートを回収する彼の顔が、爽やかに微笑む。
それは、マリアの部屋に溢《あふ》れるキャンバスと同じ顔だった。
「いつもお疲れ様。ねえ、今日バイト何時に終わる? 大体いつも21時だけど、時々22時の時もあるからさ。あ、今日木曜日だっけ。それじゃあ21時上がりか」
公園の街灯に白く照らされながら。ガラスの向こうを行き来する彼とその客を見て、マリアは口を動かす。
「あれ。今話していた女の子、一昨日もお店に来ていたよね。あ、角の席の子も。少し前に同じハンバーガー頼んでた。顔、一緒だもん。マリア記憶力いいって言わなかった?」
段々と感情の昂るマリアの声に、公園を通り掛かるカップルが視線を向けた。
“あの子、1人でしゃべってる”
“やめろって。ジロジロ見んなよ”
“え、やっぱ見えてるよね?”
“そりゃ見えてるけど”
“よかった。髪は黒くて重たいし、なんか妙に細いし影薄いし。幽霊だったらどうしようかと——”
ぐりん、と。マリアの頭部が小声のやりとりを捕らえた。
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