仮面の裏側

根鳥 泰造

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「君達に分るかい、その時の私の敗北感が……。だから私は彼女の期待に添える人間になろうとした。それなのに彼女は変わってしまった」
 堂上氏は、頭を抱え、絶望に打ちひしがれている。普段は表情に顔に出さない菊池が、いかにも勝ったと、満足げにしている。一度も、挫折を味わったことが無いボンボン育ちで、人の心の痛みもわからない冷徹な男なのだろう。
 俺は二人の会話を静観すると決めていたが、あまりに堂上氏か可哀そうでならなかった。
「堂上さん。あなたの努力は無駄じゃありません。彼女は今、蝶を直接殺してはいないかもしれませんが、人の本性はそう簡単に変わったりしません。ついさっきも、部屋に迷い込んだ紋白蝶を見て、『殺して』と口ずさみました。この耳で確かに聞きました」
 俺の助言で、彼は急に目を輝かせ、元気を取り戻した。
「そうか、彼女は今でも生き物を殺せと言うんだな。なら良かった。私の努力は無駄じゃ無かった」
 彼は、今度は声を上げて笑い出した。
「君は、父親譲りの冷徹な心を持っているから、分らないんだ。敬虔なカトリックの私が、悪魔になるのは大変だったんだ。助けてと泣き叫ぶ声を聞きながら、震える手を抑え、殺す苦痛を……。私は十年間、その苦痛に耐え、努力により君達の狂気に辿り着いた。これで、どうどうと麗子さんを迎えにいける。ようやく彼女と一つになれる」
 そこまで言うと、堂上氏は急に苦しそうに胸を押さえ、ポケットから小さなスプレー缶を取り出し、舌の裏側に噴霧した。
 どうやら、彼の病気とは狭心症らしい。
 それなのに、野良猫を殺しまくって、悪魔になろうと努力してきたということか。さっき、菊池が空き地に捨てられていたという子猫も、もう彼によって、殺されたという事なのだろう。かわいそうに。
「大丈夫ですか」
 俺は彼の背中を擦りながら、そんなことを考えていたが、彼を悪魔に変貌させたのは、菊池一家だ。
 菊池を見ると、いつもの自分に戻り、苦しんでいるさまを見ても、平然と何の表情もださなくなっていた。
 こいつらこそ、本当の悪魔だ。いつか、天の捌きを下してやる。
「ありがとう。君達と話ができて良かったよ。送って行けないが大丈夫だよね」
 まだ苦しそうに胸を押さえていたが、俺たちは、この家を立ち去ることにした。

 菊池邸への道中、菊池は一言も離さなかった。思う事があるはずなので、どう報告するかを考えているのだろう。
 俺も、思わぬ火種を手に入れ、これでどうやってこの親子を苦しめてやるかを思案して、二人で黙々と歩いた。

 あいつの部屋にいくと、態とベッドの下を確認せずに、彼の部屋のあちこちを捜し歩いた。
「おかしいな。何処に置いたんだろう」
 少しでも時間を稼げば、俺がまた戻って来たと菊池の母親の耳に入り、彼女が夕食に誘ってくれるのではと期待したからだ。
 だが、菊池はベッドの下を覗き、「これじゃないか」と見つけてしまった。
「こんな所にあったのか?」
 堂上氏の件で、菊池の母親を追い詰めて困らせてやろうと思っていたが、居座る理由がなくなってしまった。ジャズなんて興味がないので、もう一度レコードを聞かせてくれというのも、不自然だ。
「じゃあ俺、帰るから……」
 二人で部屋を出て玄関へと向かっていると、丁度、菊池の母親が階段を登ってきた。
 さっきのドレス姿のままで、胸の谷間がハッキリと見えて、ドキリとする。
「あら、もう帰るの?」彼女は微笑んだ。
「ええ」
「折角だから、夕食を一緒に食べていかない?」
「いいんですか?」
「勿論よ。食事はみんなで食べる方が楽しいでしょう」
 隣の菊池は、俺がさっきの話を言い出すのではと、びくびくしている筈なのに、やはり表情を変えていない。
「では、お言葉に甘えて……」
「準備ができたら呼ぶから、祐介の部屋で、もう少し待っていてくれる?」
 そう言って、彼女は再び階段を降りて行った。

 今のところ、概ね順調だ。想定外の要因の出現で、作戦変更することにしたが、もっと有効な活用法はないだろうか。
 菊池の部屋に戻り、そんなことを考え始めたら、菊池が「今日の話は母には内緒にしてくれ」と言ってきた。
 動揺している素振りはないが、内心、かなり動揺している。こんな好機を逃す訳にはいかない。
「でも、あいつ、すぐにプロポーズしに来る様なことを言っていたじゃないか。直ぐに、俺らと会っていたことも知れる。隠している方が不自然だ。それに、なんで『子猫を殺せるの?』なんて言いだしたのか、その訳も知りたいし……」
「いや頼む。あとのことはどうあれ、今はあいつと会わなかった事にしておいてくれ」
 漸く、困った顔を俺に見せた。もっともっと苦しめてやりたいが、少し優越感を感じられたことので、俺はそれを承認した。

 その後は、俺の文庫本の内容や、ミステリーに興味があり、ミステリー研究会に入ろうか迷っている等の話をして時間を潰し、家政婦が呼びに来たので、彼女についていった。
 案内されたのは、さっきの長テーブルの部屋ではなく、カウンターテーブルのあるダイニングルームで、六人掛け程度の四角いテーブルを囲んでの食事となった。
 食事も、菊池の豪邸ならきっとフランス料理のフルコースだろうと期待していたが、ちょっと贅沢な家庭料理というレベルで、普通に箸で食事した。
 元貴族といっても、庶民とさほど違いはない。
 食事中、部活や趣味について訊かれ、面白可笑しく笑いを取りながら返し、俺はどうやって彼女の残忍性を暴こうかと考えていた。
 菊池からは、堂上の事は何も話すなと釘を刺されていたが、少し話が途切れた隙に、彼女に直球で訊くことにした。
「お母様は、子猫のような可愛い動物が嫌いなのですか? 夕方にも蝶を殺してなんて言っていましたよね」
 向かいに座る菊池の顔がピクリと痙攣したのに気づいたが、俺は彼女を見つめ続けた。
 彼女は一瞬、少し困った顔をして、再び笑顔になって話し始めた。
「動物は好きよ。でも哀れに媚を売って、同情を惹こうとする子犬や子猫は好きじゃない。蝶も綺麗でしょうと自慢して飛ぶでしょう。だから大嫌い。それだけよ」
「だからと言って、『殺して』は無いでしょう。今朝、子猫がそこの空き地に捨ててあったそうです。嫌いでも、流石にエアガンを向けて動物虐待をしようとしていたら、注意して止めますよね」
「私は静観すると思うわ。そして中途半端に傷つけて帰ろうとしたら注意する。ちゃんと殺してあげなさいって。そして、殺す事ができたら、その子の頭を撫でて、頑張ったわねと褒めてあげる。実は昔、目ヤニを垂らした病気持ちの子猫が私に擦り寄って来て、主人に殺してと頼んだ事があるの。彼はその猫の尻尾を持って、木に叩きつけて殺してくれた。それを見た時、なんて頼もしくて素敵な人だろうと思ったわ。周囲の人から何と思われようが、私のために、冷徹に実行してくれる人って、素敵じゃない」
 俺は平然と話す夫人をどなり付けたくなったが、ぐっと拳を握りしめて堪えた。
 すると菊池が口を開いた。
「実は内緒にしていたけど、さっき堂上さんという人に会ったんだ。知っているよね?」
 あんなに内緒にしろと懇願してきたくせに、自分から話し始めた。俺の追及で、もう隠し切れないとおもったのかも知れない。
「堂上さん? 誰かしら……」
「プロポーズして、母さんから、猫を殺せないような男は御免だと振られた話も聞いた。分らないはずないだろう」
「それなら分ったわ。彼は三島だから、こんな所にいる訳がないと除外しただけよ」
「去年、ここに引っ越して来たんだって。今はここから五分の所に、独りで住んでるよ」
 彼女は、少し戸惑いの表情を浮かべてから、にっこりと微笑み返した。
「もう十年も昔のことよ。彼が何処に住んでいても関係はないわ」
「元彼だったんだろう」
 菊池が大声を出すのを俺は始めて見たが、これで菊池は彼女を愛しているのだと確信した。
 堂上が頑張ってくれれば、この件で、一波乱起こせるのは、間違いない。
「そんな大声を出して……。お客様がいるのよ。その話は後にしましょう」
 その後は、彼女が旦那との楽しかった思い出話をしてくれたが、菊池は終始沈黙して項垂れていた。
 今日は、こんなにも感情を表に出す菊池を見れるとは、思わなかった。あの件で、俺には、平気で感情を見せる様になったということかもしれない。
 それなら、奴にあれこれアドバイスして……。
 俺の中の悪魔がどんどん大きくなっていったが、その後は俺も突っ込んだ話を敢えてせず、食事が終わると直ぐに御暇した。

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