9 / 58
「安倍晴明」
九、白檀の香り
しおりを挟む
(もう、なんとでもなれっ……!)
勢いよく中に入った保憲に続いて、小春も頼道たちの前へ躍り出る。
しん、と静まりかえった部屋の中。
頼道と頭中将が、目を丸くして小春たちを見つめていた。
――もともと凍っていた空気を、さらに凍らせたのがよく分かった。
半泣きになりながら保憲を見ると、保憲はにこにこと人当たりの良い笑顔を貼り付けながら、頼道と頭中将の前で平伏した。慌てて、小春もそれにならう。
「お呼びに預かりました。賀茂保憲と申します」
朗々と名乗る保憲の声は、静まり返った部屋のなかによく響いた。
「ぶ、無礼な。ここは頼道さまの御前だぞ……!」
「よい、頭中将」
声をあげた頭中将を制したのは、頼道本人だった。
「陰陽師を呼んだのは私だ」
「顔をあげよ」
大木を思わせるような、低くしゃがれた声がかかり、小春はおそるおそる顔をあげた。
恰幅のよい体に、ぎょろりとした瞳。
射抜くような頼道の視線に、小春は思わず体を震わせる。
「忠行から、話は聞いている。そちが忠行の息子か」
「はい。忠行は私の父にあたります」
「そして……おぬしは、安倍家の?」
「はい。安倍晴明と申します」
内心どきどきしながら、名を名乗る。
頼道は保憲と小春を品定めするような視線で見たあと、手に持っていた扇をぱっと広げた。
「おぬしらに依頼がある。……頭中将、おぬしも聞いておれ」
「……はっ」
頭中将が小さく答えた。
「わしは、娘があやかしに憑き殺されたものと思っている。ついこの間まで、娘とは言葉を交わしていたのだ。……そのときも、いつも通りだった。娘が死を選ぶだなんて、まるっきり思えんのだ」
そこまで言って、頼道は口を切った。
一呼吸おいて、じっと小春たちを見据える。
「……ついては、おぬしら陰陽師に、娘を殺したあやかしを探してもらいたいのじゃ」
「そのつもりで参りました」
間髪をおかずに答える保憲。
「この事件、私たちが必ずや解決いたしましょう」
保憲の言葉に、頼道の目がきらりと光ったように見えた。
「頼りにしておるぞ」
「はっ」
保憲と小春は、そろって声をあげた。
こうして依頼人から直々に声をかけてもらえるというのは、気合が入る。
「ところで……。なぜ頭中将さまもご臨席されているのでしょう」
保憲がたずねると、頭中将はばつの悪そうな顔をした。
そんな頭中将に、頼道は厳しい視線を向ける。
「……わしは、娘が恋敵に憑かれたのではないかと、ふんでいる」
「ふむ。そこで、恋仲であった頭中将さまも何かしらの関係があるのではないか、ということですね」
保憲の言う通り、もし本当にあやかしの仕業なのであれば、頭中将と恋仲であった姫君が狙われるというのも一理ある。これだけの色男である頭中将であれば、姫君のほかに恋人がいてもおかしくない。他の恋人が、姫君を妬んで生霊と化すのもあり得る話だ。光る君の物語でも、六条の御息所は葵の上を妬み、生霊となって葵の上を呪い殺した。
(私が見たあの女性は、姫君を妬んだ誰かの生霊なのだろうか……)
だとすれば、姫君を殺したのは頭中将のようなものだ。
だからこそ、先ほどまで頼道と頭中将のあいだに諍いがあったのだろうと合点がゆく。
「私にご協力できることがあれば、協力させてくれ」
居心地が悪そうにたたずんでいた頭中将が、小春たちに声をかけた。
その瞬間、ふっとまた白檀の甘ったるい香りが漂い、一瞬だけ意識が持っていかれそうになる。
(……なに、これ?)
そのとき、小春の目にうつったのは、先ほども見たあの女だった。
頭中将の肩にだらりともたれかかるような姿。まるで、頭中将自身を呪っているような――。
「あ、兄上……!」
思わず声をあげた瞬間、火が消えるように女の姿が立ち消える。
保憲をはじめとして、そこにいる全員が小春を怪訝そうに見つめていた。
「失礼しました。何でもございません」
慌てて取り繕うも、胸中には気持ち悪いものが広がる。
(あの女性は、誰なんだろう)
また、顔が見えなかった。
顔が見えたところで、何か調査の得になるかと言われれば、そうではないことは分かっている。
ただ、表情さえ見ることはできれば、何か手がかりになるかもしれない、と小春は思った。
勢いよく中に入った保憲に続いて、小春も頼道たちの前へ躍り出る。
しん、と静まりかえった部屋の中。
頼道と頭中将が、目を丸くして小春たちを見つめていた。
――もともと凍っていた空気を、さらに凍らせたのがよく分かった。
半泣きになりながら保憲を見ると、保憲はにこにこと人当たりの良い笑顔を貼り付けながら、頼道と頭中将の前で平伏した。慌てて、小春もそれにならう。
「お呼びに預かりました。賀茂保憲と申します」
朗々と名乗る保憲の声は、静まり返った部屋のなかによく響いた。
「ぶ、無礼な。ここは頼道さまの御前だぞ……!」
「よい、頭中将」
声をあげた頭中将を制したのは、頼道本人だった。
「陰陽師を呼んだのは私だ」
「顔をあげよ」
大木を思わせるような、低くしゃがれた声がかかり、小春はおそるおそる顔をあげた。
恰幅のよい体に、ぎょろりとした瞳。
射抜くような頼道の視線に、小春は思わず体を震わせる。
「忠行から、話は聞いている。そちが忠行の息子か」
「はい。忠行は私の父にあたります」
「そして……おぬしは、安倍家の?」
「はい。安倍晴明と申します」
内心どきどきしながら、名を名乗る。
頼道は保憲と小春を品定めするような視線で見たあと、手に持っていた扇をぱっと広げた。
「おぬしらに依頼がある。……頭中将、おぬしも聞いておれ」
「……はっ」
頭中将が小さく答えた。
「わしは、娘があやかしに憑き殺されたものと思っている。ついこの間まで、娘とは言葉を交わしていたのだ。……そのときも、いつも通りだった。娘が死を選ぶだなんて、まるっきり思えんのだ」
そこまで言って、頼道は口を切った。
一呼吸おいて、じっと小春たちを見据える。
「……ついては、おぬしら陰陽師に、娘を殺したあやかしを探してもらいたいのじゃ」
「そのつもりで参りました」
間髪をおかずに答える保憲。
「この事件、私たちが必ずや解決いたしましょう」
保憲の言葉に、頼道の目がきらりと光ったように見えた。
「頼りにしておるぞ」
「はっ」
保憲と小春は、そろって声をあげた。
こうして依頼人から直々に声をかけてもらえるというのは、気合が入る。
「ところで……。なぜ頭中将さまもご臨席されているのでしょう」
保憲がたずねると、頭中将はばつの悪そうな顔をした。
そんな頭中将に、頼道は厳しい視線を向ける。
「……わしは、娘が恋敵に憑かれたのではないかと、ふんでいる」
「ふむ。そこで、恋仲であった頭中将さまも何かしらの関係があるのではないか、ということですね」
保憲の言う通り、もし本当にあやかしの仕業なのであれば、頭中将と恋仲であった姫君が狙われるというのも一理ある。これだけの色男である頭中将であれば、姫君のほかに恋人がいてもおかしくない。他の恋人が、姫君を妬んで生霊と化すのもあり得る話だ。光る君の物語でも、六条の御息所は葵の上を妬み、生霊となって葵の上を呪い殺した。
(私が見たあの女性は、姫君を妬んだ誰かの生霊なのだろうか……)
だとすれば、姫君を殺したのは頭中将のようなものだ。
だからこそ、先ほどまで頼道と頭中将のあいだに諍いがあったのだろうと合点がゆく。
「私にご協力できることがあれば、協力させてくれ」
居心地が悪そうにたたずんでいた頭中将が、小春たちに声をかけた。
その瞬間、ふっとまた白檀の甘ったるい香りが漂い、一瞬だけ意識が持っていかれそうになる。
(……なに、これ?)
そのとき、小春の目にうつったのは、先ほども見たあの女だった。
頭中将の肩にだらりともたれかかるような姿。まるで、頭中将自身を呪っているような――。
「あ、兄上……!」
思わず声をあげた瞬間、火が消えるように女の姿が立ち消える。
保憲をはじめとして、そこにいる全員が小春を怪訝そうに見つめていた。
「失礼しました。何でもございません」
慌てて取り繕うも、胸中には気持ち悪いものが広がる。
(あの女性は、誰なんだろう)
また、顔が見えなかった。
顔が見えたところで、何か調査の得になるかと言われれば、そうではないことは分かっている。
ただ、表情さえ見ることはできれば、何か手がかりになるかもしれない、と小春は思った。
0
あなたにおすすめの小説
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―
島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる