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第10話 ルール
しおりを挟む数日前までの私は、誰かと住むなんて考えられなかった。
住むどころか、長時間誰かと一緒にいることだって無理だった。
それが例え、仲の良い女友達でも。
「少し窓開けるよ」
外から帰ってくると、閉め切っている部屋の空気の悪さに気付く。
この家に来てから、ただずっとテレビを見ているイヴェリス。
その前を横切り、部屋の窓を開ける。
涼しい夜風が入りこんできて、カーテンがふわっと膨らんではもとに戻ってく。
「はぁ……。」
私はそのままベランダに出て、空を見上げた。
マンションの3階から見える景色なんて、たいしたことはないけど、それでも私にとっては、家の中に居ながら外との繋がりを感じられるこのベランダが好き。
一歩でも家の外に出れば、何も変わらない日常がそこにはあって、今日も誰かが泣いたり笑ったりしている。
そんなことを考えると、私が今いる世界は、とても遠くて、狭くて、小さく感じる。
最近は、泣きも笑いもあまりしなくなっちゃったな。
ふと、振り返って薄暗い部屋の中を見ると、風で揺れるカーテンの隙間からイヴェリスと目が合ってしまい、慌てて視線を空へと移した。
な、なんでこっち見てんのよ……。
そのすぐあとに、カーテンが開いた音がしたかと思えば、イヴェリスがベランダへと出てきた気配を背中で感じた。
自分でもよくわからないけど、目が合ってしまったことに妙にドキドキしちゃって、振り返ることができない。
なんで来るの! そんな心の声も、絶対に読まれているはずなのに、イヴェリスは何も言わず、私の隣にきた。
「……この世界の夜は、明るいな」
遠くを見ながら、イヴェリスが言う。
「ま、まあ、一応都会だしね、ここ」
私は動揺を隠しながら、自然と振舞うそぶりをするけど、心臓からは焦りが隠せない。
しばらく沈黙が続く。その沈黙に耐えられなくて、思わず心の中で『何か喋ってよ』って言ってしまった。
するとイヴェリスがゆっくりとこっちを向き
「俺と住むのは、そんなに嫌か?」
なんて、聞いてきた。
その真っ直ぐ向けられた視線を直視できなくて、私はすぐに視線をそらしてしまった。
ついでにおどおどしながら
「そ、そりゃあ嫌でしょ」
と、だけ返した。精一杯の返しだ。
「……そうか」
なんでそんな寂しそうな返事するのよ。
「あんだだって、嫌でしょ? こんな狭い部屋で」
「俺はあの動く壁画が見れればいい」
「光る壁画? あぁ、テレビのこと?」
「テレビ、と言うのか。前に人間界に来たときにはなかった」
「魔界にはテレビないの?」
「ないな、あんなくだらないもの」
くだらないって、好きなんじゃないのかよ。
「テレビなら誰の家にでもあるんだから、私の家じゃなくてもよくない?」
「“分け与える者”のそばから離れられることはできない」
「今日はずっと離れてたじゃん」
「ゴグがいたろ」
「じゃあゴグだけ私のそばに置いといて、イヴェリスはどっか違うところにいればいいじゃん」
「何度も言ったろ。家に住むための通貨を持っていないと」
「働きなさいよ、ホストでもなんでも。あんたの顔なら一発で稼げるんじゃない?」
「ほすと? なんだ、それは」
「女の人とお酒飲んで、楽しくさせて、貢いでもらう仕事だよ」
「ならば、お前が俺に貢げばいいだろ」
「なっ! なんで私があんたに貢がなきゃいけないのよ!」
「俺の顔が嫌いではないのだろう」
「なっ……」
でた。また片側の口角だけ上げて、小ばかにしたような笑い方。
「おあいにくさま。その顔で何人の女を騙してきたかは知らないけど、私は根っからのイケメン嫌いですので」
「いけめん? どういう意味だ」
「顔がいいってことよ!」
「ほう。俺の顔がいいのは認めるのか」
「そ、それは認めるけど!」
なんなら、そのへんのアイドルよりも芸能人よりもスバ抜けてイケメンだとは思う。顔だけはね!
「私はね、そう簡単に誰かを好きになったりしないの。今の今ままで彼氏いたことなんだからね!」
「……それは、誇ることなのか?」
「うっ……」
「まあ、いい。俺からしても女人に好かれるのは面倒でしかない。だからこそ、お前がちょうどいい」
なにこの、ラブコメでイケメンがよく言うセリフ。告白したわけでもないのに、勝手に振られた気分になるこの感じ――
実際に言われると、めちゃくちゃ腹が立つな! 一瞬でもこの吸血鬼にドキッとしてしまった自分が嫌になる!
とは言え、逆にここまで図々しい性格だと、こっちも気を遣わなくていいのは楽だ。
実際に数日一緒に居ても、人見知りしている感覚はまるでない。
いつもなら初対面相手なんて、ひとつも言いたいことなんて言えないし。ましてや話すこともない。お決まりのお天気デッキで会話を乗り切るので精一杯だ。
でもイヴェリスの場合は、気を遣ったところで心を読まれているから嘘をつくだけ無駄。沈黙にならないようにって、わざわざこっちから頑張って話かけようとしなくてもいい。
それに、吸血鬼だし。
見た目はムカつくほどのイケメンでも、中身はまるで人間とは別物だ。
それが私の中では動物を飼っているのと同じ感覚なのかもしれない。
「わかった! じゃあ条件をつけよう」
「条件?」
「そう、この家に住むなら、最低限のルールは守ってほしい」
「またくだらんことを」
「大事なの!」
「……そのルールとはなんだ?」
「えっとですね」
突発的に思いついて言い出してはみたものの、具体的なルールは考えていなかった。
「はい! ひとつめは、絶対に私がお風呂に入っているときは洗面所に近づかない」
「どうでもいいな」
「ふたつめ! 着替えているときも近づかない! みっつめは……」
人と住んだことが無さ過ぎて、逆にルールが思いつかないかもしれない。普通の人間だったら、トイレのあとの便座は下げるだとか、ごみ捨ては交代でするとかあるんだろうけど……。
「あ、さすがに夜は電気をつけさせて! あと昼間もカーテン開けたい!」
「それは無理だ」
「そう言うと思って、いいものをみつけました!」
「いいもの?」
ベランダから部屋に戻って、あるものを探す。確かこのへんにあったんだけど……。
あった!
「じゃじゃーん! これを着けるだけで、たちまち世界が暗くなりまーす」
「なんだこれは」
引っ張りだしてきたのは、少し目が透けるほどのサングラス。
これなら多少明るくても大丈夫じゃないかと思って、練りだした私なりの案だ。
「ちょっとかけてみて」
「なっ……なんだこれは! 眩しくないぞ!」
「ふふふ、すごいでしょ」
「おお、これは快適だ」
本人も気に入った様子で、サングラスをかけたり外したりしながらキョロキョロと辺りを見回しては、楽しそうにしていた。
「でー。寝るときはアイマスクつけてもらう! これは通販で買ってあげるから待ってて」
「アイマスク? それも暗くなるのか?」
「うん、寝る時用の目隠しみたいなものだよ」
「ほう……。そんなものまであるのか」
夜中ずっとテレビの明かりが鬱陶しかったから、私もちょうど欲しかったし。
これでお互い快適に――
って、違くない!?
まただ。またイヴェリスのペースに飲み込まれている。っていうか、この状況をすぐ受け入れようとしている私はなんなの?
絶対嫌でしょ! 嫌なはずでしょ! だって死ぬんだよ?
先の未来のことはわかっているはずなのに、今日だってあんなに帰りたくなかったのに。
でも、家に誰かが居てくれるって久しくなくて、どこかでホッとしている自分もいて。
自分でも理解できないほどの複雑な感情が、モヤモヤではなく、グルグルと渦を巻いてひとつの塊みたいになっていた。
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