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第55話 早く帰ろう
しおりを挟むお店の閉店時間は4時。
今は3時40分。
つまり、あと20分ほどで家に帰れる。
さすがにこの時間にもなるとお客さんは少ない。カウンター席に一組とテーブル席に一組。そして美月さんがいるくらいだ。
「ふあ~」
夜更かしが得意とはいえ、この時間に家でゴロゴロしているのとはわけが違う。お客さんがまだ居るというのに、つい大きなあくびが出でしまった。
「眠いか?」
「うん、ちょっとね」
カウンター席のお客さんが先に帰り、イヴェリスと一緒に後片付けをする。
「帰ったらすぐ寝よう」
カウンターを挟んで向かい側にいるイヴェリスが小声で放った一言で、また顔がニヤつきそうになる。いや、今回はさすがに顔に出ちゃってる。ふふって声にはでてないけど、頬が緩んでしまう。そして目の前にいるイヴェリスもまた、そんな私を見て頬が緩んでいるような気がした。
すると、奥の席にいたはずの美月さんがカツカツとハイヒールの音を鳴らしながらこちらにやってくる。カウンターテーブルを拭いているイヴェリスに辿り着くと……
「ねぇ。ナズナってば、今日は全然相手にしてくれないじゃん」
「あー……忙しくて」
「なんか冷たくない?」
お決まりと言った感じで、イヴェリスの左腕に絡みつくように自分の腕を巻き付けている。顔1つ分の身長差を縮めるためか、さらにイヴェリスの腕を下へと引っ張ると、イヴェリスの耳元に美月さんが顔を寄せる形になった。
「ねぇ、このあと家おいでよ」
美月さんがイヴェリスの耳元で誘っている声が聞こえる。
「なぜだ?」
その言葉に、少し怪訝そうな顔で聞き返すイヴェリス。
「そんなの、二人で飲みたいからに決まってんじゃん。ねーいいでしょー」
耳元から離れると、少し上目遣いしながらイヴェリスの腕を左右に揺らす。
「いや、帰って寝たい」
「うちで寝ていいよ?」
自分の可愛さをわかっている人にしかできない猫なで声。今まで、これで堕ちない男はいなかったのだろう。イヴェリスが人間の男だったら、この誘惑には敵わなかったと思うけど……
「美月さんの家で寝る理由がない」
「だ、だったら、私がナズナんち行く!」
イヴェリスがかわそうとしても、逃さないとばかりにグイグイと迫る美月さん。
「一人暮らしで色々と大変でしょ? 私が面倒見てあげるって」
そう言いながら、だんだんと美月さんの腕がイヴェリスの腰の方へと回ってく。
ここで私が二人を止めれば完全に変な目で見られるし、かと言って黙って見ているだけなのもモヤッとする。今すぐにでも「私の彼氏なんですけど!」って言ってしまいたい気持ちをグッとこらえる。
「とくに困ってることはないから大丈夫」
でもイヴェリスは、ニコッと営業スマイルをしながら美月さんの腕をそっと自分の腰からほどいた。
「もおっ! ガード硬すぎ! どう思います? こんなに女の子が誘ってるのにのらない男って!」
「え? 私?」
かと思ったら、急に美月さんが私の方に向いて話を振ってきた。
まさか私に絡んで来るとは思ってもみなかったから、動揺で手から布巾が落ちる。
「あなた智の妹さんでしょ?」
「あ、は、はい」
「なんで今日はお店にいるの?」
「あ、なんか人手不足で……」
腕組しながら私を見ている美月さんの視線から逃れるように、落ちた布巾を拾うために屈む。
「なんか、二人とずいぶん仲良さそうですよね」
顔をあげると、美月さんの視線も口調も鋭い針のように私を刺し殺そうとしてくる。
「あの、別に、仲がいいとか……そういうんじゃ」
正直、なんて言ったらいいかわからなくて、しどろもどろしていると
「ダメですよ。二人が優しいからって勘違いしちゃ」
そう言いながらニッコリ笑う美月さんの目は、まったく笑っていなかった。
勘違いってなんだよとか思いながらも、あははって笑ってごまかすことしかできない自分が情けない。
「美月さん、今タクシー呼ぶから」
「えーやだ。ナズナと帰るっ」
「それはできないから」
「なんでー。ナズナ彼女いないって言ったよね?」
「それは……」
こんな時に限って、兄はタバコを吸いに外に出てるし。このままでは、イヴェリスが「蒼と付き合ってる」って、言い兼ねない空気になってきてしまった。
「なにしてんだ?」
そこに、ゴミを出しに外に行ってたトマリが戻ってくる。
「あ! トマリもうちおいでよ! 二人ならナズナも嫌じゃないでしょ?」
グッドタイミング! とばかりに、トマリにヘルプの視線を送る。この人は、とにかくイヴェリスをお持ち帰りしたいようだ。でも、今のこの状況を理解していないトマリは、一人一人の顔ぶれを見ると無邪気な顔で
「蒼も一緒か? それなら行く」
と、返してしまった。
「はぁ……?」
その言葉に、美月さんの眉頭がピクッと動く。
「トマリ……!」
私が焦ってトマリを肘で小突くと、彼は「なんだよ」って言いながら、私を見る。
「ふうん……」
その様子すらも、美月さんにとっては火種だったのかもしれない。
イラッとした顔で、私を見てくる。
『なんでこんな女が?』って顔に書いてあるような気がした。
なにか嫌味のひとつでも言われるのかと覚悟をしていたら
「美月、タクシー来たぞー」
一服から帰って来た兄が、この空気を断ち切るように戻って来た。
「私、まだ帰るなんて言ってない!」
「もう今日は店じまい。ほら、今日の分はツケにしといてやるから」
「ちょっとぉ!」
いつのまにかタクシーも呼んでいたらしく、美月さんを追い出すようにイヴェリスから引き離し、一緒にお店を出ていく。タバコを吸いに行くとか言ってたけど、この空気になるのを察してついでにタクシーも捕まえてたんだ。
「ふ~。終わった終わった~」
美月さんがいなくなった店内で、トマリが両腕を高くつき上げ伸びをする。
「みんなお疲れ~。あとは俺がやっとくから、帰っていいぞ~」
すぐに、美月さんを送った兄が戻ってくる。
「蒼、急に悪かったな」
「ううん、楽しかったからいいよ」
「え、珍しい」
「なに」
「いや。お前、ナズナと付き合ってから少し変わったな」
「そう?」
「いいことだ」
「ちょ、やめてよっ」
たばこ臭い手で、乱暴に頭をわしゃわしゃとされる。
なんだか久しぶりにお兄ちゃんがお兄ちゃんっぽい気がして、少しむずがゆかった。
「トマリ、お腹がすいたらコンビニで買うんだからね」
「わかってる」
「困ったことがあったらいつでも来ていいから」
「わかってるー」
「動物も人も食べちゃダメだからね!」
「わかってる!」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
帰り際、トマリにしつこいくらい食べ物について言うと、鬱陶しそうに同じ返事を繰り返す。まるで話を聞いているようで聞いていない弟のようで。少し重いお店のドアをイヴェリスが開けてくれて、地上に続く階段を上る。空は明るくなりかけていて、早朝特有の何とも言えない清々しさがあった。
「疲れたろ」
「うんー」
さすがに眠い。
でも、疲れた分、数時間ぶりに触れるイヴェリスの手が嬉しくてたまらない。いますぐスリスリと頬ずりでもしたい気分だったけど、さすがに無理なのでぎゅっと握るだけで我慢。
指は細くて綺麗なのに、握られるとがっしりしている。体温こそないけど、それすらもイヴェリスを感じられて好き。
「とぶか?」
大通りでタクシーを待っていたけど、なかなか空車が通らず。
痺れをきらしたイヴェリスが瞬間移動で帰るか提案してくる。
「魔力使うのも疲れるでしょ」
「いや、このくらい大丈夫だ。それに早く二人きりになりたい」
私も同じ気持ちだった。早くイヴェリスと二人きりになりたい。
そのまま、繋がれた手を引かれ人気の居ない路地裏へと連れて行かれる。
「離れるなよ」
「うん」
イヴェリスの左手が私の腰にしっかりと巻き付き、私も離れないようにイヴェリスの腰にぎゅっとしがみついて目をつぶった。
パチンッ
右手でイヴェリスが指を鳴らす。一瞬、突風が吹いたよう感覚に全身が包まれて――
「もういいぞ」
「え?」
目を開けると、もう家の玄関に居た。体感1秒もないくらいだ。
「うわあ、すごい」
「ふっ。蒼は魔力を使うといつも子供みたいな顔になるな」
「だって、ほんとにすごいんだもん!」
瞬間移動なんて、普通に生きていたら絶対に体験できないことだし。
イヴェリスが電車に感動するように、私はこれで感動ができるのだ。
「はあ~。やっとくっつける」
すぐ近くに居るのに、イヴェリスに触れられないことが思っていたよりも自分のなかでしんどかったらしく。靴を脱いで早々、イヴェリスにもう一度抱き着いた。
「くっつきたかったのか?」
「え? うん、まぁ」
「そうか」
なんでそんなに嬉しそうに笑ってくれるんだろう。さっきまで握っていたイヴェリスの手が、頭を優しくなでてくれる。
「でも、先に風呂に入らねば」
「あ、そうだね」
前はシャワーすら入らなかったくせに、今は私よりもこまめにお風呂に入るようになってるし。本当は、お風呂に入る時間すらも離れたくなかった。
「蒼が先に入っていいぞ」
「うん……」
イヴェリスがお風呂から出るのを待っている間に眠ってしまいそうだし。どうしようか考えた結果、自分の口から出てきたのが
「一緒に入る……?」
だった――
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