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夜陰の皇帝に娶られた荊姫
第一章:偽りの終焉
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「セラフィナ・クローヴィス! この場を借りて、貴様との婚約を破棄させてもらう!」
金糸銀糸の刺繍が施された豪奢なタペストリーが壁を飾り、天井からは巨大なシャンデリアが眩い光を振りまく。王侯貴族たちが集う、年に一度の建国記念パーティー。その華やかな喧騒の中心で、私の婚約者であるゼフィランサス・アスター公爵子息の声が高らかに響き渡った。
周囲のざわめきが、ぴたりと止まる。全ての視線が、私――セラフィナ・クローヴィスと、彼の腕に庇われるように立つ可憐な少女に突き刺さった。亜麻色の髪をふわふわと揺らし、大きな青い瞳を潤ませる彼女は、確か…新興の男爵家の令嬢、イソベラ・ブルーベル。
「ゼフィランサス様、どういう…ことですの?」
私は努めて冷静に、しかし内心の動揺を声に乗せないように尋ねた。背筋を伸ばし、クローヴィス侯爵家の長女としての矜持を保つ。幼い頃から、感情を顔に出さないようにと厳しく躾けられてきた。今こそ、その成果を発揮する時だ。
ゼフィランサスは、勝ち誇ったように私の顔を見下ろした。プラチナブロンドの髪、空色の瞳。神が寵愛を注ぎ込んだかのような美しい顔立ちは、しかし今、醜い傲慢さで歪んでいる。
「聞こえなかったのか? 貴様のような、感情の読めない氷の人形との婚約は破棄する。私が本当に愛しているのは、このイソベラだけだ! 彼女こそ、私の心を温めてくれる唯一の存在なのだ!」
イソベラが「まあ、ゼフィランサス様…!」と頬を染め、彼の腕にすがりつく。そのわざとらしい仕草に、会場のあちこちから失笑が漏れた。だが、ゼフィランサスにはそれが見えていないらしい。彼は完全に、自らが演じる悲劇のヒーローに酔いしれていた。
「氷の人形…ですって?」
私は小さく呟いた。そう、私はずっとそう言われてきた。感情を表に出さず、常に完璧な淑女であろうと努めてきた結果が、それだ。彼のために、アスター公爵家に嫁ぐにふさわしい女になるために、どれほど自分を殺してきたことか。それも、もう意味のないことになった。
ふと、視線を感じて顔を上げる。喧騒から少し離れたバルコニーへと続く扉の近く、影の中に溶け込むように佇む一人の男性がいた。夜そのものを切り取って仕立てたような漆黒の軍服。闇色の髪に、血のように赤い瞳。その尋常ならざる存在感は、周囲の誰をも寄せ付けない冷気を放っていた。
――ナイトレイヴン帝国の皇帝、カシアン・ナイトシェイド。
『血塗れの皇帝』『冷徹なる支配者』と畏怖される、大陸最強の国の主。なぜ彼が、このような小国のパーティーに? 外交記録にも、彼の来訪は記されていなかったはず。
カシアン皇帝は、無表情に、ただ静かにこちらを見つめていた。その赤い瞳が、私の心の奥底まで見透かしているような気がして、思わず身を固くする。
私は彼から視線を外し、再び目の前の茶番劇へと意識を戻した。
「ゼフィランサス様。アスター公爵家とクローヴィス家の婚約は、国王陛下の御前で交わされた正式なもの。それをこのような場で、一方的に破棄するとおっしゃるのですね?」
「そうだ! 愛のない政略結婚など、時代錯誤も甚だしい!」
「…左様でございますか。では、アスター公爵閣下、そして国王陛下のご裁可は既にお済みですのね?」
「そ、それは…これからだ! だが、父上も陛下も、私の真実の愛を理解してくださるに違いない!」
その言葉の甘さに、私は思わず心の中で溜息をついた。この人は、公爵家の嫡男という立場がどれほどの責任を伴うものか、何一つ理解していない。
「承知いたしました」
私は静かに頭を下げた。
「ゼフィランサス・アスター様。貴方様からの婚約破棄、確かにお受けいたします。これまで、ありがとうございました」
「なっ…!?」
予想外だったのだろう。私が泣きわめくなり、取り乱すなりすることを期待していたゼフィランサスとイソベラが、目を丸くして私を見つめている。周囲の貴族たちも、私のあまりに淡々とした態度に息を呑んでいた。
私は彼らに背を向け、一歩を踏み出した。もうここに用はない。父様と母様に、そして陛下にご報告し、謝罪しなければ。クローヴィス家の名に、泥を塗ってしまった。その重圧が、ずしりと肩にのしかかる。
だが、人々の視線が作る道を抜けようとした、その時だった。
「待て」
低く、けれど有無を言わせぬ響きを持った声が、会場の空気を震わせた。
声の主は、カシアン皇帝だった。彼はいつの間にか影の中から歩み出て、私の目の前に立っていた。190センチはあろうかという長身。見上げる私を、その血のように赤い瞳が射抜く。
「…皇帝陛下。私に何か?」
私は礼を尽くして尋ねた。心臓が早鐘を打っている。この男は危険だ。本能がそう告げていた。
彼は私に応えず、その視線をゼフィランサスに向けた。
「公爵子息。貴殿は今、この女との婚約を破棄した。間違いないか?」
「な、なぜ皇帝陛下がそのようなことを…! は、はい! その通りです!」
ゼフィランサスは、大国の皇帝の威圧感に気圧されながらも、虚勢を張って答えた。
「そうか。ならば、この女は今、自由の身だということだな」
カシアン皇帝はそう言うと、再び私に視線を戻した。そして、誰もが予想だにしなかった言葉を口にした。
「セラフィナ・クローヴィス。私のものになれ」
金糸銀糸の刺繍が施された豪奢なタペストリーが壁を飾り、天井からは巨大なシャンデリアが眩い光を振りまく。王侯貴族たちが集う、年に一度の建国記念パーティー。その華やかな喧騒の中心で、私の婚約者であるゼフィランサス・アスター公爵子息の声が高らかに響き渡った。
周囲のざわめきが、ぴたりと止まる。全ての視線が、私――セラフィナ・クローヴィスと、彼の腕に庇われるように立つ可憐な少女に突き刺さった。亜麻色の髪をふわふわと揺らし、大きな青い瞳を潤ませる彼女は、確か…新興の男爵家の令嬢、イソベラ・ブルーベル。
「ゼフィランサス様、どういう…ことですの?」
私は努めて冷静に、しかし内心の動揺を声に乗せないように尋ねた。背筋を伸ばし、クローヴィス侯爵家の長女としての矜持を保つ。幼い頃から、感情を顔に出さないようにと厳しく躾けられてきた。今こそ、その成果を発揮する時だ。
ゼフィランサスは、勝ち誇ったように私の顔を見下ろした。プラチナブロンドの髪、空色の瞳。神が寵愛を注ぎ込んだかのような美しい顔立ちは、しかし今、醜い傲慢さで歪んでいる。
「聞こえなかったのか? 貴様のような、感情の読めない氷の人形との婚約は破棄する。私が本当に愛しているのは、このイソベラだけだ! 彼女こそ、私の心を温めてくれる唯一の存在なのだ!」
イソベラが「まあ、ゼフィランサス様…!」と頬を染め、彼の腕にすがりつく。そのわざとらしい仕草に、会場のあちこちから失笑が漏れた。だが、ゼフィランサスにはそれが見えていないらしい。彼は完全に、自らが演じる悲劇のヒーローに酔いしれていた。
「氷の人形…ですって?」
私は小さく呟いた。そう、私はずっとそう言われてきた。感情を表に出さず、常に完璧な淑女であろうと努めてきた結果が、それだ。彼のために、アスター公爵家に嫁ぐにふさわしい女になるために、どれほど自分を殺してきたことか。それも、もう意味のないことになった。
ふと、視線を感じて顔を上げる。喧騒から少し離れたバルコニーへと続く扉の近く、影の中に溶け込むように佇む一人の男性がいた。夜そのものを切り取って仕立てたような漆黒の軍服。闇色の髪に、血のように赤い瞳。その尋常ならざる存在感は、周囲の誰をも寄せ付けない冷気を放っていた。
――ナイトレイヴン帝国の皇帝、カシアン・ナイトシェイド。
『血塗れの皇帝』『冷徹なる支配者』と畏怖される、大陸最強の国の主。なぜ彼が、このような小国のパーティーに? 外交記録にも、彼の来訪は記されていなかったはず。
カシアン皇帝は、無表情に、ただ静かにこちらを見つめていた。その赤い瞳が、私の心の奥底まで見透かしているような気がして、思わず身を固くする。
私は彼から視線を外し、再び目の前の茶番劇へと意識を戻した。
「ゼフィランサス様。アスター公爵家とクローヴィス家の婚約は、国王陛下の御前で交わされた正式なもの。それをこのような場で、一方的に破棄するとおっしゃるのですね?」
「そうだ! 愛のない政略結婚など、時代錯誤も甚だしい!」
「…左様でございますか。では、アスター公爵閣下、そして国王陛下のご裁可は既にお済みですのね?」
「そ、それは…これからだ! だが、父上も陛下も、私の真実の愛を理解してくださるに違いない!」
その言葉の甘さに、私は思わず心の中で溜息をついた。この人は、公爵家の嫡男という立場がどれほどの責任を伴うものか、何一つ理解していない。
「承知いたしました」
私は静かに頭を下げた。
「ゼフィランサス・アスター様。貴方様からの婚約破棄、確かにお受けいたします。これまで、ありがとうございました」
「なっ…!?」
予想外だったのだろう。私が泣きわめくなり、取り乱すなりすることを期待していたゼフィランサスとイソベラが、目を丸くして私を見つめている。周囲の貴族たちも、私のあまりに淡々とした態度に息を呑んでいた。
私は彼らに背を向け、一歩を踏み出した。もうここに用はない。父様と母様に、そして陛下にご報告し、謝罪しなければ。クローヴィス家の名に、泥を塗ってしまった。その重圧が、ずしりと肩にのしかかる。
だが、人々の視線が作る道を抜けようとした、その時だった。
「待て」
低く、けれど有無を言わせぬ響きを持った声が、会場の空気を震わせた。
声の主は、カシアン皇帝だった。彼はいつの間にか影の中から歩み出て、私の目の前に立っていた。190センチはあろうかという長身。見上げる私を、その血のように赤い瞳が射抜く。
「…皇帝陛下。私に何か?」
私は礼を尽くして尋ねた。心臓が早鐘を打っている。この男は危険だ。本能がそう告げていた。
彼は私に応えず、その視線をゼフィランサスに向けた。
「公爵子息。貴殿は今、この女との婚約を破棄した。間違いないか?」
「な、なぜ皇帝陛下がそのようなことを…! は、はい! その通りです!」
ゼフィランサスは、大国の皇帝の威圧感に気圧されながらも、虚勢を張って答えた。
「そうか。ならば、この女は今、自由の身だということだな」
カシアン皇帝はそう言うと、再び私に視線を戻した。そして、誰もが予想だにしなかった言葉を口にした。
「セラフィナ・クローヴィス。私のものになれ」
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