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第2章

流れ星に乞い願う(4)

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「……降るような星空、って感じだね」

 いつの間にか視線を頭上に戻していた星野が、そう呟いた。

「松澤さん、地球からあの星たちが、どのくらい離れているのか知ってる?」

 不意に、問いかけられて、私は首を振った。

「肉眼でも、270万光年も離れた星を見ることが出来るんだ。光の速さでも、270万年もかかるくらい遠くの光を、僕達は見ている。それなのに、手を伸ばせば届きそうに見えるって、不思議だよね」
「……そう、だね」

 270万光年と言われても、私には想像もつかない。手が届くどころか、私が一生かかっても、辿り着けないような場所。

「僕達が見ている星も、本当はもう、どこにも無いかもしれないんだ」

 同じように星を見上げて、私は黙って星野の言葉を聞いていた。

「それだけ遠く離れている星だから、光が届くのもかなり時間がかかる。だから、僕達が見ているこの星空は、今この瞬間の姿ではなくて、いつか遠い昔に星々が発した光なんだよ。今、こうして光っているように見える星は本当はただの残像で、もう寿命を迎えて、ただの渦になっているかもしれない」
「……」

 淡々とした言葉を聞きながら、急に不安が込み上げてきた。
 慌てて、星野の手を掴む。その感触に、無性に安心した。良かった、星野は残像じゃない。ちゃんとここに、私の隣にいる。
 そんな私を見て、星野は柔らかく笑った。そして、私の手がきゅっと握りこまれる。

「それでもさ、」

 いくぶんか近くなったところから、星野の声が響く。

「この星たちは、本当に僕らを見守っているみたいだよね。星に願いをかける人もいるみたいだけど、本当に、叶えてくれそうだもん」
「……」

 星に願い、か。
 私は何も言えずに、頭上の光を仰ぎ見た。

「松澤さん、この星たちに、君は何を願う?」
「……え?」

 思ってもいないことを訊ねられて、言葉に詰まった。
 星は、優しく明るく、こちらを照らしている。願いをかけたくなる気持ちも、少しだけわかるような気も、する。
 けれど。

「……何も。あんな遠くの星なんて、何も叶えてくれないでしょ」

 結局、私はそう答えた。願いをかけたくなるような星空ではあるけれど、叶えてくれるとは、どうしても思えなかった。

「うーん、じゃあ、流れ星が消えるまでに三回願いを言うと、叶うとも言うよね。例えば、今星が流れたとして、何を願う?」
「例えば、って……」

 流星群の降る季節でもないから星なんて流れないだろう、と一蹴しかけたところで、星野が繋がっている手を優しく持ち上げる。

「ほら、今だって松澤さん、星を掴んでいるんだよ? 星だって、流れそうな気がしない?」
「……」

 思わず、言葉が詰まった。
 星を掴んでいる、確かにそうだ。そもそも宇宙から来た星野という存在自体が、お伽噺のようだもの。そう考えると、ありえないと一蹴するのは、あまりにも寂しい気がする。

「例えば、だよ。例えば、本当に星が流れて、叶えてくれるとしたら? 君は、何を願う?」

 ずっと黙ったままの私に、それでも星野は、訊ねることをやめない。変わらず優しい視線をこちらに向けながら、私に問いかけていた。
 何を、願う? 私は、何を望んでいるんだろう? 星野の言葉が私自身の言葉となって、突き刺さる。駆け巡る。
 例えば、例えばの話だ。本当に願いをかけるわけじゃない。そう、思っているのだけど。
 何も答えない私に、星野は言葉を続ける。

「松澤さん、確かに、願い事は叶えてもらうためだけにあるものじゃないよ。君がそんなに他力本願な考え方ではないと、わかってる。でもね、願い事を心の中にもっているだけだって、十分なんだ。叶えたい願い、夢、目標とも言うよね。それが心の中にあることが、大切なんだと思うよ」

 星野の言葉は、すっと心の中に入ってくる。
 願い、望み、夢、目標。様々な言葉が、私の中を巡る。星が叶えてくれるなどというお伽噺めいたことでなくても、確かに、もっているだけでも大切だとは、思う。
 それなのに。

「……わからない」

 ぽつり、言葉が漏れる。

「何も、ないの。私が何を願っているのか、わからない……」

 星野に、というよりは、自分自身に、私は言葉を紡いでいた。
 ショックだった。何も無い自分が、遠くの星の、あるかどうかもわからない残像よりもよほど空っぽな存在に思えた。

「……そっか」

 星野はそう言いながら、私の手をもう一度、優しく握った。責めるどころか、受け止めてくれるようなその手に、少しだけ安心した。
 星野はそれきり、何も言わない。願いが何も無い、ということに対して何か言われるかと覚悟していたのだけど、彼はそのまま、ただ星を見上げていた。
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