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第3章
光を受ける小さな惑星(3)
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* *
「……ごめん、みっともないとこ見せて」
少しして、泣き止んで、ようやく落ち着きを取り戻した私は、しがみついて泣いたことが恥ずかしくなっていた。
「みっともなくなんてないよ。涙、というものを人間はもっているのだから、たまにそれを使ってあげないと、肝心な時に使えなくなってしまうと思うし。ん? いや、今が使う時だったのかな」
相変わらず独特の感覚の言葉を聞いて、思わずくすりとして少し落ち着いた。
「僕の見ている君はいつだってしっかりしていたけれど、でも、そうしなくてはいけない理由なんて無いんだよ。生き物は、星である僕からすると弱くて脆い生き物なんだもの」
「星視点、なんだ」
慰めてくれているのだろうけれどどこか面白くて、くすくすと音をたてて笑った。叶多はそんな私を見て、どこかほっとしたように目を細めた。
沢山、泣いた。涙と一緒に心の中のもやもやまで流れ出したのだろうか、不思議とすっきりしたような心地だった。叶多の言う通りだ。涙というものをもっているのだから、必要な時には抑えずに使っても良いのだ。
「肩のところ、湿ってない?」
頭を預ける体勢でかなり泣いたので、不安になってそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「大丈夫。ほら、僕は恒常性が人間より強いから、湿ったくらいだったらすぐに元に戻るんだ」
左肩に手をやって、その手を振って見せられた。確かに、見た目にもすっかり乾いている。
「だから、僕の事は気にしないで。いつだって、君の涙を受け止めるから」
そう言って笑う叶多がここにいてくれて、本当に良かったと思った。彼の前でだから、あんな風に泣けたのだろう。いなければ、きっとあのままもやもやしたものを忘れたふりをして、持ち帰っていた。
叶多なら、相談しても受け止めてくれるだろうか。
「……私ね、夢がないの」
唐突な切り出し方になってしまったけれど、叶多は黙って聞いてくれている。辿々しい言葉ではあるけれど、ありのまま、言おうと思った。
「進路、決めなきゃいけなくなって、色々考えた。でも、何もしたいことが浮かばなくてね。将来何がしたいか、どんな自分になっているのか、それすらも浮かばなかったの」
一息で言って、一度、大きく息を吸う。話し始めたら、意外と落ち着いたまま、続けられた。
「でも、わかるまで待ってなんてもらえないし、とりあえず近い大学の、入れそうな学部って決めて、勉強しながら考えてはいたんだけど、やっぱりわからなくて……ううん、本当は、考えてなかったんだと思う。無理矢理志望を決めて、勉強だけして、逃げてたんだと、思う」
叶多は、黙って聞いている。わかりにくい説明だろうに、私の言葉を遮ることも、促すこともしない。それが、心地よかった。
「……真理なんかはね、あの子、しっかりしてるんだよ。吹奏楽ずっとやってて、音楽が好きだから音大に進みたいって、自分で全部調べて、遠いんだけど、一人暮らしするつもりなんだって。私ばっかり、あやふやで、それなのに勉強だけしてて、ほんとに意味あるのかな、って、思っちゃって」
これを誰かに話すのは、もしかして初めてなんじゃないかと思った。今まで真理にも親にも先生にも、言えなかったことだから。
「昔は、そんなことなかったんだけどね。夢とか奇跡とか、そんなこと信じてた。でもいつからか、夢ばっかり追いかけたって何もかもが叶うわけじゃないってわかるようになってから、現実見なきゃとかそんなふうに言って、逃げるようになってたの。現実どころか、自分自身さえ見えてないのに」
「……澄佳は、本当は、夢とか奇跡を信じていたいんだね」
初めて、叶多が口を開く。その言葉に少し驚いて、でも少し考えて、その通りだ、と思った。
「……うん。だから、諦めようとして、肝心なものまで失っちゃったのかな」
へへ、と、自嘲的な笑いがこぼれた。叶多は何も言わずに、それを見つめている。
「何がしたいのか、わからない。大人になるのは色んな道を狭めていくことなのかもね。私は、自分で狭めてしまったのかもしれないけれど。狭めすぎて、何も見えないの。それなのに、周りは進め進めって言うでしょう。ちょっとね、疲れちゃって」
多分、誰も知らないと思う。私がこんなことで悩んでいることを。
「学校でも家でも、受験受験ってそればっかり。私、まだ何も決めてないのに、それでも、見えなくても、道を進まなきゃ、いけないのかな」
そこまで話して、長い長い溜息をついた。
「……ごめんね、面白くない話を、だらだらと」
飽きずに付き合ってくれた叶多に、礼を言った。多分、さして珍しくもない、ありきたりな、それでも私にとっては大きかった、悩み。
叶多が、黙って私の手を握った。その体温に少しだけ驚くけれど、彼は構わずに、それを上に導く。
「……あれ、見える?」
唐突なその行動に戸惑うけれど、素直に従って、示された方向を見上げた。
そこには。
「あ……星……?」
星見峠から見たものとは比べ物にもならないけれど、くすんだ夜空に、たった一つ、星が確かに瞬いている。
叶多はにこりと微笑んで、頷いた。
「そう。こんなところからでも、星は見えるんだよ。あれだけじゃなくて、見えないだけで、沢山の星が、君を見守っている」
「……」
何が、言いたいのかわからない。けれど叶多なりに私に伝えてくれているようか気がして、黙って耳を傾けた。
「ううん、多分、都会で星が見えないんじゃなくて、みんな忙しくて、見る余裕がないんだよね。目の前のことに手一杯で、近くにあるのに、気付かない」
近くにあるのに、気付かない。
それは、例えばあの星だったり、あるいは、私が探している『未来』だったり、するのだろうか?
「焦って、見渡すことをやめてしまったら、星は気付かれなくなってしまう。だから、焦らないで。君なら、星をつかめると、僕は思うから」
「…………」
私は言葉を返せずに、たった一つぽつりと浮かんだ星を見上げた。
叶多に言われるまで、気付かなかった。いや、気付けなかった。一つだとしても、ちゃんと、星があることに。
それと同じように。存外近くに、見えない道を照らしてくれる『星』が転がっていると、彼はそう言いたいのだろうか。
叶多の顔を、見る。彼は私をまっすぐ見つめて、柔らかく微笑んでいた。
「……ありがとう」
私は、素直にそう言うことが出来た。自然と、同じように微笑みがこぼれた。
重く沈んでいた心は、星の光の瞬きのように軽くなっていた。大丈夫、と、叶多の声が脳内で木霊する。大丈夫、きっと、大丈夫だ。
゜
*
*
【惑星】
恒星の周りを回る比較的低質量の天体のこと。太陽系のみの観点で見ると、太陽をほぼ平均点とした楕円を描いてまわり、ほぼ同一軌道面にある星のこと。
──惑星は完全な円を描いているわけじゃないんだよ。宇宙にも『完全』が存在しないなんて、面白いよね。
「……ごめん、みっともないとこ見せて」
少しして、泣き止んで、ようやく落ち着きを取り戻した私は、しがみついて泣いたことが恥ずかしくなっていた。
「みっともなくなんてないよ。涙、というものを人間はもっているのだから、たまにそれを使ってあげないと、肝心な時に使えなくなってしまうと思うし。ん? いや、今が使う時だったのかな」
相変わらず独特の感覚の言葉を聞いて、思わずくすりとして少し落ち着いた。
「僕の見ている君はいつだってしっかりしていたけれど、でも、そうしなくてはいけない理由なんて無いんだよ。生き物は、星である僕からすると弱くて脆い生き物なんだもの」
「星視点、なんだ」
慰めてくれているのだろうけれどどこか面白くて、くすくすと音をたてて笑った。叶多はそんな私を見て、どこかほっとしたように目を細めた。
沢山、泣いた。涙と一緒に心の中のもやもやまで流れ出したのだろうか、不思議とすっきりしたような心地だった。叶多の言う通りだ。涙というものをもっているのだから、必要な時には抑えずに使っても良いのだ。
「肩のところ、湿ってない?」
頭を預ける体勢でかなり泣いたので、不安になってそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「大丈夫。ほら、僕は恒常性が人間より強いから、湿ったくらいだったらすぐに元に戻るんだ」
左肩に手をやって、その手を振って見せられた。確かに、見た目にもすっかり乾いている。
「だから、僕の事は気にしないで。いつだって、君の涙を受け止めるから」
そう言って笑う叶多がここにいてくれて、本当に良かったと思った。彼の前でだから、あんな風に泣けたのだろう。いなければ、きっとあのままもやもやしたものを忘れたふりをして、持ち帰っていた。
叶多なら、相談しても受け止めてくれるだろうか。
「……私ね、夢がないの」
唐突な切り出し方になってしまったけれど、叶多は黙って聞いてくれている。辿々しい言葉ではあるけれど、ありのまま、言おうと思った。
「進路、決めなきゃいけなくなって、色々考えた。でも、何もしたいことが浮かばなくてね。将来何がしたいか、どんな自分になっているのか、それすらも浮かばなかったの」
一息で言って、一度、大きく息を吸う。話し始めたら、意外と落ち着いたまま、続けられた。
「でも、わかるまで待ってなんてもらえないし、とりあえず近い大学の、入れそうな学部って決めて、勉強しながら考えてはいたんだけど、やっぱりわからなくて……ううん、本当は、考えてなかったんだと思う。無理矢理志望を決めて、勉強だけして、逃げてたんだと、思う」
叶多は、黙って聞いている。わかりにくい説明だろうに、私の言葉を遮ることも、促すこともしない。それが、心地よかった。
「……真理なんかはね、あの子、しっかりしてるんだよ。吹奏楽ずっとやってて、音楽が好きだから音大に進みたいって、自分で全部調べて、遠いんだけど、一人暮らしするつもりなんだって。私ばっかり、あやふやで、それなのに勉強だけしてて、ほんとに意味あるのかな、って、思っちゃって」
これを誰かに話すのは、もしかして初めてなんじゃないかと思った。今まで真理にも親にも先生にも、言えなかったことだから。
「昔は、そんなことなかったんだけどね。夢とか奇跡とか、そんなこと信じてた。でもいつからか、夢ばっかり追いかけたって何もかもが叶うわけじゃないってわかるようになってから、現実見なきゃとかそんなふうに言って、逃げるようになってたの。現実どころか、自分自身さえ見えてないのに」
「……澄佳は、本当は、夢とか奇跡を信じていたいんだね」
初めて、叶多が口を開く。その言葉に少し驚いて、でも少し考えて、その通りだ、と思った。
「……うん。だから、諦めようとして、肝心なものまで失っちゃったのかな」
へへ、と、自嘲的な笑いがこぼれた。叶多は何も言わずに、それを見つめている。
「何がしたいのか、わからない。大人になるのは色んな道を狭めていくことなのかもね。私は、自分で狭めてしまったのかもしれないけれど。狭めすぎて、何も見えないの。それなのに、周りは進め進めって言うでしょう。ちょっとね、疲れちゃって」
多分、誰も知らないと思う。私がこんなことで悩んでいることを。
「学校でも家でも、受験受験ってそればっかり。私、まだ何も決めてないのに、それでも、見えなくても、道を進まなきゃ、いけないのかな」
そこまで話して、長い長い溜息をついた。
「……ごめんね、面白くない話を、だらだらと」
飽きずに付き合ってくれた叶多に、礼を言った。多分、さして珍しくもない、ありきたりな、それでも私にとっては大きかった、悩み。
叶多が、黙って私の手を握った。その体温に少しだけ驚くけれど、彼は構わずに、それを上に導く。
「……あれ、見える?」
唐突なその行動に戸惑うけれど、素直に従って、示された方向を見上げた。
そこには。
「あ……星……?」
星見峠から見たものとは比べ物にもならないけれど、くすんだ夜空に、たった一つ、星が確かに瞬いている。
叶多はにこりと微笑んで、頷いた。
「そう。こんなところからでも、星は見えるんだよ。あれだけじゃなくて、見えないだけで、沢山の星が、君を見守っている」
「……」
何が、言いたいのかわからない。けれど叶多なりに私に伝えてくれているようか気がして、黙って耳を傾けた。
「ううん、多分、都会で星が見えないんじゃなくて、みんな忙しくて、見る余裕がないんだよね。目の前のことに手一杯で、近くにあるのに、気付かない」
近くにあるのに、気付かない。
それは、例えばあの星だったり、あるいは、私が探している『未来』だったり、するのだろうか?
「焦って、見渡すことをやめてしまったら、星は気付かれなくなってしまう。だから、焦らないで。君なら、星をつかめると、僕は思うから」
「…………」
私は言葉を返せずに、たった一つぽつりと浮かんだ星を見上げた。
叶多に言われるまで、気付かなかった。いや、気付けなかった。一つだとしても、ちゃんと、星があることに。
それと同じように。存外近くに、見えない道を照らしてくれる『星』が転がっていると、彼はそう言いたいのだろうか。
叶多の顔を、見る。彼は私をまっすぐ見つめて、柔らかく微笑んでいた。
「……ありがとう」
私は、素直にそう言うことが出来た。自然と、同じように微笑みがこぼれた。
重く沈んでいた心は、星の光の瞬きのように軽くなっていた。大丈夫、と、叶多の声が脳内で木霊する。大丈夫、きっと、大丈夫だ。
゜
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【惑星】
恒星の周りを回る比較的低質量の天体のこと。太陽系のみの観点で見ると、太陽をほぼ平均点とした楕円を描いてまわり、ほぼ同一軌道面にある星のこと。
──惑星は完全な円を描いているわけじゃないんだよ。宇宙にも『完全』が存在しないなんて、面白いよね。
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