王国の飛行騎士

神田柊子

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夜の空

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 サリヤは歌っていた。
 星に紛れて会いに来て、という歌詞の昔の流行歌は、タールラルが教えてくれた歌だった。
『綺麗な歌ね。サリヤの声、好きよ』
 ベアトリクスがうっとりとつぶやいた。
 深夜。引き続き医務室のベッドを借りていたサリヤは、眠れずに抜け出して、ベアトリクスの元にやってきた。
 ベアトリクスの寝床に決まった厩舎には、彼女の他にはミクラの飛行機カーティスとルッボーの飛行機サイラスがいた。
 サイラスはシー種で、騎士がいないと話はできないらしい。青銀の身体は絆の騎士の表情を思わせる冷たい輝きを放って、沈黙を保っていた。
 一方、サリヤが来て目を覚ましたカーティスにはベアトリクスが口止めをした。
 カーティスは少し機体を傾けて、人なら肩をすくめた様子だった。彼は諾とは言わなかったから、ミクラがやってくるかもしれない。
 飛行機の鞍は背中の窪みにあった。背もたれのついた椅子がすっぽりと収まっている。サリヤが座るとちょうど目元くらいが外に出る高さだった。今もガラスの覆いは開いている。絶対飛ばないと宣言した上で、ベアトリクスはサリヤを鞍に乗せてくれた。
『整備のときに椅子の高さを変えさせるわね。前が見にくいでしょう?』
「ああ、確かに」
 飛ぶときには視界が確保されている方がいいだろう。
 けれども、今は窪みに埋まって、卵の殻に包まれているような感覚がとても心地よかった。
「会いに来て」
 サビを繰り返すと、静かに響いた。
 サリヤは音の余韻を見送るように天を見上げる。
 ――メデスディスメ王国に戻るか、ベールルーベ王国で飛行騎士になるか。
 サリヤは選択を迫られていた。
 ベアトリクスは相談するまでもないだろう。というより、メデスディスメに戻る可能性を下手に口に出すとうるさく騒がれそうで、サリヤは彼女には黙っていた。
 ウェダと連絡が取れたら、彼の意向を聞いて身の振り方を決めるのに。
 そう考えてから首を振る。
 ああ、ダメだな。
 自由にならないと嘆いていたのに、決定権を持たされるとうろたえて人に押し付けようとしてしまう。
 サリヤはため息をついた。
「いや、政局を考えよう」
 ウェダはおそらく生きているだろう。
 マスモットが父王と第一王子を弑したこの状況は、ウェダにとって好機だ。父の敵討ちの名目で政敵を討ち取れる。そうすれば、古株の臣下はウェダを歓迎するだろう。近年の暴君ぶりを差し引いても覇王の威光は強かった。
 問題はアンザイ三世の侵略で王国に下った地方領地がどう出るかだが、マスモットはさらに領土を広げようと三年前にも公言していたことを考えると、彼の政権奪取は地方領地の支持は得られない可能性が高い。再び反乱が起こるかもしれない。きっとウェダならとっくに地方を味方につけているはずだ。反乱を先導することもあり得る。
 マスモットの後ろ盾は誰だ? そこまではサリヤにはわからない。軍の一部は彼に従っているだろうが……。
「サリヤ? いるか?」
 中央師団の各団長の顔を思い浮かべていたサリヤに、声がかけられた。
 鞍から身を乗り出して下を見ると、やはりミクラだった。
『カーティス! 秘密だって言ったじゃないの!』
『あなたより先にミクラの指示が入っていたので、仕方ありませんよ。僕自らは口外していません』
『何よそれ』
「ベアトリクス、構わない」
『サリヤー』
 不満げなベアトリクスの声に、サリヤは「気を遣ってくれてありがとう」と鞍の外に手を出して撫でる。
『サリヤ!』
 喜色をにじませたベアトリクスが少し揺れる。サリヤは「降りるから」と彼女を鎮めて、鞍から身を起こした。ベアトリクスの体は大きいため、サリヤは鞍まではしごを使って上った。
「ほら」
 ミクラの声に下を見ると、彼はなぜか両手を広げている。
「何でしょうか」
 さっさとはしごを降りて彼の前に立つと、ミクラは苦笑した。
「受け止めてやろうかと思ったんだが」
「もしかして、飛び降りるのが正しい飛行機の降り方でしょうか?」
「そんなことはないが……」
 苦笑を深めるミクラにサリヤは首を傾げた。それ以上の返答がないとわかると、今度は頭を下げた。
「勝手に出歩いて、申し訳ありません」
「いや、咎めるために来たわけじゃない」
 ミクラはカーティスを親指で示すと、人懐こく笑う。
「夜間飛行に誘いに来た」

 ミクラは厩舎の大扉を開いて、カーティスとベアトリクスを外に促す。
 カーティスに二人乗りすることにベアトリクスは難色を示したけれど、サリヤが飛行騎士を選ぶかどうかの瀬戸際だとミクラが話したことで意見をひるがえした。
『サリヤはもう私の騎士よ! 絆を繋いだの! やめるなんて許さないんだから!』
「そうだな。わかるぞ」
『あなたに何がわかるのよ!』
「そうだな。わからんな。なぜなら、サリヤはまだきちんと飛んだことがないからな。ベアトリクス、君が落としたからなぁ」
『そ、そんなこともあったかしら』
「あったな」
『私の整備が終わったら私が乗せるから! それでいいじゃない!』
「ダメだ。一刻を争う。それに君の整備が終わっても、サリヤの訓練が終わらないと自由飛行は許可できない」
『何よ! ダメダメダメって! サリヤは私の騎士なんだから!』
「そうだな。だから、俺が空のすばらしさを教えてやろうと思う。副団長も言っていたぞ。騎士は一度飛んでしまえば空から降りることなんてできない、ってさ」
 前後の文脈がつながっていない会話にサリヤは内心呆れながらも、大人しく黙っていた。そうして、ベアトリクスは結局、二人乗りを認めたのだ。
 ――サリヤの選択肢はすでに一つに絞られている気がして仕方がなかった。
 ミクラはカーティスの翼に飛び乗りサリヤを引き上げて、今度は鞍に乗ってまたサリヤを引き上げた。
「ちょっと待ってくれ」
 彼がガタガタと音を立てて何かすると背もたれが少し下がる。ミクラも合わせて下がって、空いた場所――ミクラの足の間だ――にサリヤは収まった。
「狭いか? 二人乗り用の鞍もあるんだが、整備士に付け替えてもらわないとならないから、悪いな」
「いいえ」
「うーん、サリヤは小柄だからなぁ。そういえば、何歳だ?」
「十六です」
 へぇ、とミクラは小さくつぶやいた。カッラ王子と同じ年だと気づいただろうか。
 革のベルトを腰の前で締められ、背後から斜めに同様のベルトが渡されて、金具で腰のベルトにひっかけられる。
 ぴったりと背中がミクラにくっつき、体温が伝わる。母以外の他人と密着する経験などなく、サリヤは緊張した。
「これが安全ベルトだ」
「あ、はい」
 頭の上から低い声が聞こえ、サリヤは体をびくりと揺らす。
 くっと小声で笑い声がして、サリヤは羞恥を覚えた。
「カーティス。離陸だ」
『はい』
 ガラスの覆いが音もなく閉まり、外気が遮断される。
「ベアトリクスは、安全距離を保って後ろにつけ。魔力の使用は控えて、助走するように。いいな?」
『わかったわよ』
 ベアトリクスの返事を待つ前に、カーティスは動き出した。
 滑走路に入ると、彼は鼻先のプロペラを回し出した。
 白く光る線は月光で光る塗料だろう。それに沿ってまっすぐに進む。
 段々と加速すると、白線だけが浮き上がって見える。カーティスの足につけられた車輪の振動が体に伝わる。
 ぐっとカーティスの鼻先が持ち上がり、サリヤの身体はミクラに押し付けられた。手をぎゅっと握るサリヤに、ミクラの腕が後ろから回された。
 カーティスの足がすうっと地面を離れる。車輪の振動がなくなることでそれがわかった。
 基地の建物をみるみる追い越し、空に上がる。あっとという間に、斜めに体にかかる圧力が消え、カーティスが水平になった。
「サリヤ。大丈夫か?」
「は、はい」
 うなずくと、軽くサリヤの腕を叩いてからミクラの腕は離れた。
 プロペラの回転音がぶーんと低く響いている。
「先に確認するべきだったんだが、サリヤは高いところは平気だな?」
「はい」
「狭いところも問題ないか?」
「問題なさそうです」
 ふむ、とミクラはうなずいた。
「絆を結んでから体質的に無理だって気づくやつがたまにいるんだ」
 カーティスは王都の上を飛んでいた。深夜なのにいくつか灯りが見える。しかし大半は真っ暗だ。金属の屋根飾りやベランダの手すりが月光を受けて光り、影の強弱で建物の形が察せられる。
「カーティス、高度を上げてくれ」
『はい』
 ぐっと斜めに力がかかり、街並みが遠ざかる。
「深夜だからな。万が一苦情がくると困る」
 離陸と着陸は特に音が出るから基地は街から離れた高台にある、とミクラは後ろを指さした。
 振り返って見ると、丘のてっぺんが基地になっていた。丘の中腹からふもとが黒いのは木が茂っているからだろう。
 前方の丘には城があった。ちかちかと瞬きするような光が発せられている。
『私はカーティス。エリアナンバー351BR1568所属のイー種最上位。搭乗しているのは騎士のミクラとサリヤです』
「訓練飛行だと伝えてくれ」
『訓練飛行です』
『私はベアトリクス。エリアナンバー351BR1568所属のエフ種最上位。訓練飛行の付き添いよ』
『こちらはマルヴィナ。エリアナンバー351BR1568所属のディー種。カーティス、ベアトリクス、承知いたしました』
 マルヴィナは落ち着いた女性の声だった。
「城には交代で飛行騎士が常駐する決まりだ。エリアナンバーは群れの名称らしい。飛行機同士でしか通じないから、騎士は覚えなくても構わない」
「へぇ……」
 感心したものの、まだ行く末を決めていないサリヤにそんなことを教えていいものかと戸惑う。それが伝わったのかミクラは笑った。
「軍事機密ってわけじゃないから、気にするな。他国の使節が来たら、飛行騎士団の基地だって案内するんだ」
「ああ、それは効果的ですね」
 あの飛行機の数を見たら、下手な手出しはしづらい。
「効果的、ね」
 ミクラはサリヤの言に笑みを深めた。
「カーティス、もう少し高度を上げる。それから、ベアトリクスの遺跡へ。降りずに北の国境を偵察して戻るぞ」
『わかりました』
 雲がない空はよく景色が見えた。高度を上げるともはや地上に何があるのかは把握できない。黒い塊は森だろう、ときどき光るのは旅団の野営か。影の色が多少薄い塊はきっと街だ。
 カーティスとベアトリクスの影が一際色濃く地面を滑っていく。
 ガラスの覆いの内側は風を全く感じない。ベアトリクスに初めて乗ったときとは別世界だ。
「昼間だとこの辺り一帯は緑の絨毯だ」
 ミクラが自慢げにそう言った。ベールルーベ王国は森林が多いことで有名だ。
 サリヤは視線を上げる。沈みかけた半月を西に配し、満天の星が瞬いている。
「星に紛れて、会いに来て」
 思わず、歌が口をつく。
「ほぅ、上手いな」
「ありがとうございます」
 ミクラの賛辞が何の裏もないものに思えて、サリヤは素直に礼を言った。
「母が元歌い手で、教えてくれました」
「母……」
「メデスディスメ王国の第四側妃タールラルです」
 ミクラが息を飲む。
「それなら、君は……?」
「私? 私は……いったい誰なんでしょうか」
「…………」
「第七王子カッラの死亡が発表された今、カッラ王子として生きてきた私は誰なのでしょうか」
 サリヤは身を捻って後ろを向く。ミクラは驚いた表情で彼女を見つめた。
『サリヤよ! あなたはサリヤに決まってるじゃない!』
 ミクラの代わりにそう断言したのはベアトリクスだった。
『エフ種最上位の飛行機ベアトリクスの騎士、サリヤよ!』
「そうだな。君はベアトリクスの騎士だ」
 ミクラはくしゃりと笑った。
「私はベアトリクスの騎士……」
「まあ、俺たちの希望はそうだな。決めるのは君だが、どうだ? 誰なのかわからないなら飛行騎士でいいんじゃないか?」
 にやりと唇の端を上げるミクラに、サリヤは表情を緩めた。
「そうかもしれません」
 初めて見るサリヤの微かな笑みにミクラは目を瞠って、でも何も言わずに笑顔を返した。
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