おばさん冒険者、職場復帰する

神田柊子

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閑話

閑話 ミヌスターを必要とする者

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 エリオット・ミヌスターが初めて国王ウィルフレッドと王妃アリスティーナに会ったのは、二十三歳のときだ。当時、八歳のウィルフレッドは第三王子、十四歳のアリスティーナは公爵令嬢だった。
 アリスティーナをエリオットのもとに連れてきたのは、彼女の姉フローレンスだった。届出はカルセンス公爵夫妻の子どもとなっているアリスティーナだが、実際は公爵の愛人の子どもだとエリオットは知っていた。――それは、ミヌスター侯爵家が特殊な家だからだ。公爵夫人やフローレンスの態度から訳ありだとは思われているだろうが、アリスティーナの出自の真相は知られていなかった。
「エリオット様! ご挨拶させてくださいませ。長年病を患っていた妹が、やっと社交に出られるようになったんですの」
「そうですか。それは良かったですね」
 若い令息令嬢を集めた王宮の交流会だ。
 十九歳のフローレンスはギリギリ参加者だが、式典部の官吏であるエリオットは運営側だ。会場の端で不備がないかトラブルが起こっていないか見守りながら、使用人たちに指示を出していた。
「私は本日は参加者ではないので」
 そう言って逃げようとしたエリオットを無視して、フローレンスは勝手に続ける。
「ほら。妹は貧相でしょう? わたくしに比べたら、髪も肌もボロボロで……」
 妹の紹介など口実で、エリオットと話がしたいだけなのがあからさまだ。
 エリオットは自分の容姿が整っている自覚がある。しかも侯爵家の嫡男。近づいてくる令嬢は多いが、一番鬱陶しいのがこのフローレンスだった。
 幸いと言っていいのか、カルセンス公爵は娘を王妃にしたいようで、娘の嫁ぎ先にミヌスター侯爵家を考えていない。
 側妃から生まれた第一王子は十九歳、王妃から生まれた第二王子は十八歳。そのため、フローレンスは第一、第二王子と年周りがちょうどいい。
 カルセンス公爵は両陣営にフローレンスを売り込んでいるが、色よい返事は得られていないようだ。
(両方に良い顔をしている時点で、当然だろうがな)
「アリスティーナは枯れ木みたいでしょう? 見苦しくて申し訳ございません」
「ご病気だったのなら仕方ないのでは?」
 アリスティーナを後ろに控えさせたまま、挨拶すらさせずに、フローレンスはひとりで話し続けていた。
(王妃には八歳の第三王子もいるけれど、アリスティーナ嬢は少し離れているか?)
 アリスティーナは十四歳だ。それにしては発育が悪い。
 王都の公爵邸に来たばかりのアリスティーナをエリオットは密かに確認していたため、当初はもっと健康的な見た目だったのを知っている。
(公爵は、アリスティーナの世話を夫人に丸投げしたんだろうな)
 姉の熱の籠った視線を避け、エリオットはアリスティーナに目を向ける。せっかくなので挨拶だけでもしておくか、と思ったのだが。
(んん? これは……)
 虐げられた娘を想像していた――実際見た目はそんな感じだ――エリオットは、予想外のアリスティーナに内心驚く。
 フローレンスの斜め後ろに立っているアリスティーナは、射殺しそうな鋭い視線で異母姉のうなじを見つめていた。
 ぼぅっとしているような表情を保っているのに、目だけは力強い。
(視線で首が落とせそうだ)
 おもしろい。
 エリオットはアリスティーナに興味が湧いた。
 もとより、初対面の人には必ず名乗るようにしている。
 エリオットはくだらない話を続けるフローレンスを遮り、アリスティーナに声をかけた。
「初めまして。私はミヌスター侯爵家の長男エリオットと申します」
 自分が話しかけられたと気づいたアリスティーナは、エリオットに向き直り、綺麗なカーテシーをした。
「初めまして、カルセンス公爵家の次女アリスティーナと申します」
(体幹がしっかりしている。やっぱり鍛えているんだな。なかなか強そうだ)
 ゆっくりと姿勢を戻したアリスティーナは、小さく首を傾げ、それからパチリと目を瞬いて、再度エリオットを見た。わからないくらいの素早さでさっと上から下まで滑らされた視線は、他の令嬢のような、表面だけを値踏みする視線とは異なる。
(ふはっ、おもしろい。長男のクリストファーに続いて、彼女もなのか! 一つの家に二人とは!)
 三人きょうだいのうちフローレンスだけが仲間外れだが、エリオットは納得がいく。
「ミヌスター家をご存知で?」
 そう尋ねるとアリスティーナは、はっと表情を取り繕い、とってつけた微笑みを浮かべた。
「建国からの家柄だと、本で勉強いたしました」
 模範的な返答だ。
 エリオットは思わず笑みをこぼす。うなずきたかったが、実際は建国まで遡らないため、「残念ながらそこまでの歴史はありませんよ」と訂正しておく。
 エリオットの笑顔がアリスティーナに向けられたのが気に食わなかったのだろう。フローレンスがずいっと割り込んできた。
「申し訳ございません! この子は引きこもっていたので、勉強も遅れているんですのよ!」
「そうですか。……ああ、呼ばれているようです。仕事中ですので、私はこれで失礼いたします」
 アリスティーナと挨拶を交わしたから、この場にもう用はない。エリオットは引き止める隙を与えず、フローレンスの前から逃げた。
 もう十分な収穫だったけれど、今日はもう一人挨拶しないとならない人がいた。
 第三王子ウィルフレッドだ。
 彼も今回が初めての参加だった。
 王宮勤めのエリオットだが、公務を行っていない第三王子と会話をする機会はなかった。忍び込んで遠目に見たことがあるくらいだ。
 第一王子は側妃の子。第二王子と第三王子が正妃の子だ。
 側妃と正妃の実家はどちらも侯爵家で、拮抗している。側妃陣営は第一王子を推し、正妃陣営は第二王子を推している。そのため、第三王子は放置されていた。
(頑張っても褒められず、さぼっても怒られない。それなら無気力にもなるだろう)
 エリオットは彼に同情しつつ、仕事をしながら会場を見回った。仕事中だというのに話しかけてくる令嬢はフローレンスだけではなく、エリオットは辟易する。やっとウィルフレッドを見つけたときには、ため息が出た。
 彼は会場から外れた低木の陰にいた。今日の主役とも言えるウィルフレッドがなぜこんなところに、と思いながら気配を消して近づくと、そこにはアリスティーナもいた。
「それは、フローレンス嬢に汚されたんだよね?」
「ええ、まあ……」
 内心はわからないが表情だけは心配そうなウィルフレッドに、明らかに面倒そうなアリスティーナ。
 彼女の紺色のドレスの胸元にべったりと白いクリームがついていた。
 フローレンスの暴挙の一因にエリオットの態度も含まれるだろうな、と思うと少し申し訳ない気持ちになる。
「気にしないでください」
 アリスティーナはそこらの木の葉っぱを千切り、それでクリームをすくってあらかた落としたあと、散水用の水道で濡らしたハンカチでぽんぽんと叩く。
「手慣れているんだね」
 ウィルフレッドが感心したように息をついたが、エリオットも同じ感想だ。
 アリスティーナがミヌスター家を正しく知っているなら、どうにかして守らなくてはならないだろう。
「まあ、そうですね」
 アリスティーナはウィルフレッドが第三王子だと知っているのか、と疑問に思うほど、適当な返事をしている。そんな扱いをウィルフレッドが気にしないのは、通常通りだ。
 王族という立場上何かしなくてはと思ったのか、ウィルフレッドは熱心さには欠けるが、こう提案した。
「母上に伝えて、注意してもらおう」
 それを聞いたアリスティーナは、ばっとウィルフレッドを振り返ると、自分より背の低い王子の両肩を掴んだ。
「あの女はあたしの獲物よ! 手を出すな!」
 低く鋭い声。瞳の奥に炎が見える。
 バチバチと彼女の周りで火花が散った。
(魔力量が多い……! 火属性の魔法使いか!)
 暴走するようなら止めなければならないが、手持ちの魔道具で抑え込めるかどうか。
 エリオットの危惧をよそに、アリスティーナはきちんと自分の力を制御していた。
 ガクガクとウィルフレッドがうなずくと、彼女はすぐに魔力を引っ込め、手を離す。
「獲物を横取りしたら、許さないからね!」
 そう言い捨てて、アリスティーナは走り去った。
 エリオットは彼女の背を見送り、ウィルフレッドに目を戻す。
 彼は王子らしからぬ間抜け面で、ぽかんと口を開けていた。
(殿下には衝撃的だろうね)
 そう思いながら彼の前に出て行こうとしたエリオットは、再び足を止めた。
 ウィルフレッドの頬が徐々に紅潮する。うっとりと微笑んだ。
「アリスティーナ……」
 夢見るような瞳。愛おしさが滲む声。
 エリオットは人が恋に落ちる瞬間を初めて見た。
 いや、人形に魂が宿る瞬間だったかもしれない。
「アリスティーナ。どうやったら手に入るかな……。嫌われずに閉じ込めるってできるかな……」
(これは、……恋でいいんだろうか?)
 少し不安になったエリオットだが、「そこに誰かいるよね?」と声をかけられて驚いた。
 ゆっくりと隠れていた木の陰から出る。
「気づいてらっしゃったんですね」
「僕じゃなくて、アリスティーナ嬢だよ。君に気づいた彼女が、……防御魔法かな? 何かしようとしてやめたんだ」
「それはすごい」
 エリオットに気づいたアリスティーナもだが、アリスティーナの魔法に気づいたウィルフレッドにも感心する。
「アリスティーナ嬢が防御魔法を使おうとしていたと、よくわかりましたね」
「ああ、うん。すぐ隣にいたから」
 近くにいたからと感知できるものではない。今代の王子は皆魔法が使えないと聞いていたが、偉大な魔法使いを輩出することもある王家の血筋ならではか。
「君は? 初対面だよね?」
「はい。初めてお目にかかります。ミヌスター侯爵家の長男エリオットと申します」
「ああ、ミヌスター侯爵家か」
 ウィルフレッドはアリスティーナのような驚きや警戒を見せず、何でもないことのように言った。
「建国からの家柄なんだってね」
 エリオットはわずかに目を見張る。表情を制御していても、驚きは隠せなかった。もし一人で自室にいたときなら、大声で笑っただろう。
(一日に二人も! 父上の代は一人もいなかったのに、僕の代は三人もいるのか!)
 王太子争いは荒れそうだな、と懸念するが、それ以上の喜びが湧き上がる。
 ミヌスター侯爵家は古くからあるが建国からではない。しかし、血筋は建国から続いている。
 建国王が重用していた諜報と暗殺を担う一族だ。
 平和な時代になったころ任を解かれ、表向きの無難な功績によって爵位を与えられた。
 始めは男爵だったが、何度か王家のために暗躍し、爵位を上げてきたのだ。
 任を解かれたのに暗躍とはどういうことかというと、仕事を生き甲斐にしていた叙爵時の当主が王に願ったからだ。
『ミヌスターを必要とする方が現れましたら、呼ばれる前に参じます。だから家業を続けさせてください』
 そして、その願いは受け入れられた。
 王家や高位貴族家には、ミヌスター家の来歴を知れる魔道具が隠されている。その魔道具――本だという――は万人に見えるわけではない。見つけられる者が『ミヌスターを必要とする者』だった。
(魔道具の判断基準は『必要としているか』ではなくて、魔力や気力なんだろうな。変事が起こらないときもあったし、押しかけて無理矢理仕事をもらった先祖もいるらしいから)
 魔道具にはミヌスターの来歴だけではなく、ミヌスター家の者に会ったときにかける言葉や、他人に話すべからずといった注意も書かれている。
 『建国からの家柄』は合言葉だ。
 魔道具を知らずに間違える人に出会ったらどう判断するんだ、と疑問に思っていたが、初めてカルセンス公爵家の嫡男クリストファーに会って杞憂だったと知れた。
 クリストファーもアリスティーナもウィルフレッドも、魔道具を見れる者には自然とひきつけられるのだ。
 エリオットは高度な隠蔽の魔道具を起動し、外から見えなくして音も遮断すると、即座に膝をついた。
 八歳の第三王子の顔は、その体勢でやっとエリオットの目の前にくる。
「現在の王家でミヌスターの来歴をご存知なのはウィルフレッド殿下だけとなります。今これより、ミヌスターの忠誠はウィルフレッド殿下に」
「へー、僕だけなの? 兄上たちは?」
「第一王子殿下も第二王子殿下も、ミヌスターを必要とされておりません」
 エリオットの言葉にウィルフレッドは小さく笑った。
「どちらもミヌスターの力を切望していると思うけどね」
 エリオットもその通りだと思うが、微笑みを返すに留めた。
 逆にウィルフレッドは、無気力に過ごしていたのに魔道具を見つけている。
(王の資質か、運命か……)
 魔道具の存在そのものが知られていないため、兄王子たちは探すこともない。
「ミヌスターが殿下に王位をお約束いたします」
 エリオットは高揚感を隠せない声音で、宣言した。
 しかし、ウィルフレッドは片手を振る。
「王位なんていらないよ」
「では、殿下は何をお望みですか?」
「それはもちろん、アリスティーナだよ」
 見てたんでしょ、とウィルフレッドは笑う。
「そうですね。そうおっしゃると思っていました」
 エリオットも笑う。
(アリスティーナ嬢のオマケに王位がついていると思うけれど、黙っておくか)
「公爵家の長女フローレンスを消しましょうか?」
「それはダメ。横取りするなって脅されたから、絶対ダメ。それより、フローレンスと結婚して彼女を管理してほしいな」
 できる? と目線で聞かれ、エリオットは考える。
「現カルセンス公爵は未来の王妃を狙っていますので、公爵が代替わりするか、殿下方の婚約が決まるまでは難しいでしょう」
「それなら、僕がアリスティーナに求婚したら公爵は了承するのかな?」
「するでしょうけれど、フローレンスのアリスティーナ嬢への当たりが一層強くなるかと思われます」
「だよね」
 ウィルフレッドも予想できるのか、あっさり納得した。
「公爵家の嫡男クリストファーも引き込みましょう」
「信頼できるの? アリスティーナの異母兄でしょ?」
「ええ。彼も『ミヌスターを必要とする方』ですから」
「へー」
「ちなみにアリスティーナ嬢もです」
「えっ! そうなの? うーん、アリスティーナにミヌスターが必要なのかな。王位だって自力で取れそうだよね」
 王位は取れそうだけれど政治は無理そうだな、とエリオットは思うが、今度も微笑むだけに留めた。
「兄はいいけど、アリスティーナには僕がミヌスターを使っていることは秘密にしてね」
「かしこまりました」

 この密談の二ヶ月後、カルセンス公爵は移動中に馬車ので亡くなった。
 代替わり後、クリストファーの手によってアリスティーナは家から逃がされ、フローレンスはエリオットに嫁いだ。
 以来フローレンスは『歴史あるミヌスター家』の特別牢で監禁されている。
 産後の体調不良を理由に二年ほど間を空けたあと、一族の女の顔を変えて替え玉に仕立て、社交に出した。子どもは一族からの養子だ。――アリスティーナは知らないことだ。
 余談だが、フローレンスの元にはときどきクリストファーがやってきて、自身とアリスティーナの幸せを滔々と語っていく。
「いいのか? そのうち壊れるぞ。アリスティーナ様の獲物なんだろう?」
「ああ、問題ない。フローレンスはアリスの獲物だが、私の獲物でもある。アリスはわかってくれている」
 代替わり早々に実母を領地屋敷の離れに押し込めたクリストファー。彼の『家族』は、どうやら異母妹のアリスティーナだけらしい。

 アリスティーナが欲しいと言ったウィルフレッドだが、なんとか自力で口説き落とした。――泣き落とし、に近かったが。
 密かに婚姻を結び、エディアルド王子が生まれる。
 担当する王領を部下に任せてふらふらしている第三王子に妻子ができたことは隠していたが、エリオットもクリストファーもバレるならそれはそれで、と思っていた。そのせいか、王太子に決まった第一王子陣営が嗅ぎつけた。第一王子に子どもがいなかったからなのか、エディアルドを狙ってきたため、ウィルフレッドは第一王子を潰すことにした。ついでに第二王子陣営――実兄と実母と母方の親族なのだが――も潰した。
「え? 待って。兄上たちを失脚させちゃったから、王太子は僕ってこと?」
 全て終わってからウィルフレッドは気づいたようだが、もう遅い。エリオットもクリストファーもわかっていながら、黙っていた。
「王位は要らなかったんだけど」
「アリスティーナ様とエディアルド様のついでに受け取ってください」
「うーん、ついでかぁ。ま、エディが成長したときに欲しがるかもしれないし、もらっておくか」
 そんな経緯だが、ウィルフレッドはここ数代の王のうちで一番評判がいい。

 雑談の折に、エリオットはウィルフレッドに尋ねたことがある。
「アリスティーナ様に惹かれた理由ってなんですか?」
「初対面で脅されたとき、生まれて初めて死を意識したんだよね。殺されるかもって思ったら、恐怖と幸福がごちゃ混ぜでさ」
 うっとりと宙を見つめる国王に、エリオットはほんの少しだけ国の行く末が心配になったのだった。

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