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「もう少し金の都合つけてくれ。二ヶ月も牢に入っていたのだからな」
 第二王子の婚約者となった子爵令嬢リリアンヌは、王都の片隅の小さな教会の裏で薄汚い男と会っていた。
 その男は二ヶ月前にリリアンヌを襲おうとしたが、彼女のあまりの美しさを前にして怖じ気付き何もできなかった。騎士団に逮捕された後、リーゼに依頼されてリリアンヌを襲撃したことを正直に告白し、未遂であることに加えて、リリアンヌが刑の軽減を願い出たことで、二ヶ月間拘束されただけで放免されていた。

「馬鹿なことを言わないで。報酬は十分に渡しているはずよ。今更何を言い出すの」
 リリアンヌはかなり苛ついていた。リーゼを追い落として無事に第二王子の婚約者になることができた大事な時期に、揉め事は起こしたくはない。
「金を素直に払った方がいいと思うぞ。あんたに頼まれたと訴え出たら、あんたは終わりだ。俺に何かしようとするなよ。俺が帰らなかったらあんたが俺に依頼した証拠が表に出るから」
 これは男がリリアンヌの依頼を受ける上で提案した安全策だった。直筆の依頼書をリリアンヌから受け取り、一年以上連絡がなければ仲間が騎士団に届ける手筈になっている。そのため、リリアンヌは男の刑を軽くするように願い出なければならなかった。

「そんなお金はないわよ」
 リリアンヌは男の仲間を探り当てようとしていたが、未だに判明していない。しかし、このような輩に唯々諾々と追加金を払えばいつまでもせびられるだろう。
 力のある騎士でも誘惑して、この男と仲間を消してもらおうとかとリリアンヌは思案していた。
「王子と結婚するんだろう。王子に宝石でもねだったらいいだろ」
 リリアンヌはどの騎士を誘惑したらいいかと上の空で男の話を聞いていなかったので、苛立った男がリリアンヌの腕を掴もうとした。

「そこまでだ」
 男を止めたのは第二王子の護衛を担当している近衛騎士だった。
「リリアンヌ様も一緒に来ていただけますか?」
 暴れる男を軽々と拘束した近衛騎士はリリアンヌを睨みながらそう言った。

「リリアンヌ、まさか、嘘だろう」
 地に膝をついて力なく呟くのは第二王子。リリアンヌとの婚約を強行した王子だったが、リリアンヌが複数の男性と親しくしているとの情報があり、不安になった王子がリリアンヌを尾行していたのだ。

「この女から自分を襲うように頼まれただけだ。俺に何の罪がある。こいつが襲ってくれと言ったんだぞ。証拠だってあるんだ」
 男は大声で喚きながら近衛騎士に引き立てられていた。
「こんなあばずれに騙される方がおかしいんだ。俺は悪くない!」
 馬に乗せられても喚き散らしている男は、沿道に出てきた多くの人に目撃されることになった。

 リリアンヌの調査に当たった騎士団は、リーゼがリリアンヌに対して行ったとされる罪は全て冤罪であると結論づけた。
 意地悪な高位貴族令嬢の妨害にもめげずに、真実の愛を貫いたと祝福されていた第二王子とリリアンヌの恋物語は、一気に醜聞にまみれた。
 リリアンヌの罪は白日のもとにさらされたが、リーゼの命は既に失われていた。



 リーゼの名誉は回復したが、父親であるヴァネル公爵は墓を移動させることに反対し、墓標だけが立派なものに変えられた。そこには『美しきリーゼ』と刻まれていた。
「リーゼ、すまぬ。お前を殺したのは私だ」
 第二王子がリーゼの墓の前で涙を流しながら懺悔していた。

「リーゼさんは餓死だったのよ。知っていますか?」
 第二王子の横でそう声をかけたのは、リーゼの友人であった伯爵令嬢のアドリーヌ。
「リーゼが亡くなる前に会いに行った。やせ衰えて今にも死にそうなリーゼに、私は暴言を吐いた。私はなんと愚かな男だろうか」
 アドリーヌは悔しくて唇を噛んだ。第二王子とリーゼの間に恋愛感情はなくとも、この国のために戦う同志だったはずだ。それを一方的に裏切って死に追いやった。
 死にそうになっていることを知っていたのに、王子は何もしなかったのかと思うと、悔しくて殴り倒したくなる気持ちを抑えるためにアドリーヌは手をきつく握りしめた。

「私はリーゼの刑が軽いと感じていた。だから、妻と子を病気で亡くして自暴自棄になっていた騎士を牢番にした。あの男がリーゼを襲っても構わないと思っていた」
「彼はそんなことをするような人ではなかった。この墓の前で長い時間祈っていたから」
 アドリーヌの目には牢番はとても良い人に見えた。彼女はリーゼがそれ以上辛い目に遭っていなかったと信じたかったのかもしれない。
「牢番になった男は、リーゼが食事を殆ど口にしないと度々報告し、侍女をよこしてくれと願い出ていた。それを無視しろと命じたのは私だ」

「人殺し!」
 不敬になるとは思っていても、アドリーヌは止められなかった。食事も取れないほどに王子の裏切りに苦しんでいたリーゼ。それを知っていながら見殺しにした第二王子のことをとても許すことなどできないと思った。
「その通りだ。私は罪なき婚約者の命を奪った人殺しだ」
 第二王子は懐から短剣を取り出した。
「私はリーゼのもとで死のうと思う。あの世で謝りたい」

「待って! そんな楽な死に方なんて許さない!」
 餓死がどれほど苦しいか、実際に経験したことがないのでアドリーヌにはわからない。しかし、二ヶ月も苦しんで死んでいったリーゼのことを思うと、短剣で一思いに死ぬことなど納得できなかった。
「私はどうすればリーゼに贖えるのだろうか。同じように餓死すればいいのか?」
 第二王子は悲しい目でアドリーヌを見ていた。
「そんなことで殿下がリーゼさんに贖えるとは思えません。自己満足でしかないもの。殿下は貧しい人たちの暮らしをご存知ですか。今も飢餓に苦しむ者たちがいるのですよ。殿下が恋に浮かれていた時に、リーゼさんはその者たちに心痛めて、食料を調達しようとしていました。そして、就職させることはできないかと、教会と協力していたのです。殿下が死んでも何も変わりません。せめて、生涯をこの国に捧げたらどうですか?」
 リーゼが公爵夫人としてしようとしていたことを、第二王子に罰として科したかった。しかし、軽い第二王子は一時の痛みを忘れてしまったら逃げ出してしまうだろうとアドリーヌは感じていた。


「私はリーゼと結婚してその死の罪を一生涯背負う。そして、この国の民のためにこの身を捧げよう」
 長時間考え込んでいた第二王子がそう口にした。
「しかし、リーゼさんは既に亡くなっております。結婚はできません」
「書類上は可能だ。この結婚は私が咎を忘れないようにするため。私はもう逃げたりしない」

 アドリーヌは第二王子のことを許すことはできない。しかし、この国のために王子を信じてみようと思った。
 第二王子が墓前を去った後もアドリーヌは祈り続けた。
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