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2章 Secret Origins
【六】ダメですよ
しおりを挟む戦意高揚の決起集会が終わり、
ジェーンは父と母だけがいる閉ざされた空間にいた。
執事も護衛もいない。
公爵の爵位がまだあるエルロンド家において、
個人間だけで会うというのは、やはり家族としての絆があるからこそだろう。
僕としては、これだけでエルロンド家和解作戦は成功に思えた。
しかしジェーンは、膝の上に両手を置いたまま、まだカチコチに固まっている。
「もっと楽にして大丈夫だよ」
彼女にだけ聞こえるよう囁いた。
リトルファムの国民、ジェーン・エルロンドを知る者全員──
おそらく国王ですら、彼女が気圧されて縮こまる姿を想像しないだろう。
「こ、これが自然体だもの」
強がりを言っても、それは一目瞭然だった。
視線がぶれ、呼吸が浅く、鼓動が速い。
全身に力が入り、自然な身動ぎ一つするにも、タイミングを掴めなくなっている。
つまり、緊張している。
彼女を知っている者ほど違和感が浮き彫りになる。
出された紅茶を飲もうとして、カップの取っ手を握り潰しさえした。
ジェーンの母が息を呑む。
久々に会った娘が異様な怪力を発揮したのだ。
親としては驚くだろう。
そのはずだが、父の方には納得と安堵が見えた。
「よく帰って来たな、ジェーン。
屋敷に自ら来るとは思わなかったぞ」
「まあ、望んでとは言えませんけれど……そうですね」
渋々と返事をした。
あまり態度が良くない。
まだ本心を開けていない。
長い離別の期間が、娘の親への心の壁を堅くし、強固に補強していた。
「お前は我らに罪悪感があるのだろう?
己の勝手な欲求のせいで父の顔に泥を塗ったと。
多くの兵士を無駄飯喰らいに貶めたと。
我らはお前を赦している」
……赦されるようなこと、あったっけ?
引っかかる言い方に感じたのは僕だけらしい。
ジェーンはそう言われて、吊り上げていた眉を緩めた。
どれだけ胸を張って自信満々に生きていても、
やはり家族との不仲は、彼女の心の急所になっていた。
というか、別にジェーンも狙ってそうしたわけではないし……。
どうなるかを考えもしなかっただけで。
「それは……ありがとう」
挑むように身を乗り出していた姿勢が、わずかに後ろへ戻り、リラックスした。
ほんの短い言葉で、ジェーンの心を動かしてみせた。
「まあ、とにかく。
あたしは何もしてないのに、いきなり反乱者にされてしまっているんだけれど……。
でもね。すぐに汚名返上するつもりだから、
戦争とかはしたくないのよ……ないんですよ」
「駄目だ」
迷いも思考もない返答。
太い声だった。
「あの、駄目ではなく……」
「父としては、お前のやっていることは
我らを戦場から追放した、許しがたい不孝行為だ。
それとは別として、お前がこの国をどれだけ豊かにしたかも知っておる。
それを国があっさり掌を返すということは、何を示しているかわかるか?」
「裏では、さぞ頭の良い誰かが──」
「国王は我らに戦争(ケンカ)を売っている!!」
力強い断言。
本来なら娘がいつもやっている類のことだ。
結論を、躊躇いなく言い切る。
僕には絶対に持てない性質であり、
多くの人間の人生を巻き込む力を持つ者の威容があった。
自分がやってきたことでも、やられる側になるのは初めてだ。
ジェーンは父のパワーに気圧され、目を伏せて固まった。
「ならばそれを買って、公爵家と娘の力を理解らせねば、
仮に王と和解しても、また同じことが起きるに違いない!
救国の聖女を一晩で反逆者に仕立てたのだからな!
むしろ、こんな馬鹿な国は今こそ我らで転覆だ!
聖女を女王に据え、エルロンド家が剣と盾になって
玉座の鉄壁さを示威してくれるわ!
古代語で言えば、我ら! 闘志燃やす(ワクワクしてっ)ぞ!!」
気迫で空間が揺れた。
闘志が燃えているのだ。
ジェーンを通して見た記憶しかなかったせいで、
彼女の父については弱々しい背中のイメージがあった。
記憶とは当てにならない。
大理石のテーブルを、勢いとテンション任せに叩き壊した。
見事な怪力だ。
魔術による肉体強化をせず、シンプルなパワーで大理石を粉砕した。
ジェーンは技巧派だが、
彼女の父はどこに出しても反論の出ない豪力派らしい。
のびのびと暴力を振るって活躍するタイプだ。
言ってはなんだが、秋田の農家や漁師によくいる。
好意は大してなくても、懐かしい存在だった。
数年ぶり──否、初めてと言っていいのかもしれない。
父の胸の内と思想をぶつけられ、ジェーンは気圧されている。
彼女の押しの強さは「やりたいことを押し通す」方向に表れるが、
父君の方は「敵を倒し、権威を手にする」ことに強く向いている。
ジェーン・エルロンドはしばらく沈黙し、腕を組んで目を閉じた。
なんと言ったら良いものか、迷っているのだろう。
「もう少し待ちましょう。
ジェーンが困っていますわ」
業火のような扇を口元に当て、
聖女の母が目を細めた。
笑っているのか、睨んでいるのかわからない。
「そうか。だが国は待ってはくれんぞ。
お前の弟も、じきに騎士団から抜け出してこちらに来る」
「エドガー! そうだ。あの子はどうなったの!?」
ジェーンの洗練されていない言い方に、
母君が咎めるように咳をした。
娘をかなり磨き、冷たい印象の美女にしたと言った美貌。
それで怖い顔をされると、不思議な気分になる。
生き方が変われば、快活な暴君の彼女も、
冷たい魔女になる可能性があるのか。
「安心しろ。騎士団に軟禁されていたが、脱出するよう促した。
あれはお前よりも我が家訓に理解がある。
今ごろは女王直属護衛隊の長になる覚悟を決めているだろう」
実質、何もしていないも同然だ。
彼は一切の疑問もなく、自分の子どもたちが王位剥奪に賛同すると信じている。
僕も幼少期、
「強く念じれば両親のどちらかが堅揚げポテトを買ってくれる」
と確信していた。
いわゆるエスパーで、洗脳能力や催眠能力があると思っていたのだ。
しかし大人になるにつれ、それは勘違いだとわかる。
大人が子どもに堅揚げポテトを買うのは、子どもが可愛いからだ。
成熟した人間になったら、堅揚げポテトは自分で買うものだと痛感する。
そうして、みんな自立していく。
だが、その通過儀礼がなければ、
人はこうも断定的になるのだろう。
両手を叩き、甲高い音を立ててジェーンは言った。
父母の注目が娘に集中する。
大きな音を出した後だから、視線と静寂がかなり辛い。
冷や汗を垂らし、聖女は大きく息を吸った。
「言っておきます! あたしは貴方たちの方針に反対します!
なぜかと言うと、戦争をすると人が死ぬからです!」
たどたどしいが、明確な反論だ。
よく言った。
ここで彼女が両親の乱心に反対したことは、
きっと多くの生命を救うことにつながる。
両親との関係が悪化してでも、やるべきことだ。
とても立派な決断だ。
ここから話がどう転ぶにせよ、
僕は今世の助けになろうとするだろう。
「いいかげんにしない」
母君の扇を持つ手が、ぶるぶると震えた。
「何をするにもエルロンド家を蔑ろにしてきて……。
まるでエルロンド家の伝統と誇りが存在しないかのように……!!」
母君は今にも掴みかかりそうな剣幕だ。
ヒーローとして、僕は色々な家庭に接してきた。
時として家庭内不和を抱えた親子もいた。
今、公爵家の妻が発している怒りは、
夫と伝統に長年従順でいた母が、自由になろうとしている娘に向けるものと、
まるで同じだった。
どうしてそんな感情になるのか。
家族の幸せや意志を尊重できないのか。
僕には悲劇としか受け取れない。
「やれやれ……平民や騎士が何のために生きているか知らんのか。
我らの指揮の下で国益を求めて殉じるためだ」
「違います。平民が生きているのは、
あたしの事業に死ぬほど協力するためです!
というか公爵も王家も、あたしの偉業でとっくに並ばれてるか追い抜かれてるでしょう!
もう、とっくにありませんよ。伝統や誇りの重みなんて!」
王族や貴族の文化に疎い身でも、半端ではない罵倒だとわかる。
さて。殺し合いになるな、これは。
とっくに絶縁状態のはずの娘でも、面と向かって言われるのはよほど堪えたらしい。
眉間に巨大な青筋を浮かべ、顔を真っ赤にした母君が沈黙した。
言葉を失っている。
父君は言葉もなく立ち上がり、
流れる動作で斬りかかった。
無駄な力みがない、良い攻撃だ。
ジェーンはまったく反応できていない。
父に本気で攻撃されるとは思っていなかった。
肉親の一撃が聖女の顔面を打つ前に、
真紅のマントが父君の腕に巻き付いた。
ジェーンの首元から展開される不定形の血布。
今の僕そのものが、自律的に動いて装着者を守った。
「ほぉ! よく防御したな!
だが、これで終わると思うな。
家名を踏みにじった報いは血で贖われると知るがいい!」
「……へ」
ジェーンは反応できない。
それでも実の父は容赦なく攻撃を続けようとした。
あれほど自信満々に生きている彼女でも、
実の父に本気で斬りかかられるとは思えなかったのだ。
僕という前世を隔離するくらいには、家族を求めていた。
心の奥底では、うまくいくことを望んでいたのだろう。
自警団要請学園を開校する時の、
学長候補(そういえば彼はどうなったんだろう)との衝突を思い出す。
これから学長になる人間を天井から生やすことになってしまったが、
それも、親しくなった子どもを侮辱され、
家族間の不仲について言われたからだ。
「ま、待って……」
おたおたした聖女が、不格好に両手を突き出した。
それで止まるような相手ではないことを、
普段の彼女なら絶対にわかる。
彼女の心の奥底には、家庭の不和が澱のように沈んでいた。
今回のことは、和解でも決裂でも、
大きな意味を持つ。
「死ねえぃ!」
この状況はよくない。
親が子に言ってはいけない言葉の堂々一位を叫んでいる。
行動にも移している。
おまけにその親はかなりの猛者だ。
僕は空を飛べるようにすることはできるし、
焔を払うことはできても、単体で戦うのは無理だ。
強度が足りなくなってしまう。
儀礼用の細剣にマナを通すと、
土属性魔法によって切れ味と重量が増し、鉄さえ切断できるようになる。
一振り一振りに、超重量が加わる。
僕の力があっても、無防備で直撃すれば結果は読めない。
喉元に剣先が走る。
本来はシルクに針を通すような繊細さを要求される武器だが、
彼の魔術によって、掠るだけで首の骨が折れる威力になっていた。
剣は、攻撃の途中で止まった。
「まずは話を、もっとさせてください」
ジェーンの肉体が素手で刀身を握る。
皮膚が裂け、血が流れている。
それでも僕の腕力で受け止め、固定できた。
一切再現性のない出来事だが、
運よく僕の意識が、またジェーンと交代していた。
五感が僕のものとして戻ってくる。
攻撃を受けている時の物騒な空気が、臨場感として迫ってきた。
本当は、匂いや感触のある世界をもっと堪能したい。
特に、ご飯を食べたい。
だが今は、それどころじゃない。
現世の肉体の主導権が移ったおかげで、
すぐに防御できた。
「動かないでください。
この武器、折り曲げますよ」
両手を挙げ、敵意がないことを示す。
剣を折られても父君の戦意は揺るぎない。
それは大したものかもしれない。
「……悪く思わないで」
止まらないと理解した僕は、マナの籠もった剣を強引に捻じ曲げた。
剣先が父君の方を向くほど──つまり、百八十度そっくり曲がった。
これでもう剣は使えないだろう。
手を離し、距離を取る。
しかし相手は、曲がった剣を向けたまま高らかに叫んだ。
「なにをしている。本気で向かって来い!
貴様の首は、王の刺客が跳ねたことにしてやろう!」
そのフックみたいになった細剣で、どう首を跳ねるつもりなのだろう。
自分の娘の首が、そんなに欲しいのか。
戦争がしたいがために。
僕に敵意はない。
ないが、自分の意志通りに体が動く現状では、
目の前の男にむかむかしてきた。
無性に殴り飛ばしたい。
秋田の農家という、大自然の猛威に耐え続けるタフな血潮が疼いた。
「僕はスゲーマン。
貴方の娘さんの前世です。
まあ、それはそれとして一つ、
僕としても言っておきたいことがあります」
殴りはしない。
そうしたらジェーンは悲しむだろう。
「貴方はクソ野郎だ」
いきなり様子が変わり、前世だと言い出した娘を理解できない父親に、
僕は目線の高さに手を掲げ、人差し指を軽く曲げた。
「親が子どもに剣を向けたらダメでしょう」
軽くデコピンをした。
父君が屋敷の壁を大破させ、三十メートル先まで飛んでいった。
それくらいなら大丈夫だろう。
良い薬になってくれればいいけれど。
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