狼王と、紫紺の残響

奇々煙

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第一章 檻の中の残照

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 高窓から眩い射光が突き刺さるようにして、円卓の中央を照らしている。暖かさを感じる季節に差し掛かっているにも関わらず、会議室は冷え切っていた。
 この会議室は然程広くはない。円卓を囲む椅子の数は、王の席を除くと四席。その数少ない椅子すら空いてはいたが、レインハルトは身じろぎもせず、王の傍に立っていた。座るという選択肢はない。
 宰相グレイヴェンが口火を切る。

「議題に入ります」

 乾いた羊皮紙が擦れ合う音がやけに大きく響いた。

「罪人の名は、魔術師エイル=カエルム=ノクス」

 その名が読み上げられた瞬間、レインハルトは王の方を見た。無意識だった。脚を組んでゆったりと座っている王は、瞬きひとつせず、ただ前を眺めている。

「禁術行使の疑いにより拘束。昨日、斬首にて処刑予定。しかしながら、神殿の介入により見合わせと相成りました。――神殿は、その理由を述べよ」

 書状を読み上げたグレイヴェンが、オルデリクへと目を向ける。 

「もとより神殿といたしましては、魔術師の処遇に関する結論を出しておりませんでした」

 王にも、宰相の方にも目を向けず、観測司は単調に述べた。

「禁術の内容は、まだ推測でしかなく未確定です。ですが、禁術の行使時刻が王家契約の反応と合致いたしました。あの者が契約に干渉している可能性がある以上、神殿としては『確定』するまで判断を保留いたします」

 レインハルトは思った。神殿はいつもそうだ。断じない。だが、見逃しもしない。

「魔術師が禁術を行なったのは事実。その存在自体が、国の安定を脅かす可能性がある」

 グレイヴェンが抑えた声で言った。前を見据えたまま、オルデリクは続ける。

「観測記録によれば、対象であるエイル=カエルム=ノクスは、契約核に『共鳴』を呼び起こしました」
「なんだと」
「つまり、禁術の結果として、契約は破綻していない。――むしろ、安定いたしました」
「安定だと……」

 オルデリクの言葉を聞いたグレイヴェンは、目を見開いた。獣人とヒトの混血である彼は、感情の昂ぶりに比例して呼吸を荒くする。

「本来、外部からの干渉があれば即座に歪みが生じるはず。ですが今回は」

 言葉を切ったオルデリクは、王の方へと顔を向けた。

「契約が、対象を拒まなかったのです」

 レインハルトは目を瞠った。王が沈黙する理由を悟った気がしたからだ。
 これは裁くための会議ではない。

「その要因を精査する必要がございます。見極めるには時期尚早です。以上を踏まえまして、神殿として現段階の処刑は見送るべきだと判断いたします」

「待て」

 グレイヴェンが即座に口を挟む。

「それでも禁術だ。前例もない」
「前例がないからこそです」

 宰相と神殿の視線が交錯する。王は依然としてひと言も発さない。だが、レインハルトは見た。王が握りしめた椅子の縁に、爪がわずかに食い込んでいるのを。
 グレイヴェンはオルデリクから目線を外さず、喉の奥から声を絞り出した。

「――一定期間の保留を提案する」

 神殿が言い分を曲げることはない。国を憂いながらも宰相は同意した。
 強引にではあるが合意に至った神殿と宰相府が、王を見る。王は無言で指で卓を二回叩くと、前に座しているヒトと混血とに視線を返した。卓上に落ちた光の反射を受けて、金の瞳に走る瞳孔はより細まって見える。

「――魔術師は、王家契約の観測対象とする。独房から王城内へ移し、監視付きでの居住を命ず」

 王は抑揚のない低い声で命令を下した。

「思し召しのままに」

 神殿は少しの躊躇いもなく一礼し、苦い顔をした宰相府の主もそれに倣った。レインハルトは、ただ頷いた。
 つまり、王の監視下に置くということだ。何か起これば、神殿でも宰相府でもなく、王の責任になるだろう。レインハルトは、王の選択に不安を感じないわけではない。だが、それが現時点での最良の判断であるとも思った。



***

 王が席を立ったことによって、非公式に行われた会議は閉幕となった。同じく立ち上がり、頭を垂れた神殿と宰相に見送られながら、王は部屋を出る。
 近衛によって開かれた扉を通り抜け、レインハルトは王の背中を追った。王は回廊を足早に過ぎていく。見かけこそヒトと変わらずとも、獣人王の歩みは速い。だが、王と同じく純血であるレインハルトにとって、その歩速についていくのは容易かった。
 やや癖がかった銀の髪が歩調に合わせて靡くのを見つめ、黙って付き従う。
 執務室に入った王は、付き添った側近を締め出すことはしなかった。レインハルトは部屋に備え付けられている飾り棚から銀の杯を取り上げ、水を注いだ。
 王はそれを受け取ると一気に飲み干し、金の細工が施された赤い椅子に深く身体を預けた。

「――保留か」

 呻くようなつぶやきが聞こえて、レインハルトは王を見た。

「神殿が決めたことです」
「神殿が決めたことゆえ、だな」

 王は低く笑って、窓の外へと視線を向けた。

「契約は魔術師を拒まなかった」
「そのようですね」
「そんなことが起こり得るのか――」
「それを調査するための、保留です」

 王は長く息を吐き、瞼を落として金の瞳を隠した。レインハルトは、そんな王をただ見守った。
 この国では一貫して、獣人が王座を継ぐ。
 自分とそう歳の変わらぬこの獣人王は、如何なる時も理性を保ち続けていた。歴代の王たちの記録に照らせば、それは驚くほど稀有な光景と云えた。
 再び水を注ごうと、レインハルトが銀杯を取り上げた、その時――。不意に目を開けた王の問いが、静寂を破った。

「観測区画への移送と監視には誰をつける」 
「私が」

 レインハルトは即答した。広大な城塞の一角に位置する観測区画は、二人がいる王権区画の南、宰相府を抜けた先に配置されている。そこは東の神殿と地下通路で直結しており、有事の際には即座に神官たちが駆けつける手はずであった。だが、先刻の評議で決した通り、真に難局を打開すべき責務は、他ならぬ王が背負うことになる。
 その答えを噛み締めるように聞いた王は、厚みのある唇を不敵に歪めた。

「情でもわいたか」
「まさか。職務です」

 何に対しての情だというのか。レインハルトは内心でそれを一蹴し、無表情を貫いた。そこに情などない。あるのは、ただ一つの懸念だけだ。そして、その危惧に、聡明な王が気づかぬはずもなかった。
 退室を促されたレインハルトは、重い扉の前で一度足を止め、振り返った。

「陛下」

 片肘をついた王は目線のみで応えた。

「禁術ではなく、『選択そのもの』が誤りだった場合、その責を負うのは王です」
「そうだな」

 小さく鼻を鳴らして王は言った。分かりきったことだった。

「そして、その王を守るのは私ども、臣下の責務です」

 手を掛けていた扉を開き、レインハルトは部屋を出た。静かに歩き出す。
 向かう先は――独房だ。
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