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第一章 檻の中の残照
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顔に巻かれていた布が取り外され、エイルは目を開けた。ここが新たな待機場所らしい。
広くはないが、決して窮屈というほどでもなかった。石壁は厚く、湿り気はない。簡素な寝台、机、椅子が備わっていた。最低限の水場、そして、大きくはないが、窓がある。机の上には燭台もあった。
「入れ」
背後から促されるまま、一歩を刻む。エイルは振り返り、自分をここまで導いてきた男を仰ぎ見た。紫紺の隊服は、近衛の証だろう。長身で、兵士ほど粗野な逞しさはないものの、無駄のない体躯からは日々の研鑽が窺えた。
「レインハルトだ。貴殿の処遇が決まるまでの監視を務める」
相手が名乗ったことに、微かな驚きを覚えながら、エイルはただ頷いた。
「今後、貴殿の身柄は王の監視下に置かれる」
エイルを見下ろすように視線を落としたレインハルトの瞳は、鮮やかな翠色をしていた。その中心に走る瞳孔が、獣特有の細長い縦線を描く。――獣人だ。
「王の……」
続く言葉を待たずとも、彼が王直属の配下であることは察しがついた。だが、今のエイルにとって彼の立場が何であれ、それは些末な事柄に過ぎなかった。
「契約は貴殿を拒まなかった。それがどういうことなのか」
その言葉を聞いて思い出したかのように、身体がふらつく。立っているのが辛くなったエイルは、許可を得ることもせずに寝台へと腰を下ろした。レインハルトは咎めることなく続ける。
「――『分かって』いるんだろう?」
エイルは小さく笑った。分かっていたから、なんだというのか。この状況が変わるのか。結局のところ、理解してようとも、いなくとも、何の差異もない。
「さっさと私の首を刎ねればよいかと、存じます……」
私のことを受け入れた契約が、私を失ったらどうなるのかなど、私の首が地面に転がるまでわからない。どうなるか知りたいのなら、私の首を斬ってみればよい。
エイルはそう続けたかった。だが――
「ですが、そう簡単なことではないと理解はしています」
国全体に影響が出るかもしれないのだ。神殿や宰相府は慎重を重ねて判断せざるを得ない。彼らはそういう役割を担っている。
「そうか」
レインハルトはわずかに頷いた。エイルの言葉が、何ひとつ答えになっていないことに、気づいていないはずがない。レインハルトは、それ以上何も言わずに部屋から去っていった。
外鍵が掛けられる音を聞きながら、エイルは寝台に転がった。硬い板に薄べったい寝具が置かれただけの粗雑な仕立てだったが、十分だった。上掛けに包まって目を閉じる。乾いた清潔な匂いがした。まだ匂いは感じることができる。そう確認したエイルは、深く息を吸い込んでみる。肺が満たされることはなかった。今に始まったことではないが、王城に入ってからは特に、胸の奥が引き攣れるような心地がしていた。どれだけ呼吸しても息苦しさや気怠さは消えない。
エイルは仰向けになると、胸に手を置いてみた。服の上に滲むじわりとした熱。
「これも、対価か」
エイルは淡々と、その事実を受け入れた。
***
床に置かれたそれは、黒曜石に似た光沢を纏い、直方体に近い形状をしていた。高さは成人の胸ほど。人工物と推測されるが、表面に人為的な加工痕は認められない。目を凝らせば、媒体から浮き上がる文様が確認できる。文字のようではあるが、この国の文字でも古代文字でもない。規則性と不規則性が混在するその羅列は、未だ完全な解読を拒んでいた。古くから、神殿はそれが示す意思の解析を続けてきた。先達による積年の尽力の末、オルデリクの代には、文様の示す概ねの意味を把握するに至っている。
媒体に精通する神官は、各時代につき二名と定められている。大司印と観測司である。
最高職位である大司印は、常に記録と前例に準じた発言のみを求められる。神殿の象徴として、その身が公に晒されることは稀であった。対する観測司は、王家契約に関する動向を常に監視する。得られた知見を王に進言し、宰相府に共有するのがその役目である。
神殿に、信仰は無い。
国を守るための制度、および契約を監査する。それが神殿という機関の正体である。
神殿の記録によれば、この媒体は初代王の即位と同時に出現したとされる。最初の契約が結ばれた瞬間から、それは台座に祀られることもなく、ただ此処に在る。
仄暗い部屋に足を踏み入れた観測司オルデリクは、中央に安置された媒体へ視線を落とした。
血の痕跡。
名を持たない契約。
その兆候は、ヴァルクが王座に就く直前に検知された。魔術師が禁術を執行した時期との合致。それを偶然と断ずる材料を、オルデリクは持ち合わせていなかった。
王家の契約は決して異物を逃さない。契約が魔術師を異物と見做さなかった理由。それを究明することこそが、神殿が取り掛かるべき命題だった。
広くはないが、決して窮屈というほどでもなかった。石壁は厚く、湿り気はない。簡素な寝台、机、椅子が備わっていた。最低限の水場、そして、大きくはないが、窓がある。机の上には燭台もあった。
「入れ」
背後から促されるまま、一歩を刻む。エイルは振り返り、自分をここまで導いてきた男を仰ぎ見た。紫紺の隊服は、近衛の証だろう。長身で、兵士ほど粗野な逞しさはないものの、無駄のない体躯からは日々の研鑽が窺えた。
「レインハルトだ。貴殿の処遇が決まるまでの監視を務める」
相手が名乗ったことに、微かな驚きを覚えながら、エイルはただ頷いた。
「今後、貴殿の身柄は王の監視下に置かれる」
エイルを見下ろすように視線を落としたレインハルトの瞳は、鮮やかな翠色をしていた。その中心に走る瞳孔が、獣特有の細長い縦線を描く。――獣人だ。
「王の……」
続く言葉を待たずとも、彼が王直属の配下であることは察しがついた。だが、今のエイルにとって彼の立場が何であれ、それは些末な事柄に過ぎなかった。
「契約は貴殿を拒まなかった。それがどういうことなのか」
その言葉を聞いて思い出したかのように、身体がふらつく。立っているのが辛くなったエイルは、許可を得ることもせずに寝台へと腰を下ろした。レインハルトは咎めることなく続ける。
「――『分かって』いるんだろう?」
エイルは小さく笑った。分かっていたから、なんだというのか。この状況が変わるのか。結局のところ、理解してようとも、いなくとも、何の差異もない。
「さっさと私の首を刎ねればよいかと、存じます……」
私のことを受け入れた契約が、私を失ったらどうなるのかなど、私の首が地面に転がるまでわからない。どうなるか知りたいのなら、私の首を斬ってみればよい。
エイルはそう続けたかった。だが――
「ですが、そう簡単なことではないと理解はしています」
国全体に影響が出るかもしれないのだ。神殿や宰相府は慎重を重ねて判断せざるを得ない。彼らはそういう役割を担っている。
「そうか」
レインハルトはわずかに頷いた。エイルの言葉が、何ひとつ答えになっていないことに、気づいていないはずがない。レインハルトは、それ以上何も言わずに部屋から去っていった。
外鍵が掛けられる音を聞きながら、エイルは寝台に転がった。硬い板に薄べったい寝具が置かれただけの粗雑な仕立てだったが、十分だった。上掛けに包まって目を閉じる。乾いた清潔な匂いがした。まだ匂いは感じることができる。そう確認したエイルは、深く息を吸い込んでみる。肺が満たされることはなかった。今に始まったことではないが、王城に入ってからは特に、胸の奥が引き攣れるような心地がしていた。どれだけ呼吸しても息苦しさや気怠さは消えない。
エイルは仰向けになると、胸に手を置いてみた。服の上に滲むじわりとした熱。
「これも、対価か」
エイルは淡々と、その事実を受け入れた。
***
床に置かれたそれは、黒曜石に似た光沢を纏い、直方体に近い形状をしていた。高さは成人の胸ほど。人工物と推測されるが、表面に人為的な加工痕は認められない。目を凝らせば、媒体から浮き上がる文様が確認できる。文字のようではあるが、この国の文字でも古代文字でもない。規則性と不規則性が混在するその羅列は、未だ完全な解読を拒んでいた。古くから、神殿はそれが示す意思の解析を続けてきた。先達による積年の尽力の末、オルデリクの代には、文様の示す概ねの意味を把握するに至っている。
媒体に精通する神官は、各時代につき二名と定められている。大司印と観測司である。
最高職位である大司印は、常に記録と前例に準じた発言のみを求められる。神殿の象徴として、その身が公に晒されることは稀であった。対する観測司は、王家契約に関する動向を常に監視する。得られた知見を王に進言し、宰相府に共有するのがその役目である。
神殿に、信仰は無い。
国を守るための制度、および契約を監査する。それが神殿という機関の正体である。
神殿の記録によれば、この媒体は初代王の即位と同時に出現したとされる。最初の契約が結ばれた瞬間から、それは台座に祀られることもなく、ただ此処に在る。
仄暗い部屋に足を踏み入れた観測司オルデリクは、中央に安置された媒体へ視線を落とした。
血の痕跡。
名を持たない契約。
その兆候は、ヴァルクが王座に就く直前に検知された。魔術師が禁術を執行した時期との合致。それを偶然と断ずる材料を、オルデリクは持ち合わせていなかった。
王家の契約は決して異物を逃さない。契約が魔術師を異物と見做さなかった理由。それを究明することこそが、神殿が取り掛かるべき命題だった。
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