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三話

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 その日の妃教育を終えたアリシアは、帰り支度を整え部屋を出る。
 侍女に先導され暫く廊下を歩いていると、背後からバタバタと足音が聞こえて来た。

「アリシア!」
「オズワルド殿下」

 息を切らしながらアリシアの腕に飛び込んで来たのは、リーンハルトの弟の第二王子のオズワルド・モンタニエだ。
 赤みを帯びた金髪とリーンハルトと同じ蒼眼の円い瞳ーー兄より十歳も年下のオズワルドは、まだ幼さの残る顔立ちで、背もアリシアより少しだけ低い。
 無邪気な彼の笑顔に無意識に頬も緩む。

「もう妃教育は終わったのか?」
「はい、本日は終わりましたので、これから帰る所です。オズワルド殿下はお勉強は捗っていらっしゃいますか」

 来年十二歳になる彼は、学院に入学をするのだが、それまでに王族として予備知識は欠かせない。
 首席をとる必要はないが、常に上位でいる事は求められるだろう。兄のリーンハルトがそうであった様に。
 リーンハルトは言わずとも分かる様に入試テストで首席をとり、在学中から卒業するまで一度たりともその座を他の者に譲る事はなかった。
 元々聡明な方なので周囲からは当然であると思われているが、アリシアは彼が血の滲む様な努力をしている事を知っている。

「あーうん、まあ」

 アリシアからパッと手を離すと、目を泳がせながら曖昧に返事をした。

(オズワルド殿下……分かり易過ぎます)


「オズワルド様、そろそろお戻り下さらないと本日分の課題が終わりません」

 何時見ても無表情で無愛想な彼は、オズワルドの侍従のヨーゼフだ。
 漆黒の長髪に鋭く光る翡翠色の瞳に睨まれれば、大人でも怯む。今では慣れたが、かく言うアリシアも以前は少し怯んでいた。

「嫌だ、やりたくない!」
「オズワルド様」
「どうせやった所で兄上の様にはなれないんだ! だからやるだけ無駄なんだ!」

 オズワルドの言葉にアリシアは眉根を寄せる。
 昔はリーンハルトにそれはもう良く懐いていたオズワルドだったが、成長に伴い非の打ち所がない兄のリーンハルトに対して、最近では劣等感を抱き卑屈になっている様だ。

「オズワルド殿下、リーンハルト様だって初めから何でも出来た訳ではありませんよ。リーンハルト様も沢山努力をなさって来たからこそ、今のリーンハルト様があるんだと思います」

 あやしている様に聞こえるかも知れないが、弟にまで誤解されたままでは哀しいーーそう思ったら口が勝手に言葉を発していた。
 それでも口を尖らせながら不満気にするオズワルドに、アリシアは苦笑する他ない。

「アリシアは……今からでも私は兄上の様になれると思うか?」

 上目遣いで聞いてくる彼に、アリシアは今度は眉を上げた。
 もしかしたら少しは分かってくれたのだろうか?

「勿論ですよ! これから学院に入学されれば、もっと沢山の事を学ぶ機会もありますし、意欲や努力する思いがあればきっと、オズワルド殿下もリーンハルト様に負けないくらい立派な紳士になれる筈です」

 紳士と発して内心複雑になりながらも笑みを浮かべて見せるが、リーンハルトの裏の顔をオズワルドが知ったらショックを受けるかも知れない……そう思うと口元が引き攣るのを感じた。
 
 すると一気にオズワルドの表情が明るくなっていく。

「そうか! そうだな!」
「はい」
「アリシア、私は兄上に負けない様に頑張るからな!」

 単純だが、そこがまた可愛いと思う。
 アリシアには兄が一人いるが、他に兄弟はいない。兄との関係は良好ではあるが、年が離れている為か余り関わりはない。
 それ故に昔からオズワルドが本当の弟ように可愛く思える。

「アリシアも応援してくれるか?」
「勿論です」
「なら、私の勉強を見てくれ」
「はい? それは、えっと……」
「応援してくれるのだろう?」
「はい、それはそうなんですけど……」

 応援する気持ちに嘘はないが、何故アリシアが勉強を教えるなどの発想になるのかが分からない。
 困惑を隠しきれず、上手く言葉が出なかった。

「学院は卒業したんだし、時間はあるのだろう」

 確かにそうだが、アリシアは王太子妃教育を受けなくてはならない。
 それこそまだまだ未熟な自分は学ぶ立場にあり、誰かに教鞭を執るなどあり得ない。
 
「とても光栄なお話ですが、私の様な未熟者がオズワルド殿下の教育者などと、身に余ります。それにオズワルド殿下には、国王陛下が選ばれた優秀な教育者達がおりますので、私の出る幕はないかと……」
「父上が用意した者達は皆、兄上と比較するから好かん。私はアリシアが教えてくれないなら、勉強はしないからな!」

(そんな、ご無体な……)

 やはりあのリーンハルトの弟だ。
 これまで多少我儘だとは感じる事はあったが、可愛いと思える範囲だった。
 だがこれは流石に度を越している。
 しかもオズワルドは、アリシアがこう言えば断れないと分かっていて言っている。
 助けを求める様に、傍観しているヨーゼフを見るが相変わらず無表情で何を考えているか分からない。要するに役に立ちそうもない……。

「オズワルド様、余りアリシア様を困らせてはなりません。アリシア様には王太子殿下の婚約者としての務めがございます。それに、この様なお話は、先ずは陛下にご相談されてから、アリシア様のお父上の許可が必要となります」

(ヨーゼフさん……)

 意外にも助け船を出してくれたヨーゼフに、感動し感謝する。
 どうやら彼を誤解していた様だ。
 何時も無表情、無愛想で事務的に会話をする彼だが実は優しい人なのかも知れないと思う。
 意外と単純な自分に、人の事を言えた義理では無いと苦笑した。

「なら父上から許可を貰えば良いんだな⁉︎」
「では、アリシア様、失礼致しますーーオズワルド様、廊下を走ってはなりません」

 走り去るオズワルドと早歩きでその後を追うヨーゼフを見送り、安堵の溜息を吐く。

 嵐が去った……。
 取り敢えず、ヨーゼフのお陰もあり助かった。
 だが嫌な予感がする。
 もしも、オズワルドに教鞭を執る事になり、その事がリーンハルトの知る所になればーー。

「帰りましょう……」

 考えるだけで不毛だと気付き、アリシアは踵を返した。
 
 
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