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1章
33話
しおりを挟む翌日、マーガレットが婚約破棄をされたという噂は瞬く間に学園へと広まっていた。
廊下を歩いていても、教室にいてもそこらかしこから婚約破棄についての話題が聞こえてくる。
それほどまでに大きな公爵家の令嬢が起こしたスキャンダルは大きかったのだろう。
先日まではクレアが派閥を作ったことで持ちきりだったのに、今では見る影もない。
今までクレアにして来たことがバレた結果、マーガレットの派閥は解体を余儀なくされた。
悪の根源であるマーガレットが処罰されたことにより、一旦この事件は幕を閉じたかのように思えた。
しかしいくら貴族と言えど元の世界でいうなら高校生そこらの子供が集まる学園だ。
王子との婚約という後ろ盾を失い、加えて今まで公爵家として威張り散らしていたことで、クレアに対する仕打ちを聞いて義憤を募らせていた者達により、マーガレットに対するいじめが起こっていた。
マーガレットは事件が起こった翌日も学園へと来ていた。
「……」
マーガレットは無言で自分の机を見下ろす。
そこにはビリビリに引き裂かれた教科書が散乱していた。
周囲からクスクスと笑い声が聞こえ、マーガレットは辺りを見渡すが、犯人は誰なのか分からない。
誰がやったのか分からないのなら罰されることはない、という腹積もりなのだろう。
悔しいことに、確かにその目論見は正しかった。
これだけ疑わしい人数が多ければ特定も出来ない。
マーガレットは唇を噛み締めながらゴミになった教科書を片付けていた。
一番最初のいじめは教科書が切り裂かれていたことだった。
それからマーガレットはクレアにしていたことを徹底的に仕返しされた。と言っても私とクレアは何もしていないので、仕返しと言っていいのか分からなかったが。
私は何度もマーガレットを助けに行こうとした。
しかしその度にあの時のマーガレットの言葉が頭に浮かんだ。
『薄っぺらい憐れみで私に同情しないで!』
確かにあの時、私はマーガレットに対して抱いていたのは陳腐な同情だった。
上から目線でマーガレットを助けてあげよう、なんて考えていた。
その結果、大失敗をした。
だから私は動くことが出来なかった。
今マーガレットを助けたいと思っているこの気持ちも、あの時の陳腐な同情と何が違うのだろうか。
実際に私はあのパーティーの日、マーガレットのプライドを傷つけたのだ。
だから私はただマーガレットを見守ることしかできなかった。
「はぁ……」
本当にこれでいいのだろうか。
私は自問しながら椅子を立ち上がる。
しかしその時後ろから話しかけられた。
「あの……クレア様」
私は後ろを振り向いて話しかけてきた人物に驚いた。
話しかけてきたのはマーガレットの取り巻きの三人だったのだ。
一番前に立っている取り巻きのリーダー格がおずおずとクレアに話しかける。
「少しよろしいでしょうか……」
クレアにどうやら話があるようだ。
「……はい、大丈夫です」
クレアは戸惑いながらも頷いた。
一瞬私へお礼参りに来たのかと思ったが、表情からは敵意が読み取れない。
私達へ復讐しに来たという訳では無さそうだ。
それに、敵側の私たちにわざわざ来たということはどうしても伝えたいことがあり、そのうえ相当な覚悟までしてきたのだろう。
「それではついて来ていただけますか?」
「分かりました」
クレアは頷いた。
そしてクレアと私は三人の後ろに着いていく。
「クレアさん」
「何だ」
私は前の三人には聞こえないようにクレアに話しかける。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。もし何かあっても取り巻きの奴らが俺達を連れて行ったのを見ている人間は沢山いるから、手を出したら簡単にバレる」
確かに教室には人が沢山いて、取り巻きたちがクレアを連れ出したところを見ている。
もしクレアに何かあったとしたら証言する人間は沢山いるだろう。
「それに、顔を見れば分かる。あれはそんな事をしに来た顔じゃない」
それに関しては私も同意見だった。
彼女たちはそんな浅い復讐心で動いている訳ではないのは見れば分かる。表情も気持ちを押し殺して隠している訳でも無さそうだった。
でも、怖いものは怖いのだ。
(もしもの時どうやって逃げるかは考えておこう……)
手始めにクレアをどう盾にしようかと考えながら歩いていると目的地に着いたようで、前の三人が立ち止まった。
やって来たのは校舎の外の人目が少ない場所だった。
(あ、あれ……やっぱりお礼参り……?)
そんなことは無い、と分かっても状況が状況なだけに、私は少し怖かった。
でも大丈夫、いざという時はクレアを盾にして逃げればいい。
いつ拳が飛んできてもクレアの陰に隠れられるように私は位置を調整する。
よし、クレアの後ろについた。
しかし次の瞬間、彼女たちの行動は私の予想を裏切るものだった。
「お願いします! マーガレット様を助けてください!」
「えっ?」
三人が一斉に頭を下げた。
私は訳もわからず彼女らに質問する。
「ど、どういうことですか!?」
なぜ彼女達はクレアに頭を下げているんだ。それに、マーガレットを助けろってどういう意味?
「もうクレア様にしかお願いできないんです!」
「下級貴族の私たちではマーガレットを手助けすることができません!」
「私たちを保護するのに手一杯で、ご自分のことを顧みないのです!」
「どうかマーガレット様を助けてくれないでしょうか!」
「お願いします!」
彼女たちは頭を下げる。
「えっと……」
私は困惑していた。
今まで敵側だったクレア派閥に助けを請われてどう対応すればいいのか分からなかったのだ。
敵側と言えど彼女達の表情は至って真剣だし、突き放していいのかも分からない。
いつまでも答えを返せずにいると取り巻きの一人が私を見た。
「あなたもそう思うでしょう!」
「マーガレット様は今まで私達も守ってくれていたんだから、恩を返そうと思わないの?」
「えっ?」
私は急に自分に話が回ってきて驚いた。
それに彼女たちの言っている意味が分からなかった。
「私が、守られていた……? だって私は見捨てられたのに……」
そう、どちらかと言えば私は見捨てられた方ではないだろうか。
「いいえ、彼女達の言うことはあっています。マーガレットさんはあなたをずっと守っていました」
「クレアさん……」
クレアが取り巻き達の言葉を肯定した。
ということは、まさか本当にマーガレットは私を守っていたのだろうか?
「えっ、まさか気づいてなかったんですか?」
取り巻き達はまさか私が気づいてないと思っていなかったのか呆れたような表情になった。
「せ、全然知りませんでした……ごめんなさい」
私は取り敢えず謝る。
すると彼女達は呆れながらも説明してくれた。
「はぁ……まぁいいわ。じゃあ説明するわね」
「ありがとうございます……」
「マーガレット様の取り巻きは全員下級貴族ばかりよね」
「確かにそういえば……」
マーガレットの周りにいるのは子爵家か男爵家ばかりだ。
私は下位貴族で固めるのはてっきりマーガレットがちやほやされるためだと思っていた。
だけど、それは違ったみたいだ。
取り巻きのリーダー格が付け加える。
「それも彼女の周りにいるのは借金などがある立場の低い貴族なの。マーガレット様はそんな私達を守るために取り巻きに入れたのよ」
「そんな……じゃあ、私が取り巻きになったのは、私を守るためだったんですか……?」
「借金などがある貴族の子供は毎年、借金元である立場の強い貴族に嫌な思いをさせられるのが常だから。あなたも覚えがあるんじゃないの……?」
衝撃の事実を知って私は驚愕する。
今は全額完済しているが、確かに昔、私の家には父がホワイトローズ商会を作ったときにできた借金があった。
学園に入学した初日、私をなぜ取り巻きにしたのかずっと不思議だった。
マーガレットは私の家に借金があることを知って、保護するために取り巻きにしたのだ。
公爵家が取り巻きにしてしまえばどの貴族もそうそう手が出せないから。
「そんな事が……」
私が衝撃を受けていると取り巻きの三人はクレアに向き直った。
「クレア様、マーガレット様は今私たちを他の派閥に入れてもらうために頭を下げています」
「でも、私たちはマーガレット様に何もお返しすることができません!」
「下級貴族の私たちでは、マーガレット様を守ることすらできません……!」
彼女たちの思いが痛いほどに伝わってくる。
自分を守ってくれたマーガレットを守りたいのに無力だから守れない、その悔しさが。
「私は無理です」
しかしクレアはあっさりとその願いを断った。
「ク、クレアさん? でも彼女達は──」
「私がマーガレットさんを助けようとしても彼女が嫌がるでしょうし、何より私は彼女の敵です。軽々しく助けたら彼女の矜持を傷つけるだけです」
「っ! それは……」
矜持。
私はその言葉を出されて黙らざるを得なかった。
それは私が見誤り、大きな過ちを犯したものだからだ。
私にはその矜持を真の意味で理解できていない。
マーガレットにもクレアにも日本という国で生きていた私には分からない貴族としてのプライドがそこにはあるのだ。
「お願いしますクレア様!」
「もうクレア様しか頼れるお方がいないんです!」
「私たちも虫の良い話とは思っています! でも、どうしてもマーガレット様を助けていただきたいのです!」
「マーガレット様を助けていただけたら私達はどうなっても構いません!」
キッパリと断られても取り巻きの人達は粘り強くお願いする。
「そう言われても無理なものは無理です。私には彼女を助けることは出来ないんです」
「そんな……っ!」
必死の願いが却下され三人は悲壮な顔になった。
「あなた達の気持ちは分かります。でも私はマーガレットさんを助けるつもりはありません。諦めてください」
「そんな言い方は酷いですよ……」
私はさすがにきつい言い方だと思ったのでクレアを咎める。
「でも現実として無理です。この問題だけは私が手を出すわけにはいきません。それがマーガレットさんの決めたことなんですから」
クレアの瞳には覚悟があった。
どれだけマーガレットを助けたくなったとしても、自分はマーガレットの意思を尊重する、という覚悟が。
たとえそれが結果的に見捨てることになったとしても。
「エマさん。覚えておいてください。マーガレットさんを助けるということは一人で闘うことを決めた彼女の矜持を踏み躙ってでも自分のエゴを貫き通すということです。あなたにはその覚悟がありますか?」
「……」
私は何も言い返せなかった。
果たして私は彼女の矜持を踏み躙っても助ける覚悟があるのだろうか?
「とにかく、私は手を出しません。これでこの話は終わりです」
話を打ち切るとクレアは行ってしまった。
私と取り巻きの三人は取り残された。
「……ごめんなさい」
「あなたが謝ることじゃないわ」
「クレア様の言ってることは正しいもの」
こうなることも当然予想していたのだろう、彼女達は悔しそうにしながらも結果を受け入れていた。
そして三人は私に挨拶をして去っていった。
最後に残ったのは私だった。
「私はどうすればいいんだろう……」
誰もいなくなった場所で呟く。
もちろん誰も答えてはくれなかった。
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