2LDKの聖者様

おやぶん

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労使交渉は大切

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クレアスが大きなガラス球を拳大の小さなポーチに片付けるのを、信之はマジマジと見つめた。取り出す時にも思ったが、物理的におかしい状況に、異世界だなぁと変に感心する。
ガラス球を使った鑑定魔法の結果、信之は魔法の適性が無いと言われてしまった。
魔術師団長と言う役職が国家機関にあるこの世界において、一般的な人がどの程度魔法を使えるのかは分からないが、恐らくあまり良い状況では無いのだろうと予測する。

「菅野さん、やっぱり善人なんですね」

ままならない現状と増すばかりの不安に内心で舌打ちをしながら考え込んでいた信之は、隣から声をかけられて顔を上げる。春馬は少し困った様な表情で信之を見ていた。

「俺が助けを求めたから、巻き込んでしまったんですよね。菅野さんが悪人だったら、こんな事にならなかったのに」
「いや、まぁ。でも悪人って言われるよりは、な?」

叱られた犬の様にしょげた春馬の腕をぽんぽんと宥める様に叩く。悪人である事を望む様な春馬の言い草に苦笑いで応えると、信之は正面のティリーに向き直る。
すっかり冷めたお茶を入れ直す様メイドに指示を出していた彼は、信之の視線を受けとめて変わらず穏やかな笑みを浮かべた。
優しげな歳上の男性の包容力の様なものを感じて気を抜きそうになるが、大人の自分がしっかりしなければと信之は前を見据える。

「元の世界に、返してもらうことは出来ないのでしょうか」

信之の問いに、ピクリと春馬の肩が揺れた。きっと彼も気になっていたのだろう。
問われたティリーは、僅かに眉を下げると、申し訳なさそうに首を横に振った。

「そもそも、世界樹がどの様な原理で異世界から聖者を呼び出すのか分かっていないのです。人間を転移する様な魔法も、存在しません」
「…そう、ですか」
「お力になれず、申し訳ありません」

信之は大きく息を吐くと、ソファに凭れる。春馬も俯き加減で、強く拳を握り締めていた。
メイドが新しく入れ直した紅茶を机の上に並べて、壁際の待機場所に下がっていく。
動揺を誤魔化そうとティーカップに手を伸ばすが、指先が震えてカップとソーサーがぶつかりカチャカチャとみっともなく音を立てた。
役割の無い自分はこれからどう生きていけばよいのだろうか。それを今、この場でティリーに問うてよいのかどうかもわからず、信之は途方に暮れた。自分に何が出来る?どうすればよい?交渉すべきは何か?…考えてみるが頭がまとまらない。
とりあえず当面の生活の保護を求めてみるかかと結論を出し、再び視線をティリーに戻したところで、俯いていた春馬がガバッと顔を上げた。

「あのっ」

呼びかけられたティリーは、飲もうと持ち上げていたお茶をソーサーの上に戻し、「なんでしょう」と春馬に続きを促す。
場の意識が自分から逸れたことに信之はほっと小さく息を吐き、自分もまた隣の春馬に意識を向ける。

「あの、俺…私は、これから聖者として仕事をするんですよね…?」
「そうですね。聖者様には瘴気の浄化や、怪我人や病人の治癒をお願いする予定です」

今にも立ち上がりそうな程前のめりになる春馬を見て、ティリーはスッと青い目を細める。
機嫌を損ねたのかと一瞬警戒したが、どうもティリーは楽しんでいるようにも見え、信之はティリーと春馬を忙しなく見比べる事しかできなかった。そんな信之の困惑を知ったか知らずか、春馬は更に前のめりになる。

「その仕事は、お給料は月にいくら頂けますか?時給はいくらくらいでしょう、あ、出来高制でしょうか?」
「…え?」
「月の休みは何日頂けますか?あ、あと、お城の近くに住む場所を紹介して頂きたいです。あれ?職場ってお城でよかったでしょうか?」

春馬の勢いに、信之は困惑した。おそらくはティリーやクレアス、ラザーニャも困惑している。
そしてそんな空気を気にもとめず、春馬は真剣な表情で隣に座る信之に向き直った。信之は思わず腰が引けたが、ふんす、と鼻息荒く春馬に手を握られる。

「俺、菅野さんのこと養います!」
「あー…前田君?」
「菅野さんが専業主夫になっても大丈夫な位のお給料貰えるように、俺頑張ります。きっと不自由はさせません」

突拍子の無い事を言っているが眼鏡の奥の春馬の目は真剣で、余計に信之を混乱させた。
どう答えて良いか分からず、助けを求める様にティリー達を見るが俯き加減で肩を震わせており此方を見てもいなかった。恐らく笑いを堪えているのだろう。
到底理解の及ば無い状況の中で不安は何一つ解消されていないが、緊張が僅かに解れた気がして、信之はとりあえず曖昧に頷いた。


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