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2章

とある同居ドールの一日02

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♢ ♢ ♢


AM10:06

「ここでちょっと日向ぼっこでもしようか」

そういってどこかはしゃいでいる風のマスターに誘われて連れてこられたのは、河川敷に植えられた一本の木の根元。ちょうど、そこが日陰になっていた。彼女はそこに寝そべってから、ポンポンと自分の隣を叩く。マスターが買ってくれたカーディガンが汚れないように慎重にそこに腰を下ろせば、座っている俺を見上げてふわりと笑う。

「ここが、前言っていたシロツメクサが生える河川敷」
「へぇ、ここが」

初めてマスターに出会ったとき、シロツメクサを見に行くと約束をした。そして、そのときに彼女に“ハル”という素敵な名前をもらった。それをマスターも覚えてくれていて、嬉しくて、つい顔がほころんだ。

「今は芝生しか見えないけれど、春になったらシロツメクサに一面覆われて、ここ一帯真っ白になるのよ」
「じゃあ、なおさら、マスターと見に行けるの楽しみだな」
「ふふ、私も」

嬉しそうに笑うマスター。俺は、マスターの心地いい声に耳を傾ける。すると

「あ、そう言えばぴったりかも!」

突然思い出したかのようにマスターは言った。

「何が?」

対する俺は首をかしげるわけで……。

「シロツメクサの花言葉」
「花言葉?」
「そう、ゼラニウムの喫茶店に行ったときに、バンボラに言われたの。ゼラニウムの花言葉は『予期せぬ出会い』だって」
「へぇ、バンボラ、そんなこと言っていたんだ。でも、素敵な花言葉だね」

俺がそういえば、「そうよね」とマスターは深く頷いて、言葉をつづけた。

「で、シロツメクサの花言葉は何だろうって思って調べてみたの」
「何だったの?」

俺が問うと「それがね……」と溜めてから、

「復讐」

と声を潜めて一言。

「え!?復讐?」

なんだか、物騒な響きだ。あんなに愛らしい花に、そんな意味が込められているのかと驚きに声を上げてしまう。すると、マスターはいたずらっぽく笑って

「あと、『幸運』」

そう付け加えた。

「え?」

マスターの言葉に90度首を傾ける。まるで意味が180度違う。

「実は、花言葉って、意味が一つじゃないんだって」

どういうことなんだろうと思っていれば、顔に出ていたのだろう。マスターが説明してくれた。

なんでも、花言葉は昔からいろいろな国から伝えられ、それが様々な文化と結びついて、同じ花でも資料によって違う意味になってしまうらしい。

「へぇ」

と感心する。なんだか、面白い。

「じゃあ、要するにその人の受け取り方ってことなんだ」
「うん、まぁ、そういうこと」

ふわぁと口元に手を置いて眠そうな声を出す。ご飯を食べた後なので、どうやら眠たいのだろう。「寝てもいいんだよ」と言えば、ゆっくりと首を振る。

「シロツメクサは、「復讐」と「幸運」以外にも意味があって」
「ほかにもあるんだね」
「うん」

マスターは頷いて、「あとは、『約束』」そう続けてから

「ね、だから、ぴったりでしょ?ハルと来年、シロツメクサを見に行くって約束したから」

ふわぁともう一度あくびをもらした。そして、俺を眩しそうに見上げる。

「だからね、ハル。約束よ」
「うん、約束!」

なんだか、いつもしっかり者のマスターが子どもみたいだ。その様子につい頬が緩みながら、俺は大きく頷いて

「他にも意味はあるの?」

俺がそう問いかければ

「あとは――……」
「あとは?」
「…………」

そういったきり返答がない。どうしたのだろうとマスターをのぞき込めば、スースーと寝息が聞こえ、身体が上下に動いていた。どうやら寝てしまったようだ。俺は、着ていたカーディガンを脱いで、マスターの体にそっとかけた。

マスターは優しい。そして、くるくると表情を変え、柔らかく笑う。そんなマスターの表情を見るのが俺は何より大好きだ。

最初に喫茶店でショーケースごしに、マスターを見ていた時バンボラの作った料理を美味しそうに食べていた様子を見て、この人はきっと素直な人なんだと思った。だからこそ、喫茶店で、一瞬、暗い表情を浮かべた彼女がほおってはおけなかった。彼女の傍で、彼女に安らぎを与える手助けがしたいと思った。そんなことを思い出しながら、マスターを見ていれば

「……申し訳ありません……申し訳ありません……」

悪夢にうなされているのか寝返りを打ち、身体をこちらへ向ける。その表情は苦しそう。
片目から涙が頬を伝っていた。

「マスター……」

マスターに昔何があったかなんて知らない。マスターが何を悩んでいるかなんてわからない。

何がマスターを苦しめているのか知りたくないといえば、嘘になる。

けれど、それを思い出すことでマスターが悲しい思いをするのは嫌だ。

だから、俺にできるのは、これからのマスターの笑顔を守ることだと思う。

「マスター、俺がいるからね」

俺は起こさないようにマスターの右手に自分の手のひらを重ねた。すると、どこか寝苦しそうにしていた表情が心なしか安らいだように見えた。

「俺がいるからね」

規則正しく寝息を立てるマスターにもう一度誓い、重ねている手に力を込める。

俺とマスターの間に優しい風が吹き抜けた。

俺は、『ハル』。マスターの、小野寺理子の同居ドールだ。
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