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第五話 その一線は越えられない
Chapter16
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―怜二―
昼過ぎに京都駅に着き、簡単に昼食を済ませてからまず取引先へ挨拶に行った。今後は担当を三浦に引き継ぐためだ。
それから慌ただしく大阪駅へ移動し、宿泊予約を取っていたビジネスホテルでチェックインして荷物を置き、また別の取引先へ挨拶に伺う。
久しぶりに会った取引先の社長と話が弾み、そのまま夜飲みに連れていかれる羽目になった。
「大阪へはいつ戻って来るのか」「まだ結婚する気はないのか」などと、酒の席というのもあって無遠慮な質問がどんどん飛んでくる。緊張のせいか口数が少ない三浦をフォローしつつ無難に質問をかわし、二軒目に繁華街のクラブへ連れて行かれそうになったところで慌てて辞退した。
「明日朝早いんか、残念やなあ。」
「すみません、不慣れな新人も連れているんで。」
「三浦君な。これからしっかりやりなさい。今のうちに佐伯君にたくさん教わって」
「社長、タクシー来ましたよっ。」
「おお、すまんね。」
一軒目だけでだいぶ出来上がった取引先の社長と社員二人をタクシーに乗せたところで、ようやく肩の荷が下りた。
「はあ…ほんまによお喋るわ、あの社長。」
店を出る際に慌ただしく羽織ったコートの前を合わせてボタンを留めていると、佐伯さん、と三浦が焦った声を出した。
「どないしたん。」
「俺、店にスマホ置いて来たかも。」
「ええ?早よ取りに行き。」
「すみません、すぐ行って来ます。」
店に走って行く三浦の背中を見送り、腕時計を見る。随分話し込んでいた気がするが、思ったより遅い時間にはなっていない。
「…あれ、怜二?」
不意にかけられた声に、聞き覚えがあった。
顔を上げる。かっちりとしたトレンチコートの上に、からし色のマフラーを巻いた、丸縁メガネの長身の男。
「…御崎さん?え、何でここに…?」
動揺で声が揺れる。予期しないタイミングでの再会に、心臓が小さく竦んだ。
御崎さんは、大阪支社時代に知り合った商社マンだった。かつての取引先の担当者で、ある時、酒の席で何故か口説かれて。
―東京に転勤になる直前まで、関係を持っていた。
「何でって、それはこっちのセリフやで。お前、東京行ったんとちゃうかったんか。」
「…いや今日は、出張で。」
「出張?何や、もしかして大阪戻って来るんか。」
御崎さんが嬉しそうに俺の方へ近づいてくる。思わず、一歩後退った。
「…戻らへんよ、もう。御崎さんとこには」
「何やそれ。大阪戻って来るならまたやり直そうや。」
それとも、と御崎さんは意地悪そうな笑みを浮かべ、俺の肩を掴んで強い力で引き寄せると、耳元で囁いた。
「もう新しい男が出来たんか?」
「…っ!」
思わず御崎さんを突き飛ばそうとした。
―それより早く、後ろから黒いコートを着た腕に抱き寄せられた。
「何してるんですか。」
「三浦…?!」
「何や、お前。」
御崎さんが鼻白む。
三浦は俺を背後にかばうと、御崎さんを見下ろした。御崎さんも背が高いと思っていたが、三浦はそれよりもっと高い。
「どなたか存じ上げませんが、俺の大事な先輩を困らせないでもらえますか。」
「ああ?」
「嫌がってるじゃないですか。」
いつも聞いている三浦の声より、随分とトーンが低かった。
…怒ってる?
どうしたらいいか分からず困っていると、不意に三浦が俺の方へ振り向いた。
「佐伯さん、この人に用事あるんですか。」
「え?…いや、何も。」
思わず素で答えると、三浦は急に俺の手を握り、では失礼します、と勝手に御崎さんに言って歩き出した。
「ちょ、三浦っ…?」
大きい歩幅でどんどん歩いて行く三浦に引きずられるようにして歩いていたが、ふと周りを見ると見覚えのない景色だった。
「三浦っ、道間違っとるで。ホテルはあっちや。」
握られた手を振りほどいて腕を掴む。ようやく立ち止まった三浦は、俺を見るとバツの悪そうな顔をした。
「すみません、大阪来たの初めてなんです。」
「謝るとこはそこか?」
つい突っ込む。すみません、と三浦はそれしか言わない。…謝る声が、硬い。
「…とにかく、ホテル戻らな。」
こっちや、と元来た道を少し戻って南へ曲がる。本当はさっきの店先まで戻りたかったが、御崎さんにまた会うのが嫌で違う道をたどった。
三浦は無言でついて来る。ようやくホテルの明かりが見えたところで、足を止めて振り返った。
「何も、聞かへんの。」
三浦は困った様に、唇を舐めた。
「誰にだって、知られたくない事ってあると思うから。…聞いて良いんですか?」
「それは…」
自分から話を振っておきながら、すぐに返事できず黙り込んでしまった。
「…大丈夫です、無理しないでください。」
三浦はそう言うと、早く部屋戻りましょ、と先にホテルの扉をくぐった。
少し離れて後を歩き、一緒にエレベーターに乗り込む。
「…佐伯さん、一つだけ良いですか。」
階数表示のランプを見たまま、三浦が聞いてくる。
「俺、余計な事しましたか?」
三浦の顔を見た。俺の視線を感じたのか、三浦もこちらを向く。
「…いや、そんな事ない。ありがとな。」
ようやくそれだけ言って俯いた。なら良かったです、と安堵したように三浦が言う。
「佐伯さんが困ってる様に見えたからつい口出しちゃったけど、余計な事したのかとも思って。」
8階でエレベーターが止まり、扉が開く。部屋はシングルを別々にとっていた。
「じゃあ、お疲れ様です。また、明日。」
「うん…おやすみ。」
「おやすみなさい。」
隣の部屋へ入って行く三浦を見送ると、大きくため息が出た。
昼過ぎに京都駅に着き、簡単に昼食を済ませてからまず取引先へ挨拶に行った。今後は担当を三浦に引き継ぐためだ。
それから慌ただしく大阪駅へ移動し、宿泊予約を取っていたビジネスホテルでチェックインして荷物を置き、また別の取引先へ挨拶に伺う。
久しぶりに会った取引先の社長と話が弾み、そのまま夜飲みに連れていかれる羽目になった。
「大阪へはいつ戻って来るのか」「まだ結婚する気はないのか」などと、酒の席というのもあって無遠慮な質問がどんどん飛んでくる。緊張のせいか口数が少ない三浦をフォローしつつ無難に質問をかわし、二軒目に繁華街のクラブへ連れて行かれそうになったところで慌てて辞退した。
「明日朝早いんか、残念やなあ。」
「すみません、不慣れな新人も連れているんで。」
「三浦君な。これからしっかりやりなさい。今のうちに佐伯君にたくさん教わって」
「社長、タクシー来ましたよっ。」
「おお、すまんね。」
一軒目だけでだいぶ出来上がった取引先の社長と社員二人をタクシーに乗せたところで、ようやく肩の荷が下りた。
「はあ…ほんまによお喋るわ、あの社長。」
店を出る際に慌ただしく羽織ったコートの前を合わせてボタンを留めていると、佐伯さん、と三浦が焦った声を出した。
「どないしたん。」
「俺、店にスマホ置いて来たかも。」
「ええ?早よ取りに行き。」
「すみません、すぐ行って来ます。」
店に走って行く三浦の背中を見送り、腕時計を見る。随分話し込んでいた気がするが、思ったより遅い時間にはなっていない。
「…あれ、怜二?」
不意にかけられた声に、聞き覚えがあった。
顔を上げる。かっちりとしたトレンチコートの上に、からし色のマフラーを巻いた、丸縁メガネの長身の男。
「…御崎さん?え、何でここに…?」
動揺で声が揺れる。予期しないタイミングでの再会に、心臓が小さく竦んだ。
御崎さんは、大阪支社時代に知り合った商社マンだった。かつての取引先の担当者で、ある時、酒の席で何故か口説かれて。
―東京に転勤になる直前まで、関係を持っていた。
「何でって、それはこっちのセリフやで。お前、東京行ったんとちゃうかったんか。」
「…いや今日は、出張で。」
「出張?何や、もしかして大阪戻って来るんか。」
御崎さんが嬉しそうに俺の方へ近づいてくる。思わず、一歩後退った。
「…戻らへんよ、もう。御崎さんとこには」
「何やそれ。大阪戻って来るならまたやり直そうや。」
それとも、と御崎さんは意地悪そうな笑みを浮かべ、俺の肩を掴んで強い力で引き寄せると、耳元で囁いた。
「もう新しい男が出来たんか?」
「…っ!」
思わず御崎さんを突き飛ばそうとした。
―それより早く、後ろから黒いコートを着た腕に抱き寄せられた。
「何してるんですか。」
「三浦…?!」
「何や、お前。」
御崎さんが鼻白む。
三浦は俺を背後にかばうと、御崎さんを見下ろした。御崎さんも背が高いと思っていたが、三浦はそれよりもっと高い。
「どなたか存じ上げませんが、俺の大事な先輩を困らせないでもらえますか。」
「ああ?」
「嫌がってるじゃないですか。」
いつも聞いている三浦の声より、随分とトーンが低かった。
…怒ってる?
どうしたらいいか分からず困っていると、不意に三浦が俺の方へ振り向いた。
「佐伯さん、この人に用事あるんですか。」
「え?…いや、何も。」
思わず素で答えると、三浦は急に俺の手を握り、では失礼します、と勝手に御崎さんに言って歩き出した。
「ちょ、三浦っ…?」
大きい歩幅でどんどん歩いて行く三浦に引きずられるようにして歩いていたが、ふと周りを見ると見覚えのない景色だった。
「三浦っ、道間違っとるで。ホテルはあっちや。」
握られた手を振りほどいて腕を掴む。ようやく立ち止まった三浦は、俺を見るとバツの悪そうな顔をした。
「すみません、大阪来たの初めてなんです。」
「謝るとこはそこか?」
つい突っ込む。すみません、と三浦はそれしか言わない。…謝る声が、硬い。
「…とにかく、ホテル戻らな。」
こっちや、と元来た道を少し戻って南へ曲がる。本当はさっきの店先まで戻りたかったが、御崎さんにまた会うのが嫌で違う道をたどった。
三浦は無言でついて来る。ようやくホテルの明かりが見えたところで、足を止めて振り返った。
「何も、聞かへんの。」
三浦は困った様に、唇を舐めた。
「誰にだって、知られたくない事ってあると思うから。…聞いて良いんですか?」
「それは…」
自分から話を振っておきながら、すぐに返事できず黙り込んでしまった。
「…大丈夫です、無理しないでください。」
三浦はそう言うと、早く部屋戻りましょ、と先にホテルの扉をくぐった。
少し離れて後を歩き、一緒にエレベーターに乗り込む。
「…佐伯さん、一つだけ良いですか。」
階数表示のランプを見たまま、三浦が聞いてくる。
「俺、余計な事しましたか?」
三浦の顔を見た。俺の視線を感じたのか、三浦もこちらを向く。
「…いや、そんな事ない。ありがとな。」
ようやくそれだけ言って俯いた。なら良かったです、と安堵したように三浦が言う。
「佐伯さんが困ってる様に見えたからつい口出しちゃったけど、余計な事したのかとも思って。」
8階でエレベーターが止まり、扉が開く。部屋はシングルを別々にとっていた。
「じゃあ、お疲れ様です。また、明日。」
「うん…おやすみ。」
「おやすみなさい。」
隣の部屋へ入って行く三浦を見送ると、大きくため息が出た。
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