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Aria : Broke the Moon
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通勤距離が遠く、交通手段が限られる事が災いし、結局不採用に終わった面接の結果が返されたその日、律子は母親と言い争いになっていた。
「だから、バスの時間考慮してくれって言わなきゃ、九時の便で帰れなかったら最後はタクシーじゃない。時給が幾らもないのに、そんなに交通費掛けられないわよ!」
「歩いて帰ってくればいいじゃないの!」
「歩いてって……何キロあると思ってるの? しかも帰ってくるのは十時とっくに過ぎてるのよ?」
「車どころか人だって通らない場所でしょ? 歩けばいいじゃない!」
「だから、馬鹿言わないでよ。十キロ以上あるのよ? しかも街灯だってあったり無かったり、とてもじゃないけど歩ける距離じゃないわよ!」
「仕事なんてそんな物よ、そんな事も分からないの?」
「だったらお母さんはそういう事してたの?」
「貴女はそういう事をしてでも稼ぐ理由があるでしょうが!」
「そんな無茶な」
「もういい! 出て行きなさい! 働かないバカ娘にこれ以上何をする義理もないわ。さっさと出て行け!」
「ちょ、ちょっと」
階段へと突き飛ばされそうになり、律子は背筋が冷たくなるのを感じた。
「待って、ちょっと待ってよ」
「待てない!」
「だ、だけど、今外に出ちゃったら、お巡りさんが!」
「は?」
「だ、だから、お巡りさんに声を掛けられたら面倒じゃない!」
階段から離れて洗面台へと逃げ、律子は心臓が暴れるのを感じながら言葉をつないだ。
「家はどこって、身分証求められたら、ばれるし。こんなごたごた、余所様に見せちゃだめじゃない!」
母親は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、舌打ちした。
「もう顔も見たくない。朝、顔見せたら今度こそ承知しないからね!」
吐き捨て、母親は階段を下りて行った。
律子は母親の気配が消えるとともに、震える息を吐き出しながら、寝室へと入る。
分かっては居た。
高校に進んでも、大学に進んでも、大学を出てもなお、自分のやりたい事など見つからなかった。
とにかく高校は卒業しなければならないと、地元の普通科高校に進み、これと言って進路は決まらないまま、受験を前提にしたクラスへと進んだ事から、地元の、そう学費の高くない文系の大学へと進んだ。
だが、これと言って就きたい職業があるわけでも無く、授業も自分が望んで履修する物とは限らず、単位の回収は卒業間近までかかっていた。
結局、新卒採用での就職は出来ず、アルバイトも、見つけては何ヶ月も経たずに辞め、勤めるあてさえ無くなりつつあった。
襖を背に座り込み、律子は思案した。
出て行けと言われても、頼る相手は居ない。付き合いのある親戚が近くに住んでいるわけでも無く、友人も実家住まいで厄介事を持ち込める相手ではなかった。
ふと、プロジェクトの話し合いが三日後に控えている事を彼女は思い出す。
(せめて、台本の草案だけは、座長さんにお渡ししないと……)
まだ完成はしていなかったし、家を出る事になれば、もう、プロジェクトに係わる事も叶いはしなくなる。だが、指名された責任だけは果たしたいと考えていた。
せめて、話し合いの時までは何処かのネットカフェにでも留まれないものか。彼女は使える現金の残高を考えた。だが、二日間、そこで雨風をしのぐにも心許ない額しか残されてはいない。
律子は顔を上げ、パソコンを見遣る。
プリンターを動かせば、また言い争いになる事は火を見るよりも明らかだった。だが、書きかけの草案であっても、共有する術が必要だと思案する。
そして、立ち上がった律子はハードディスクに保存している草案をブラウザメールの添付ファイルとしてオンライン上に残し、メモ用紙へアカウントの名義とパスワードを書きつける。
家を出たとして、過ごす場所があるのは隣接する街。ならば、そちらへ向かう足で、台本の草案を座長に託せばいい。律子はメモを財布に納めると、持ち出せそうな物だけを鞄へと納めていった。
「だから、バスの時間考慮してくれって言わなきゃ、九時の便で帰れなかったら最後はタクシーじゃない。時給が幾らもないのに、そんなに交通費掛けられないわよ!」
「歩いて帰ってくればいいじゃないの!」
「歩いてって……何キロあると思ってるの? しかも帰ってくるのは十時とっくに過ぎてるのよ?」
「車どころか人だって通らない場所でしょ? 歩けばいいじゃない!」
「だから、馬鹿言わないでよ。十キロ以上あるのよ? しかも街灯だってあったり無かったり、とてもじゃないけど歩ける距離じゃないわよ!」
「仕事なんてそんな物よ、そんな事も分からないの?」
「だったらお母さんはそういう事してたの?」
「貴女はそういう事をしてでも稼ぐ理由があるでしょうが!」
「そんな無茶な」
「もういい! 出て行きなさい! 働かないバカ娘にこれ以上何をする義理もないわ。さっさと出て行け!」
「ちょ、ちょっと」
階段へと突き飛ばされそうになり、律子は背筋が冷たくなるのを感じた。
「待って、ちょっと待ってよ」
「待てない!」
「だ、だけど、今外に出ちゃったら、お巡りさんが!」
「は?」
「だ、だから、お巡りさんに声を掛けられたら面倒じゃない!」
階段から離れて洗面台へと逃げ、律子は心臓が暴れるのを感じながら言葉をつないだ。
「家はどこって、身分証求められたら、ばれるし。こんなごたごた、余所様に見せちゃだめじゃない!」
母親は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、舌打ちした。
「もう顔も見たくない。朝、顔見せたら今度こそ承知しないからね!」
吐き捨て、母親は階段を下りて行った。
律子は母親の気配が消えるとともに、震える息を吐き出しながら、寝室へと入る。
分かっては居た。
高校に進んでも、大学に進んでも、大学を出てもなお、自分のやりたい事など見つからなかった。
とにかく高校は卒業しなければならないと、地元の普通科高校に進み、これと言って進路は決まらないまま、受験を前提にしたクラスへと進んだ事から、地元の、そう学費の高くない文系の大学へと進んだ。
だが、これと言って就きたい職業があるわけでも無く、授業も自分が望んで履修する物とは限らず、単位の回収は卒業間近までかかっていた。
結局、新卒採用での就職は出来ず、アルバイトも、見つけては何ヶ月も経たずに辞め、勤めるあてさえ無くなりつつあった。
襖を背に座り込み、律子は思案した。
出て行けと言われても、頼る相手は居ない。付き合いのある親戚が近くに住んでいるわけでも無く、友人も実家住まいで厄介事を持ち込める相手ではなかった。
ふと、プロジェクトの話し合いが三日後に控えている事を彼女は思い出す。
(せめて、台本の草案だけは、座長さんにお渡ししないと……)
まだ完成はしていなかったし、家を出る事になれば、もう、プロジェクトに係わる事も叶いはしなくなる。だが、指名された責任だけは果たしたいと考えていた。
せめて、話し合いの時までは何処かのネットカフェにでも留まれないものか。彼女は使える現金の残高を考えた。だが、二日間、そこで雨風をしのぐにも心許ない額しか残されてはいない。
律子は顔を上げ、パソコンを見遣る。
プリンターを動かせば、また言い争いになる事は火を見るよりも明らかだった。だが、書きかけの草案であっても、共有する術が必要だと思案する。
そして、立ち上がった律子はハードディスクに保存している草案をブラウザメールの添付ファイルとしてオンライン上に残し、メモ用紙へアカウントの名義とパスワードを書きつける。
家を出たとして、過ごす場所があるのは隣接する街。ならば、そちらへ向かう足で、台本の草案を座長に託せばいい。律子はメモを財布に納めると、持ち出せそうな物だけを鞄へと納めていった。
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