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一 混色の果て
四 崇高なる矛盾
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午前十時を過ぎた頃、警備部情報管理課の事務所で簿書係長の和泉は溜息を吐いていた。彼女の目の前に佇む女性がから告げられた事の顛末は、昨年の夏に起こった事と何も変わりが無かったのだ。
「福祉部と支援課には私から十分伝えておくから、あなたは何もしなくていいわ」
「お手数をおかけします」
和泉の前に佇む女性は溜息を吐く様に頭を下げた。
「あまり気にしなくていいわ、あなたに落ち度はないのだから」
和泉が此処で働き始めたのは約二年前の事。内部の状況が目に見えて悪化したのは年度が切り替わった四月に入る頃の事だったが、それ以前からこの組織に何ら進歩が無い事を彼女はまざまざと見せつけられている気分だった。
「では、よろしくお願いします」
佇む女性は再び頭を下げる。
「それじゃあ……ちょっと遅くなったけど、警備の雑務、お願いします」
「かしこまりました。失礼します」
居住まいを正した女性はそれまでの項垂れる様な礼とは異なるしっかりとした礼をし、廊下へと出る。
「毎度毎度、災難だったな」
「えぇ、全くです」
狭い通路で女性を待っていたのは警備員の制服を身に着けた男だった。
「多様性とかなんとか掲げている割に、結局は宗教が倫理を支配し……そしてそれを押し付ける。全く素晴らしい理念だと思います」
「そうだな。寛容という名の不寛容、少数派尊重による多数派迫害、この半世紀、日本が繰り返してきた失敗を煮詰めた様な理念だよな」
警備員は女性の悪態に更なる皮肉を返すが、女性はそれに反論しない。
「そんなだから付け込まれて、こんな事になるんです」
低く呟かれた女性の言葉に、警備員は眉を顰める。
「……それでも、あなたの様な人が居るから、この国はまだ国として成り立とうとしている様に見える」
思いがけない言葉に女性は隣を歩く男の顔を見上げる。
「俺の仕事は、あなたの様な人が、自分のまま生きられるようにする事だと思ってるよ」
女性の先を行く男の表情は階段の薄闇に吸い込まれ、女性の眼にはその背中しか見えない。
「あの」
「回収は俺がします。支度をしてエレベーターの前に居て下さい」
女性は目を伏せながら階段に背を向け、男とは反対に階段を昇り始めた。
ほんのひと月ほど前までは自由に出入りしていたはずの地下が、今や近付く事の許されない危険地帯になってしまった事を苦々しく思いながら。
午前の警備活動に警備員達が出払っているとはいえ、緊急出動に備えて待機している警備員は少なくなく、残る警備員は運動器具を使った鍛錬やサンドバッグを相手にした訓練に励んでいる。ただ一人を除いて。
「さっきは面倒を押し付けてすまなかった。大丈夫だったか?」
警備部情報管理課簿書係に所属する土谷はただ一人雑誌に目を通していた男に話しかける。
「あぁ。だが、あの男の事だ、どれほど絞られたところで、また同じ事をするだろう」
帰ってきた言葉に土谷は深い溜息を吐いた。
「二度有る事は三度有る、か。懲りないにも程が有る」
「懲りないのではなく、彼にとってはあれが正義なんだ。俺には全く理解出来ないが」
雑誌を閉じながら、警備部警備課所属のエンリケ・リャヌラは立ち上がった。
「洗濯だろう?」
「あぁ」
「隣の分を回収してくる」
「こんな日まですまない」
「君が入ると面倒だろう?」
「まあ、な……」
エンリケは眉を顰める土谷の脇をすり抜け、隣接する控室へと向かう。
かつて隣接する控室は非正規の警備員に割り当てられていたが、現在は女子警備員の控室となっている。地球市民友好協会では職員の男女比や人種比が可能な限り均等化されているが、状況に応じて人員の増減が必要な警備員に関しては外部の警備会社からの派遣に頼る割合が高く、女性警備員の派遣を希望していても男性警備員の方が多くなっている。
故に現状では男子控室は過密状態となり、それまでは統合されていた情報管理課に所属する警備員のロッカーは情報管理課に移された。しかし、警備員達には拳銃やそれに準ずる武装が貸与されており、銃器所持に厳しい日本においてそれらの保管場所が分散するのは好ましからざる状況である。
ひとつの理念の為に重要な安全保障が失われた事を嘆かわしく思いつつ、土谷が投げ出された制服の詰め込まれた折り畳みワゴンとからの折り畳みワゴンを交換していると、廊下に言い争う声が響く。
約二週間前までは控室と更衣室が分割されており、男性警備員は控室の仕切りの奥で着替え、女性警備員には専用の更衣室が用意されていた。ロッカーも私物と制服を保管する棚と武装を保管する棚が別になっており、武装品の不正な持ち出しを監視するカメラも設置されていた。
だが、現在は一人に対してひとつしか棚の貸与が無く、男女別の控室となってからは更衣室と控室も統合されている。それは合理的な設計と言えるものであったが、控室の扉は緊急時には何の確認も無く解放され、出動命令が下される。無論、指揮官は男性か女性のどちらか一方であり、場合によっては更衣室だからと全裸になった女性警備員の姿を男性指揮官が目の当たりにするのだ。
汚れた制服の詰まったワゴンを廊下に引きずり出しながら、土谷はエンリケの姿を探す。
「福祉部と支援課には私から十分伝えておくから、あなたは何もしなくていいわ」
「お手数をおかけします」
和泉の前に佇む女性は溜息を吐く様に頭を下げた。
「あまり気にしなくていいわ、あなたに落ち度はないのだから」
和泉が此処で働き始めたのは約二年前の事。内部の状況が目に見えて悪化したのは年度が切り替わった四月に入る頃の事だったが、それ以前からこの組織に何ら進歩が無い事を彼女はまざまざと見せつけられている気分だった。
「では、よろしくお願いします」
佇む女性は再び頭を下げる。
「それじゃあ……ちょっと遅くなったけど、警備の雑務、お願いします」
「かしこまりました。失礼します」
居住まいを正した女性はそれまでの項垂れる様な礼とは異なるしっかりとした礼をし、廊下へと出る。
「毎度毎度、災難だったな」
「えぇ、全くです」
狭い通路で女性を待っていたのは警備員の制服を身に着けた男だった。
「多様性とかなんとか掲げている割に、結局は宗教が倫理を支配し……そしてそれを押し付ける。全く素晴らしい理念だと思います」
「そうだな。寛容という名の不寛容、少数派尊重による多数派迫害、この半世紀、日本が繰り返してきた失敗を煮詰めた様な理念だよな」
警備員は女性の悪態に更なる皮肉を返すが、女性はそれに反論しない。
「そんなだから付け込まれて、こんな事になるんです」
低く呟かれた女性の言葉に、警備員は眉を顰める。
「……それでも、あなたの様な人が居るから、この国はまだ国として成り立とうとしている様に見える」
思いがけない言葉に女性は隣を歩く男の顔を見上げる。
「俺の仕事は、あなたの様な人が、自分のまま生きられるようにする事だと思ってるよ」
女性の先を行く男の表情は階段の薄闇に吸い込まれ、女性の眼にはその背中しか見えない。
「あの」
「回収は俺がします。支度をしてエレベーターの前に居て下さい」
女性は目を伏せながら階段に背を向け、男とは反対に階段を昇り始めた。
ほんのひと月ほど前までは自由に出入りしていたはずの地下が、今や近付く事の許されない危険地帯になってしまった事を苦々しく思いながら。
午前の警備活動に警備員達が出払っているとはいえ、緊急出動に備えて待機している警備員は少なくなく、残る警備員は運動器具を使った鍛錬やサンドバッグを相手にした訓練に励んでいる。ただ一人を除いて。
「さっきは面倒を押し付けてすまなかった。大丈夫だったか?」
警備部情報管理課簿書係に所属する土谷はただ一人雑誌に目を通していた男に話しかける。
「あぁ。だが、あの男の事だ、どれほど絞られたところで、また同じ事をするだろう」
帰ってきた言葉に土谷は深い溜息を吐いた。
「二度有る事は三度有る、か。懲りないにも程が有る」
「懲りないのではなく、彼にとってはあれが正義なんだ。俺には全く理解出来ないが」
雑誌を閉じながら、警備部警備課所属のエンリケ・リャヌラは立ち上がった。
「洗濯だろう?」
「あぁ」
「隣の分を回収してくる」
「こんな日まですまない」
「君が入ると面倒だろう?」
「まあ、な……」
エンリケは眉を顰める土谷の脇をすり抜け、隣接する控室へと向かう。
かつて隣接する控室は非正規の警備員に割り当てられていたが、現在は女子警備員の控室となっている。地球市民友好協会では職員の男女比や人種比が可能な限り均等化されているが、状況に応じて人員の増減が必要な警備員に関しては外部の警備会社からの派遣に頼る割合が高く、女性警備員の派遣を希望していても男性警備員の方が多くなっている。
故に現状では男子控室は過密状態となり、それまでは統合されていた情報管理課に所属する警備員のロッカーは情報管理課に移された。しかし、警備員達には拳銃やそれに準ずる武装が貸与されており、銃器所持に厳しい日本においてそれらの保管場所が分散するのは好ましからざる状況である。
ひとつの理念の為に重要な安全保障が失われた事を嘆かわしく思いつつ、土谷が投げ出された制服の詰め込まれた折り畳みワゴンとからの折り畳みワゴンを交換していると、廊下に言い争う声が響く。
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