月夜の森の異種族見聞譚 〜臆病な森人ナユタナの見聞〜

ポムサノコペリ

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第二夜『屋敷と遠征』

九(第十六話)

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 窓の向こうには闇が広がっていた。
 静かに沈んだ、夜明け前の闇だ。

 薬壺を抱えたナユタナは、一晩中それを魔力で練り続け、蜜のように粘りの強い薬を作り上げた。
 薬作りを得意とする森人族の中でも、彼女の薬は飛び抜けて効果が高いと評判である。

 昨晩食べたカルヴァン鳥のおかげで体力が漲っていた。
 今までになく上出来な薬に満足したナユタナは、寝台脇の椅子に上がり、灯りを手に取った。

 部屋の扉の取っ手の位置は高く、ナユタナには廊下へ出るだけでも一苦労である。
 それでも彼女は軽やかに動き、難なくユトロの部屋を抜けた。
 冷たい石床の通路を進み、自室の前に着くと、ためらうことなく戸を押して中へ入る。

「……ナユタナ様? お、おはようございます!
 起こしに行けなくて……すみません!」

 戸の音で目を覚ましたマーヤが、慌てて寝台を降りた。
 彼女はリーナの隣で肌着のまま眠っていたのだ。
 寝台の綿敷が柔らかく、泥のように眠り込んだせいで、すっかり寝過ごしたのだと思い込む。

「……声を落としてくれ。薬ができた」

 マーヤは瞬く間に女中衣に着替え、前掛けを締めて窓掛けを開けた。
 外はまだ暗く、日が昇る前だとわかる。
 寝坊ではなかったと安堵しつつ、すぐに気を取り直して寝台へ椅子を運んだ。

「これはな、大樹海秘伝の治療法なのだ。
 誰にも見られぬよう、天蓋の幕を閉めてくれ」

 ナユタナは目を細めてそう言い、こそこそと椅子に上って棚に灯を置いた。

「あたしも見てはならないのですか……?」
「うむ、悪いが外で待っていてほしい」

「……ナユタナさま……?」

 二人のやり取りに、リーナが目を覚ます。

「ああ、起きてしまったか。──まあよい。
 リーナよ、今から秘伝の施術を行う。
 じっとしておるのだぞ?」

 マーヤはナユタナの妙な立ちふるまいが気になったが、薬を作り続けていたせいで少しおかしくなっているのだろうと思い直した。

「リーナ、あたしはここにいるから。
 ナユタナ様の言うことを聞くのよ?」

 天蓋の幕を閉じ、マーヤはそこに張りついて中の声に耳をそばだてる。

「少し冷たいものが入るぞ。
 声は出さぬでよい。我慢するのだ……そう、いいぞ」

「うぅっ! う……うぅっ!」

 リーナは痛みをこらえるように声を抑えている。
 マーヤは胸を押さえ、天蓋の幕を睨んだ。

「触ってはならんぞ。我慢するのだ。
 ──痛みはすぐに引く」
「う……うぅ……」

 すすり泣くリーナの声に、マーヤは両手を握って目を瞑った。
 何をされているのかわからないが、目が覚めていてこれほど呻くのだ。
 もし眠っている間にされたなら、きっと飛び起きていた。
 そう思うと、胸がきゅっと縮んだ。

「よし、終わりだ。
 マーヤ、布を持ってきてくれ。頭に巻ける長さがほしい」

 幕からナユタナが顔を出し、マーヤは籠から布を探して渡した。
 開いた幕の隙間から覗くと、リーナは目を赤く腫らし、涙を流していた。
 マーヤは思わず息を呑む。

「ナユタナ様……」
「案ずるな。続いて大樹海秘伝の手当てを行う。
 マーヤはリーナの目を布で覆ってくれ」

 入ってはならぬと、また幕が閉じられると思ったマーヤは、きょとんとした。

「あたしが見ていて、いいのですか……?」
「む……そうであった。
 ううん、もう面倒だ。マーヤよ、手伝ってくれ。
 ここで見たことは他言無用だぞ?」

 幕の中へ入り、リーナを起こしたマーヤは、妹の両目を覆うように布を巻いた。
 寝台の縁に座らされたリーナは、ナユタナの手を両目にあてがわれる。
 マーヤには、その手が草木の青に淡く光って見えた。

 ナユタナは“大樹海秘伝”と言っているが、これは魔法ではないか──
 マーヤはそう思った。
 きっとナユタナは、自らの魔法を隠したいのだ。
 そう察したマーヤは、決して口外すまいと、静かに心に誓う。

「どうだ、リーナ?」
「あ……あったかいです。
 痛いのが、だんだん消えていきます……」

 マーヤは胸を撫で下ろした。
 ナユタナはこの治療をしばらく続けるという。
 発熱の治療だと思っていたマーヤは、ようやくナユタナの真意を理解した。
 半信半疑ながらも、ナユタナの“秘伝”には、人の手では届かぬ力が宿っている気がした。

「ナユタナ様、リーナを……よろしくお願いします!」
「う、うむ。
 やるだけやってみるが、うまくいくことを信じてくれ。
 二人が信じてくれるなら、私もできそうな気がするからな」

 昨晩、リーナが隠れて泣いていたのをマーヤは知っている。
 リーナは高熱から助かった代わりに、視力をすっかり失ってしまったのだ。
 これまではぼんやり見えていたため、簡単な仕事はこなせたが、これからはそうはいかない。
 リーナはこの先の自分を思い描けず、独りで不安に怯えていた。

「これは、目玉の硝子を澄んだ状態に戻す治療だ。
 薬は硝子を作り変えるが、その作業には体力がいる。
 だからリーナよ、しっかり食事を摂り、精をつけるのだぞ」

 リーナは両手を握りしめて頷いた。
 少女の頬に赤みがさす。
 ひと息ついたナユタナは、そのまま寝台に突っ伏して眠ってしまった。


 △ ☽ △


 ナユタナが次に目を覚ますと、夕刻だった。

 むくりと起き上がると、広い毛布の海にぽつんと座っている。
 大男の寝台の上だった。
 リーナの治療を行ったあとに倒れ、ユトロの部屋へ運ばれたらしい。

「ようやく起きなさったか」

 窓辺の椅子に腰かけていたドロナが、立ち上がってナユタナのもとへやって来た。

「お前さん、一晩中この薬に“秘伝の術”とやらをかけていたのか?」

 薬壺を手にしたドロナは、それをナユタナへ渡した。

「念のため中身を確かめてみたが、強い効果を持つこと以外は私にはわからない。
 マーヤに集めさせた薬草だけでは、あんなふうにはならん。
 薬草の効能をただ強めただけでもなさそうだった」

 ナユタナは口を尖らせて薬壺を抱え、大事そうに撫でた。
 ドロナは、その小さな森人から滲む異質の気配に、思わず身をこわばらせた。
 人の理では測れぬものが、いま目の前にあるのだと感じた。

 もしナユタナの姿が森人として当たり前のものなのだとすれば──
 人族以外の種族が皆これほどの力を持つというのなら、自分たち人族は、あまりにも無力な存在ではないか。
 そう思わずにいられなかった。

「リーナの目を診たが、発熱前の状態に戻っていた」
「おお……そうか。上手くいったようで、よかった」

 薬が効いたと聞き、ナユタナは満足そうに息を漏らす。

 この治療を今後も続けるつもりだと、ドロナはマーヤから聞いている。
 つまりナユタナが目指すのは、リーナの視力の“完治”なのだろう。

「こんなことを言うのは辛いが……
 今のままで、治療は終わらせたほうがいいんじゃないか?」

 ドロナの言葉に、ナユタナは困惑した。
 リーナの不自由な目を放置して何の利があるのかと。

「なぜだ……?」

「もしリーナの目がきれいに治っちまったら、他の者たちはどう思うだろう。
 『自分も治してほしい』と言い出すさ」

 屋敷の使用人の中には、体を患う者も、手足を失った者もいる。
 そのことを思い出し、ナユタナはドロナの考えがもっともだと頷いた。

 ナユタナの薬は万能薬ではない。
 今回のものは、リーナの症状に合わせて調合した特別な薬だ。
 とはいえ、治療できそうな者も何人かは思い浮かぶ。

「リーナの治療は、私がしたいからやったのだ。
 他の者のことは、今はその必要を感じぬ」

 リーナの熱を冷ましたのは、魔物化の危険があったためだ。
 それは、この屋敷で共に暮らす、自分のためでもある。
 また、人族と月光の関係に興味が湧き、自らの仮説を確かめたかった。

 薬についても同じだ。
 薬草の効能を“介”の属性でどこまで操れるか、どんな反応が起こるのか──それを試したかったのだ。

 カルヴァン鳥の肉を食べて頭が冴え、予想以上の良薬ができたことに胸が躍った。
 リーナの病が快方に向かったのは、その結果にすぎなかった。
 リーナという人族の少女に対する情は、ナユタナの中でまだ根を張っていない。

「それに、せっかく良い薬ができたのだ。
 使わぬのは、損ではないか?」

 薬の効果がどこまで及ぶのかを見届けたい──その気持ちが今の彼女を動かしている。
 目を細めるナユタナを見て、ドロナは思わず大声で笑った。
 ナユタナはびくりと飛び上がった。

「確かにそうだな。
 ナユタナ様がやりたいと言うなら、そうしてくれ。
 私たちにはありがたいことだからな。
 あんたが困らんよう、私も力を貸そう」

 この森人は、人族に手を差し伸べる慈悲深い存在ではない。
 むしろ探求に貪欲な、子どものような者だ。

 だが、その知識と力は確かである。
 治せる病があるなら、治してもらえばいいのだ。
 自分は人族とナユタナの間に立ち、円滑にゆくよう取り計らえばよい。
 ドロナはそれが己の役目と捉えた。

「ドロナは私に、ずいぶん親切なのだな」
「私はあんたに感謝している。すでに、いくつもな」

 両親の勇敢さを教えてくれたこと、リーナを救ってくれたこと、調子に乗っていた頭の痛い息子とその嫁に一泡吹かせてくれたこと──
 たまたま森人の道楽にされたとて、それを差し引いても感謝が余った。

「旦那様の嫁になってくれれば、より親切にするがな」
「それは……どうだろうか」

 ドロナの笑い声に、ナユタナは言葉を濁した。

「ドロナはユトロを慕っているのだな。
 怖いとは思わんのか?」
「うむ、旦那様は“呪い持ち”なだけだ。
 見た目はおっかないが、本当に恐ろしいのは、道理の通じぬ相手かもしれんぞ」

 小さな森人でさえ、魔法を自在に操る異種族である。
 道理の異なる存在と相対することこそ、ドロナには恐ろしいと思えた。

「……“呪い持ち”?」

 聞き慣れぬ言葉に、ナユタナは小首を傾げた。

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