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桜。
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昼間の真っ青な空。
そして夕刻のオレンジ色。
紅く染まっていく夕陽。
夜の空はそんな青と赤が混ざって、他にも本当に色々な色が混ざった深い深い紫だとシルフィーナは感じている。
群青色にも近い。
そこにもう少し紅が混ざっているような。
夜の空を真っ黒だと表現する人は、きっと本当の漆黒を知らないのだ、と。
そうも思う。
あの、魔が凝縮した漆黒。
空間にぽっかりと穴が空いたようなあの漆黒の恐ろしさを。
目の前の美麗な侯爵様は、そんな夜の色、艶のある髪色を肩まで伸ばし、白磁のように滑らかな肌、月の光のような黄金の瞳をしている。
その全てがシルフィーナにとっては理想の王子様の姿を再現したような。そんな気がして。
どうしても、見惚れてしまう。
あんなことを言われたばっかりなのに、と、そうは思うけれど。
だめだ。
「奥様。さあお席に」
立ち尽くしていたところをリーファに促されて席につく。
左手には大きく開いた窓があり、綺麗なピンクの花びらが風に舞っていた。
「おはよう。ああそうか、マーデンには桜は無かったな。珍しいかな?」
見惚れていた自分が恥ずかしく、目を逸らして外を見ていたのに気がつかれたのか、侯爵がそう優しく言った。
「おはようございます旦那様。いえ、あの、はい、あのような可憐なお花、初めてで」
頬を染め、そう答えるシルフィーナ。
「あれは東方でよく見られる樹で、この季節にああして綺麗な花をつけ、そして散るのだ。その儚さが気に入ってこうして取り寄せた。毎年この季節は本当に見頃だよ」
そう桜を眺めながら優しく話すサイラス・スタンフォード侯爵。
その横顔は、どことなく寂しげに見える。
運ばれてきた朝食は、新鮮なお野菜がふんだんに使われたサラダに、柔らかい真っ白なパン。
白身魚のマリネを頂いた後、デザートにはイチゴのジャムをほんのりのせたヨーグルト。
全てシルフィーナの大好きなもので。
(旦那様はこれで足りるのでしょうか……?)
サイラスが口にしたのはそのうちほんの少量で。
成人男性の朝食としてはあまりにも少ない量に感じたシルフィーナ。
でも。
そう声をかけるのも恥ずかしい。
もしかしたら、この後お仕事の会食が控えているのかもしれない。
お昼にたくさんお召し上がりになるのかもしれない。
朝食を共にする、そうしたお約束のために、自分にお付き合いしてくれているだけかもしれない。
そう考えると余分な事は言えなくて。
ご馳走様でしたと手を合わせ。
今度もまたリーファに促されるままお部屋に戻ることに。
帰り際。
もう一度だけ窓の外の桜に目を向けて。
ああ。あの花が、あと3回咲いて散る時。
この契約が終わるのだ、と。
♢
昼食はいつも一人。
夕食は、侯爵の仕事の都合でご一緒したりしなかったり。
朝食だけに条件がつけられていたあれは、別に他所で食べてくるという意味ではなしに、お仕事で遅くなった夜までシルフィーナを待たせないでおこうという侯爵なりの気の使い方だったのだと知るのに、そう日にちは掛からなかった。
(旦那様は優しい、でも……)
侯爵は優しかった。
全てにおいてシルフィーナを第一に考えてくれるよう采配してくれ、なんの不自由もなく過ごすことができていた。
一緒にいる時間も。
まるで本当の夫婦でいるかのように。
家人の前でもそれは全く変わらずに、優しく接してくれる。
いつも、どんな時も、その優しい瞳は絶やさずシルフィーナに向けられていた。
「お似合いのご夫婦でいらっしゃいますね」
会う人会う人そう声をかけてくれる。
幸せそうに寄り添う二人に、家人も皆笑顔を向けてくれていた。
けれど。
(旦那様は、わたくしの名を呼んでくださらない……)
サイラスは、決してシルフィーナをその名で呼ぼうとはしなかった。
呼ぶときは、『君』とだけ。
そこにどうしても壁があるような、そんな気がして。
悲しかった。
♢
桜ももう全て散ってしまい、すっかりと緑に覆い尽くされた頃。
お屋敷には大勢の針子が呼ばれていた。
そろそろ社交のシーズンも本番。
連日にわたるそういった社交の場に顔を出すには、シルフィーナには所有しているドレスの数が足りなかった。
男爵家から持ってきたものは姉のお古だけ。
数着は婚姻前にサイラスより贈られたものがあったけれど、それもそう種類があるものでもない。
一張羅の白銀のドレスは婚姻のパーティで着てしまった。
他にあるドレスも、令嬢としてはまあ許せても、侯爵夫人となった今では皆見劣りするものばかり。
「お直ししますから!」
そう、自分で直して着ようと思っていたシルフィーナに、
「奥様? それでは私どもが笑われます。どうか侯爵夫人としてふさわしい装いをお願いします」
と、その言葉を一刀両断に切って捨てるリーファ。
その勢いに負けた彼女、渋々ではあったけれど新しいドレスをつくることを承諾する。
でも。
実際に沢山の色とりどりの布地を目にすると、その素敵な色合いに目を奪われて。
「奥様のその白銀の御髪は映えますから、こちらの青系の布地がお似合いになりますわ」
シルフィーナのドレス作成を請け負ったデザイナー、リリーアンナのその言葉に。
頬を染めて頷くことしか出来なかった。
そして夕刻のオレンジ色。
紅く染まっていく夕陽。
夜の空はそんな青と赤が混ざって、他にも本当に色々な色が混ざった深い深い紫だとシルフィーナは感じている。
群青色にも近い。
そこにもう少し紅が混ざっているような。
夜の空を真っ黒だと表現する人は、きっと本当の漆黒を知らないのだ、と。
そうも思う。
あの、魔が凝縮した漆黒。
空間にぽっかりと穴が空いたようなあの漆黒の恐ろしさを。
目の前の美麗な侯爵様は、そんな夜の色、艶のある髪色を肩まで伸ばし、白磁のように滑らかな肌、月の光のような黄金の瞳をしている。
その全てがシルフィーナにとっては理想の王子様の姿を再現したような。そんな気がして。
どうしても、見惚れてしまう。
あんなことを言われたばっかりなのに、と、そうは思うけれど。
だめだ。
「奥様。さあお席に」
立ち尽くしていたところをリーファに促されて席につく。
左手には大きく開いた窓があり、綺麗なピンクの花びらが風に舞っていた。
「おはよう。ああそうか、マーデンには桜は無かったな。珍しいかな?」
見惚れていた自分が恥ずかしく、目を逸らして外を見ていたのに気がつかれたのか、侯爵がそう優しく言った。
「おはようございます旦那様。いえ、あの、はい、あのような可憐なお花、初めてで」
頬を染め、そう答えるシルフィーナ。
「あれは東方でよく見られる樹で、この季節にああして綺麗な花をつけ、そして散るのだ。その儚さが気に入ってこうして取り寄せた。毎年この季節は本当に見頃だよ」
そう桜を眺めながら優しく話すサイラス・スタンフォード侯爵。
その横顔は、どことなく寂しげに見える。
運ばれてきた朝食は、新鮮なお野菜がふんだんに使われたサラダに、柔らかい真っ白なパン。
白身魚のマリネを頂いた後、デザートにはイチゴのジャムをほんのりのせたヨーグルト。
全てシルフィーナの大好きなもので。
(旦那様はこれで足りるのでしょうか……?)
サイラスが口にしたのはそのうちほんの少量で。
成人男性の朝食としてはあまりにも少ない量に感じたシルフィーナ。
でも。
そう声をかけるのも恥ずかしい。
もしかしたら、この後お仕事の会食が控えているのかもしれない。
お昼にたくさんお召し上がりになるのかもしれない。
朝食を共にする、そうしたお約束のために、自分にお付き合いしてくれているだけかもしれない。
そう考えると余分な事は言えなくて。
ご馳走様でしたと手を合わせ。
今度もまたリーファに促されるままお部屋に戻ることに。
帰り際。
もう一度だけ窓の外の桜に目を向けて。
ああ。あの花が、あと3回咲いて散る時。
この契約が終わるのだ、と。
♢
昼食はいつも一人。
夕食は、侯爵の仕事の都合でご一緒したりしなかったり。
朝食だけに条件がつけられていたあれは、別に他所で食べてくるという意味ではなしに、お仕事で遅くなった夜までシルフィーナを待たせないでおこうという侯爵なりの気の使い方だったのだと知るのに、そう日にちは掛からなかった。
(旦那様は優しい、でも……)
侯爵は優しかった。
全てにおいてシルフィーナを第一に考えてくれるよう采配してくれ、なんの不自由もなく過ごすことができていた。
一緒にいる時間も。
まるで本当の夫婦でいるかのように。
家人の前でもそれは全く変わらずに、優しく接してくれる。
いつも、どんな時も、その優しい瞳は絶やさずシルフィーナに向けられていた。
「お似合いのご夫婦でいらっしゃいますね」
会う人会う人そう声をかけてくれる。
幸せそうに寄り添う二人に、家人も皆笑顔を向けてくれていた。
けれど。
(旦那様は、わたくしの名を呼んでくださらない……)
サイラスは、決してシルフィーナをその名で呼ぼうとはしなかった。
呼ぶときは、『君』とだけ。
そこにどうしても壁があるような、そんな気がして。
悲しかった。
♢
桜ももう全て散ってしまい、すっかりと緑に覆い尽くされた頃。
お屋敷には大勢の針子が呼ばれていた。
そろそろ社交のシーズンも本番。
連日にわたるそういった社交の場に顔を出すには、シルフィーナには所有しているドレスの数が足りなかった。
男爵家から持ってきたものは姉のお古だけ。
数着は婚姻前にサイラスより贈られたものがあったけれど、それもそう種類があるものでもない。
一張羅の白銀のドレスは婚姻のパーティで着てしまった。
他にあるドレスも、令嬢としてはまあ許せても、侯爵夫人となった今では皆見劣りするものばかり。
「お直ししますから!」
そう、自分で直して着ようと思っていたシルフィーナに、
「奥様? それでは私どもが笑われます。どうか侯爵夫人としてふさわしい装いをお願いします」
と、その言葉を一刀両断に切って捨てるリーファ。
その勢いに負けた彼女、渋々ではあったけれど新しいドレスをつくることを承諾する。
でも。
実際に沢山の色とりどりの布地を目にすると、その素敵な色合いに目を奪われて。
「奥様のその白銀の御髪は映えますから、こちらの青系の布地がお似合いになりますわ」
シルフィーナのドレス作成を請け負ったデザイナー、リリーアンナのその言葉に。
頬を染めて頷くことしか出来なかった。
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