コガレル

タダノオーコ

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幸福論

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***


洋館で暮らして数日が過ぎた。
やることは山のようにあったから、ひたすら家事に没頭した。

何が大変かというと、一番大変なのは掃除だった。
一日ではとても終わらない量だ。
和乃さんは月曜は三階、火曜は二階、水曜は…って独自の規則性を持たせて掃除してたみたい。

その合間に買い物や調理、配下膳、洗濯、ベッドメイクなどなど、こなさないとならない。
これをずっと一人で続けてたなんて頭が下がる。


和乃さんにレクチャーを数々受けながら、特に問題は起きずに時は流れた。

家族全員が揃って食卓を囲むことはまずなかった。
そのせいで、ボロが出る機会が少なかったのかも知れない。

ただ専務の婚約者を演じるために、見送りと出迎えは心掛けてた。

遅くなる時は「先に寝てなさい。」って、言われてしまうんだけど。


それでも事件は起きた。
圭さんに言わせれば、事件じゃなくて『事故』らしいけど。

この日は和乃さんの年に一度の健康診断の日だった。
区から提供される無料の健診で、平日しか選択肢がないそうだ。

専務は快く和乃さんに休んでもらった。
そして頼りないながらも、私が家事一切を引き受けた。

偶然にも専務は今日九州に出張で、私には留守番も任された。
朝早くに専務は出張へ、時間になると准君は学校へ、圭さんはなぜか平日に休みだった。

それでも圭さんは昨日遅かったせいか、なかなか降りて来なかった。
私はここぞとばかりに掃除や洗濯に集中した。

昼近くになってようやく圭さんが起き出してきたから、朝食兼昼食を並べた。

私もちょっと休憩したくなって、食卓の向かいに座ってお茶を飲んだ。

この席、つまり専務の隣で圭さんの前が、私の席と定着しつつあった。
目の前の圭さんは和食の食事姿も綺麗だった。

「圭さん、夕食は何が食べたいですか?」

「…ぐっ」

圭さんは食べたい物を答える前に、食事を喉に詰まらせた。

湯呑を手渡すと、胸の辺りをトントン叩いてからお茶で流し込んだ。
あー、って唸りながら目尻に浮かんだ涙を指で拭ってる。

「大丈夫ですか?」

「普通さぁ、ケホッ、食事中に食べたいもの浮かぶか?」

「浮かびませんか?」

「口の中に塩鮭が入ってんのに、夕食は焼肉が食いたいなぁー、とかって思うと思う?」

確かに。説明が分かりやすい。
心の中で頷いてたら

「鍋。」って、一言。

「鍋?」

梅雨入りしたとはいえ、今日は梅雨の合間の晴天。
朝から真夏のように暑い。

「すき焼きで。」

…すき焼き?
さっき食べたいと思わないって説明されたばかりの焼肉と、さほど変わらない…
って言うと、怒られそうだから黙ってた。
すき焼き用の牛肉も、春菊も、焼豆腐もないから、後で買いに行こう。

和乃さんのようにスマートに家政婦業をこなす日は遠そうだった。

ちなみに事件も事故も起きてはいない。
それはまだ後の話。



「弥生ちゃんさぁ、なんで今日すき焼きなの?」

真夏日だった今日。
夕げの食卓、鍋を囲む兄弟と私。

「また汗かいちゃったよ。」

准君はサッカー部に所属してるそうだ。
汗をかいたと帰宅してすぐにシャワーを浴びてた。

「圭さんが、すき…」
「手抜きだな、鍋は主婦の手抜き。」

「な、なな…」

なんで、自分が昼にリクエストしたのに!

知らん顔でお肉を口に運ぶ圭さんを睨みつけた。
圭さんは唇に付いた溶き卵をペロッと舐めると、不敵に笑った。

「狙ってた肉を取られたからって、そんな睨むな。まだたくさんあるから。」

「ち、違っ、」

圭さんみたいに頭の回転が速くないから、素早く反論できない。
悔しがる私のとんすいに圭さんは、鍋からすくったネギを入れた。

「なんでネギなんですか! ここはお肉でしょ!」

「キャンキャンうるさい、なぁ准。」

話をフラれた准君は、大の大人の幼稚なやり取りに呆れ顔。
お兄さんを無視して、新しい肉を鍋に入れようとした。

「准君、ダメ!
しらたきの隣にお肉はダメ、固くなるんだから!」

私の声にビクッとした准君は結果、箸から肉を落としてしまった。
しらたきの隣に。

圭さんが言った。


「女鍋奉行、真夏に現る。」


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