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 立ち合いを終え、疲れた表情のむうちゃんが病院に戻るのを送った。帰りにケーキを食べた。マッターホルンという名前だった。
「すごい山なのよ」
 むうちゃんが言った。
「知ってるよ。鋭いんでしょ。この前一緒にいるときにテレビ見たんだよ」
「そうか」
 むうちゃんがうちに来たばかりの頃だった。もしかして記憶が曖昧?
「たーくんも行きたいって言ってたな。山登りは無理でも、ヘリで上から見下ろしたいって」
 確かに絵描きの本能をくすぐる山の形。
「たーくん旅行好きだったもんね」
「うん。いろいろ連れて行ってくれた。あ、フランボワーズの味がする」
 私たちは同じケーキを食べていた。
「えっ、バナナじゃない?」
「味覚おかしいのかな」
「まだ退院の話にならないの?」
 むうちゃんはコーヒーを飲んでいた。私はローズティーを頼んで失敗したなと思っていた。トイレの芳香剤みたいな匂いがする。
「もう行かないんだろうな?」
 唐突にむうちゃんが言う。
「は?」
「旅行。たーくんと行ったところにはもう行けない」
「泣くから?」
「そう。はあ、寂しい。寂しいなんて、この間まで思わなかったのに。お父さんが死んで、お母さんが死んでも、たーくんがいた。偉そうに、仕事しろって言ったの。だからあんまり泣かなくてすんだのにな。たーくんが死んでしまったら、どうしたらいいんだろう。普通の生活が営めない気がする」
 ケーキをちびりちびり口に運びながらむうちゃんが弱音を吐く。
「私だって、ママもパパもいるよ」
「うん、わかってる。でもね、ユリカやお姉ちゃんではどうにもならないの。たーくんがいなくなった寂しさはたーくんにしか埋められない。私、もうすぐ退院になると思う。でもあの家には帰りたくないな。今日、本当にそう思った。どこか行こうかな。海外じゃなくて、日本ならそんなに思い出さないかな。たーくんと行ったことのないところ。雑誌の編集さんなら詳しいかな。白金さんに聞いてみよう」
 むうちゃんはよく喋った。最後に、
「一緒に行ける?」
 と私に聞いた。
「しばらく長い休みはないし」
 まだ小学生の自分が憎い。
「そっか」

 秋休みが終わったばかりだった。小学校ってどれくらい休めるのだろう。留年とかあるのかな。誰に聞けばいいのだろう。叔母の都合で休みたいなんて勝手で許されないかな。そうだ、転校しちゃえばいいんだ。新しい学校に馴染めるかな。頭の中でそんなことを無駄に考えているだけだと思っていた。
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