13 / 13
12
しおりを挟む
その日も翌日も、小松さんは特に何もせずうちに滞在した。食材が終わりそうになって適当なものを作ったら、
「こういうのが食べたかったです」
と煮魚を頬張った。最初から言ってくれ。こちらも楽だ。昼は洋食、夜は懐石料理ではないがそれなりの和食に決めてしまっていた。そうか。こんな家庭料理を求めてくる人もいるんだな。反対にこういうところでしか食べられないものがいい人もいれば、旦那さんと一緒に来る奥さんは、
「人が作ったものならなんでもおいしい」
と言う人もいた。客と接するといろんなことを知る。
「ごはん、おかわりもらえますか」
小松さんがおかわりなんて初めて。表情も違う。ちゃんとおいしいの顔。やっと彼の本質に触れられた気がした。今までお客さんとは表面上の付き合いに徹していたけれど、彼はなぜか特別。
「はい、もちろん」
「うまいな。自分じゃ作らないし」
煮魚なんて魚を買ってきて煮るだけだ。そんなに手間じゃないと教えたい。
しかし私たちはもう、人生にやり直しがきかないことを知っている頃合いだ。思い込んでしまっていること、私にもどれだけあるのだろう。それは年齢のせいだけではない。幾つになっても身軽な人はいる。私だって、家族もいないのだからここを売って移住してもいい。いいのだけれど、それが楽とは思わない。
肉じゃがを作って次の日はそれをカレーにした。小松さんはそれをすごく喜んでくれた。旅館に来ることを特別と感じる人もいれば、家に帰って来る感覚の人もいる。
うちは浴衣とルームウェアを用意しておくのだが、最終日は一日そのルームウェアで過ごしていた。
「口コミを見てここへ来て正解だったな。最初は何もないと思ったけど癒される」
みたいなことを小松さんは珍しく饒舌に話した。癒されたから優しくなれるのだろうか。変な人。
他の客同様、畑のラディッシュを収穫し、それを食べて感動していた。山菜は春だけのものではない。畑の隅ののびるを料理に紛れさせる。
「初めて食べました」
小松さんがにっこり笑う。
そうだ。みんな勝手に癒されて、元気になって帰ってゆくのだ。食材のおかげなのか、方角なのかはわからない。それを広めたい人が口コミを書いてくれたのだろう。でもこれからも取材などは受けないつもり。うちの良さは独特だ。好む人もいれば嫌な人もいる。
帰る日の朝、小松さんのためにタクシー会社に電話をかける。別に彼のことが好きなわけじゃない。特別なことがあったわけでもない。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
と言い合い、互いに一礼。
10歳若かったら抱かれていたかもしれない。さすがにもうそういうのはいい。10年前だと親がいるし、小松さんは青年というよりまだ学生の小僧。運命の相手ではないのだ。
客はうちに泊まって何かを得る。私はお金を得る。それだけの関係でいい。
遠ざかるタクシーは道路を右折。そこまで私は見送った。
寂しさは少なからずあった。他の客と違い、一晩共に恐怖と戦った。それだけであって、絶対に恋愛感情じゃない。でも私が人生で最後のセックスの上書きを免れたことは事実。
泊り客が書いてゆくノートを開いた。滞在中に小松さんが読み込んでいたのを目撃したから。何も書いていない。残念。私はノートをぱたんと閉じた。
程なくして田辺あずみさんからハシビロコウの大作が届く。今までで一番大きい。それをどこに飾ろうかと思案しながら小松さんに知らせようか悩んだ。絵手紙にして送ればきっと絵のファンである彼は予約を入れるだろう。私のことは特段考えなくていいので絵を見に来てほしい。
メールのほうが早い。さらっと打った文章が彼に会いたいと読めて、幾度も修正。
最近、とどころ旅館の口コミに新しい書き込みがあった。
『何もしなくても生きていることを実感できる宿』
それを書いたのがどうか小松さんでありますようにと勝手に願った。
おわり
「こういうのが食べたかったです」
と煮魚を頬張った。最初から言ってくれ。こちらも楽だ。昼は洋食、夜は懐石料理ではないがそれなりの和食に決めてしまっていた。そうか。こんな家庭料理を求めてくる人もいるんだな。反対にこういうところでしか食べられないものがいい人もいれば、旦那さんと一緒に来る奥さんは、
「人が作ったものならなんでもおいしい」
と言う人もいた。客と接するといろんなことを知る。
「ごはん、おかわりもらえますか」
小松さんがおかわりなんて初めて。表情も違う。ちゃんとおいしいの顔。やっと彼の本質に触れられた気がした。今までお客さんとは表面上の付き合いに徹していたけれど、彼はなぜか特別。
「はい、もちろん」
「うまいな。自分じゃ作らないし」
煮魚なんて魚を買ってきて煮るだけだ。そんなに手間じゃないと教えたい。
しかし私たちはもう、人生にやり直しがきかないことを知っている頃合いだ。思い込んでしまっていること、私にもどれだけあるのだろう。それは年齢のせいだけではない。幾つになっても身軽な人はいる。私だって、家族もいないのだからここを売って移住してもいい。いいのだけれど、それが楽とは思わない。
肉じゃがを作って次の日はそれをカレーにした。小松さんはそれをすごく喜んでくれた。旅館に来ることを特別と感じる人もいれば、家に帰って来る感覚の人もいる。
うちは浴衣とルームウェアを用意しておくのだが、最終日は一日そのルームウェアで過ごしていた。
「口コミを見てここへ来て正解だったな。最初は何もないと思ったけど癒される」
みたいなことを小松さんは珍しく饒舌に話した。癒されたから優しくなれるのだろうか。変な人。
他の客同様、畑のラディッシュを収穫し、それを食べて感動していた。山菜は春だけのものではない。畑の隅ののびるを料理に紛れさせる。
「初めて食べました」
小松さんがにっこり笑う。
そうだ。みんな勝手に癒されて、元気になって帰ってゆくのだ。食材のおかげなのか、方角なのかはわからない。それを広めたい人が口コミを書いてくれたのだろう。でもこれからも取材などは受けないつもり。うちの良さは独特だ。好む人もいれば嫌な人もいる。
帰る日の朝、小松さんのためにタクシー会社に電話をかける。別に彼のことが好きなわけじゃない。特別なことがあったわけでもない。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
と言い合い、互いに一礼。
10歳若かったら抱かれていたかもしれない。さすがにもうそういうのはいい。10年前だと親がいるし、小松さんは青年というよりまだ学生の小僧。運命の相手ではないのだ。
客はうちに泊まって何かを得る。私はお金を得る。それだけの関係でいい。
遠ざかるタクシーは道路を右折。そこまで私は見送った。
寂しさは少なからずあった。他の客と違い、一晩共に恐怖と戦った。それだけであって、絶対に恋愛感情じゃない。でも私が人生で最後のセックスの上書きを免れたことは事実。
泊り客が書いてゆくノートを開いた。滞在中に小松さんが読み込んでいたのを目撃したから。何も書いていない。残念。私はノートをぱたんと閉じた。
程なくして田辺あずみさんからハシビロコウの大作が届く。今までで一番大きい。それをどこに飾ろうかと思案しながら小松さんに知らせようか悩んだ。絵手紙にして送ればきっと絵のファンである彼は予約を入れるだろう。私のことは特段考えなくていいので絵を見に来てほしい。
メールのほうが早い。さらっと打った文章が彼に会いたいと読めて、幾度も修正。
最近、とどころ旅館の口コミに新しい書き込みがあった。
『何もしなくても生きていることを実感できる宿』
それを書いたのがどうか小松さんでありますようにと勝手に願った。
おわり
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる