4 / 14
4.幼少期の思い出
しおりを挟む
「お初にお目にかかります。セシリア・ハードウェルと申します」
ふわりとドレスをひらめかせながら、覚えたてのカーテシーで挨拶をする。緊張で足が震えそうになるのを必死にこらえる。早くお家に帰りたいとセシリアは思った。
「アラン・エルベールだ。よろしく頼む」
顔を上げるように手で合図されたセシリアは目の前の人物を改めて見上げる。陽の光を浴びて輝く金色の髪に、深淵を見通しそうな蒼い瞳。その端正な顔立ちは家に飾られている石像みたいだと思った。
「…」
いきなり両親に王宮に連れてこられ、突然自分の婚約者だと紹介されたセシリア。6年間の人生経験を以てしても、婚約者とどう接せばいいのか彼女にはわからなかった。
(どうしよう、なにかしゃべらないと…)
話題をひねり出そうとすればするほど、何を話したらいいのかわからず混乱するセシリア。そんなセシリアとは対照的に、婚約者のアランは窓の外を静かに見つめていた。
(一体、何を見つめているんだろう…)
気になったセシリアはそっとアランの視線を追いかけてみる。その視線の先には、美しい庭園が広がっていた。
「綺麗ですね。あのお庭」
「…ああ」
窓を見つめたままそう答えるアラン。表情は一切動かないが、心なしか声が穏やかな気がする。もしかして、庭園が好きなのだろうか。何か話題がないかとセシリアは必死に庭を見つめる。ふと、あるものが目に留まった。
「あの花は確か、カロータスですよね」
花壇の隅に植えられた紫色の小さな花。見覚えのあるそれにセシリアは目を輝かせた。
「…知っているのか?」
アランの目が少し見開かれる。セシリアは大きく頷くと話をつづけた。
「私の家の庭にもカロータスが咲いているんですよ。私の執事のお気に入りの花なんです」
「執事が…?」
アランの瞳に関心が宿った。自分の話に興味を持ってくれたのが嬉しくてセシリアは話を続ける。
「はい。毎年、その花が咲くとじっと花壇を眺めてるんですよ。日ごろ、何かに興味を示すことが少ないので珍しいんです」
セシリアは今朝見た執事の様子を思い出す。庭師がいるというのにその花だけは彼自ら水やりを行っていて、よほどその花が好きなんだなと思ったものだ。
「いつも花が終わりの時期になると、それで押し花を作ってくれるんです!それがまた可愛いくて…あ、よかったら今度殿下にも差し上げましょうか?押し花なら、花が枯れた後も楽しめますよ!」
そう言ってからセシリアは後悔した。ついついしゃべりすぎてしまった。それに一国の王子に対して押し花を上げるなど少々出過ぎた申し出をしてしまった気がする。
セシリアはおそるおそるアランの様子を伺った。相変わらず、表情が動かないので怒っているかどうかが分からない。内心セシリアが焦っていると、アランの口から意外な言葉が発せられた。
「…押し花。どんなものなのか分からないが興味がある。見てみたいな」
押し花を知らないというアランの発言にセシリアは目を見開いた。王子はなんでも知っているものだと思っていたがどうやらそういうわけでもないようだ。
あんな素敵なものを知らないなんてかわいそうすぎる!これはぜひお見せしなくては!そう思ったセシリアは絶対押し花を持ってこようと誓った。
「では今度王宮に来る時に持ってきますね!」
「ああ楽しみにしている」
そうとなれば家に帰ったら執事にお願いしなければとセシリアは意気込んだ。
気づけばアランとの間に流れていた最初の気まずい雰囲気は消えていた。セシリアは共通話題をくれた執事に心の中で感謝した。
「よければ庭を見てみるか?」
ソファから腰を上げたアランがそう提案をする。まさか庭園を見せてもらえると思っていなかったセシリアは目を丸くした。
「よろしいのですか?」
「ああ。構わない」
「ありがとうございます、殿下!」
王宮の、しかも王族の住居スペースにある庭園はあまり見れる機会がない。王族のプライベートスペースであるため、普段は侵入が禁止されているからだ。
アランに連れられ、庭園へやってきたセシリアは初めて見る植物に心躍らせていた。特別花々に詳しいわけではないのだが、美しいものには目がないのである。
「初めてみる植物ばかりですわ。私のお家の庭園も庭師の頑張りで沢山の花々が咲いておりますけれど、やはり王宮は次元が違いますね」
「各国からの献上品もあるからな。自然と珍しいものが集まるんだ」
夢中になって花を観察していると、突然、花壇の陰から何かが飛び出してきた。いきなりの事過ぎてセシリアの身体は動かない。
「セシリア、危ない!」
「つ!」
迫りくる黒い影。少し離れたところでアランが叫んでいる。
襲われる。そう思ったセシリアはこれから来るであろう痛みを想像してぎゅっと目をつぶった。
しかし、いつまでたっても想像していた痛みに襲われることはなかった。不思議に思ったセシリアはそっと目を開ける。すると、目の前には予想もしなかった人物がいた。
「クラウス?!」
そこには先ほど感謝を捧げたばかりの執事がいた。王宮に来るときに彼はいなかったはずなのになぜか突然現れた彼の存在にセシリアは茫然とした。
「お怪我はございませんか?」
クラウスに声をかけられセシリアはハッとする。驚きで気づくのが遅れたが、クラウスは自らの腕を獣に噛ませ、セシリアを守っていた。鋭い牙で貫かれた腕は赤く染まっている。
「私は平気。…でも、クラウスが」
「問題ございませんよ、これくらい」
そういうとクラウスは獣に針のような何かを刺した。すると、獣はおとなしくなり地面へと落ちる。
「お前は…」
衛兵を連れセシリアの近くにやってきたアランがクラウスに視線を向けた。クラウスは噛まれていない方の手を胸の前に置き、頭を下げる。
「セシリア様にお仕えしております。クラウスと申します」
「クラウス…そうか、お前が…」
アランが何かをつぶやいていたがセシリアにはどうでもよかった。それよりも目の前で血を垂らす執事をどうにかしなければと思った。
「クラウス。守ってくれてありがとう。でも、酷い怪我だわ。早く止血しないと」
「いえ、間に合ってよかったです。もう少し早くついていればよかったのですが、少々邪魔がはいりまして…はぁ、お嬢様に怪我がなくて本当によかった」
ふと、クラウスの足の力が抜ける。ストンと膝をついたクラウスにセシリアは慌てて支えようと手を添える。
「クラウス!?」
「申し訳ございません。お嬢様をお守りできたことに安堵してしまい、力が抜けてしましました」
普段はあまり見ることのないクラウスの力の抜けた表情にセシリアはドキッとしたが、すぐに手に生暖かいぬるりとした感触がありハッと我に返った。
セシリアは止血をしようと慌てて懐からハンカチを取り出しクラウスの腕に巻き付けようとする。しかし、彼女のひ弱な手ではうまく止血ができない。もたもたとしていると、すっとセシリアの脇から手が伸びてきた。
「貸せ、私がやる」
「…ありがとうございます」
アランはセシリアからハンカチを受取ると手慣れた手つきで止血をした。王子である彼が、止血に慣れていることにセシリアは驚く。
「剣の稽古でよく傷を作るからな。止血は手慣れている」
「…そうでしたか」
礼を述べるクラウスに気にするなと声をかけたアランは、地面に伏した狼へと近づいた。
「なるほどな。薬で眠らせたのか…」
アランの発言にあの時クラウスが狼に刺した針は麻酔針だったのかとセシリアは納得した。
「今日はもう帰った方がいい。これの犯人は私が探しておく。…落ち着いたらまた連絡する」
「かしこまりました、殿下」
セシリアにそう言うと、アランはクラウスに視線を向けた。
「其方は王宮の薬師の治療を受けていけ。獣の噛み傷は油断ならないからな」
「ご厚意、感謝申し上げます。そのようにいたします」
あの後、セシリアは駆けつけてきた父親と共に王宮から侯爵家へと戻った。しばらくしないうちに犯人は捕まり、犯人を捕まえてくれたお礼にとカロータスの刺繡を施したハンカチをアランに送ったのはまた別の話である。
ふわりとドレスをひらめかせながら、覚えたてのカーテシーで挨拶をする。緊張で足が震えそうになるのを必死にこらえる。早くお家に帰りたいとセシリアは思った。
「アラン・エルベールだ。よろしく頼む」
顔を上げるように手で合図されたセシリアは目の前の人物を改めて見上げる。陽の光を浴びて輝く金色の髪に、深淵を見通しそうな蒼い瞳。その端正な顔立ちは家に飾られている石像みたいだと思った。
「…」
いきなり両親に王宮に連れてこられ、突然自分の婚約者だと紹介されたセシリア。6年間の人生経験を以てしても、婚約者とどう接せばいいのか彼女にはわからなかった。
(どうしよう、なにかしゃべらないと…)
話題をひねり出そうとすればするほど、何を話したらいいのかわからず混乱するセシリア。そんなセシリアとは対照的に、婚約者のアランは窓の外を静かに見つめていた。
(一体、何を見つめているんだろう…)
気になったセシリアはそっとアランの視線を追いかけてみる。その視線の先には、美しい庭園が広がっていた。
「綺麗ですね。あのお庭」
「…ああ」
窓を見つめたままそう答えるアラン。表情は一切動かないが、心なしか声が穏やかな気がする。もしかして、庭園が好きなのだろうか。何か話題がないかとセシリアは必死に庭を見つめる。ふと、あるものが目に留まった。
「あの花は確か、カロータスですよね」
花壇の隅に植えられた紫色の小さな花。見覚えのあるそれにセシリアは目を輝かせた。
「…知っているのか?」
アランの目が少し見開かれる。セシリアは大きく頷くと話をつづけた。
「私の家の庭にもカロータスが咲いているんですよ。私の執事のお気に入りの花なんです」
「執事が…?」
アランの瞳に関心が宿った。自分の話に興味を持ってくれたのが嬉しくてセシリアは話を続ける。
「はい。毎年、その花が咲くとじっと花壇を眺めてるんですよ。日ごろ、何かに興味を示すことが少ないので珍しいんです」
セシリアは今朝見た執事の様子を思い出す。庭師がいるというのにその花だけは彼自ら水やりを行っていて、よほどその花が好きなんだなと思ったものだ。
「いつも花が終わりの時期になると、それで押し花を作ってくれるんです!それがまた可愛いくて…あ、よかったら今度殿下にも差し上げましょうか?押し花なら、花が枯れた後も楽しめますよ!」
そう言ってからセシリアは後悔した。ついついしゃべりすぎてしまった。それに一国の王子に対して押し花を上げるなど少々出過ぎた申し出をしてしまった気がする。
セシリアはおそるおそるアランの様子を伺った。相変わらず、表情が動かないので怒っているかどうかが分からない。内心セシリアが焦っていると、アランの口から意外な言葉が発せられた。
「…押し花。どんなものなのか分からないが興味がある。見てみたいな」
押し花を知らないというアランの発言にセシリアは目を見開いた。王子はなんでも知っているものだと思っていたがどうやらそういうわけでもないようだ。
あんな素敵なものを知らないなんてかわいそうすぎる!これはぜひお見せしなくては!そう思ったセシリアは絶対押し花を持ってこようと誓った。
「では今度王宮に来る時に持ってきますね!」
「ああ楽しみにしている」
そうとなれば家に帰ったら執事にお願いしなければとセシリアは意気込んだ。
気づけばアランとの間に流れていた最初の気まずい雰囲気は消えていた。セシリアは共通話題をくれた執事に心の中で感謝した。
「よければ庭を見てみるか?」
ソファから腰を上げたアランがそう提案をする。まさか庭園を見せてもらえると思っていなかったセシリアは目を丸くした。
「よろしいのですか?」
「ああ。構わない」
「ありがとうございます、殿下!」
王宮の、しかも王族の住居スペースにある庭園はあまり見れる機会がない。王族のプライベートスペースであるため、普段は侵入が禁止されているからだ。
アランに連れられ、庭園へやってきたセシリアは初めて見る植物に心躍らせていた。特別花々に詳しいわけではないのだが、美しいものには目がないのである。
「初めてみる植物ばかりですわ。私のお家の庭園も庭師の頑張りで沢山の花々が咲いておりますけれど、やはり王宮は次元が違いますね」
「各国からの献上品もあるからな。自然と珍しいものが集まるんだ」
夢中になって花を観察していると、突然、花壇の陰から何かが飛び出してきた。いきなりの事過ぎてセシリアの身体は動かない。
「セシリア、危ない!」
「つ!」
迫りくる黒い影。少し離れたところでアランが叫んでいる。
襲われる。そう思ったセシリアはこれから来るであろう痛みを想像してぎゅっと目をつぶった。
しかし、いつまでたっても想像していた痛みに襲われることはなかった。不思議に思ったセシリアはそっと目を開ける。すると、目の前には予想もしなかった人物がいた。
「クラウス?!」
そこには先ほど感謝を捧げたばかりの執事がいた。王宮に来るときに彼はいなかったはずなのになぜか突然現れた彼の存在にセシリアは茫然とした。
「お怪我はございませんか?」
クラウスに声をかけられセシリアはハッとする。驚きで気づくのが遅れたが、クラウスは自らの腕を獣に噛ませ、セシリアを守っていた。鋭い牙で貫かれた腕は赤く染まっている。
「私は平気。…でも、クラウスが」
「問題ございませんよ、これくらい」
そういうとクラウスは獣に針のような何かを刺した。すると、獣はおとなしくなり地面へと落ちる。
「お前は…」
衛兵を連れセシリアの近くにやってきたアランがクラウスに視線を向けた。クラウスは噛まれていない方の手を胸の前に置き、頭を下げる。
「セシリア様にお仕えしております。クラウスと申します」
「クラウス…そうか、お前が…」
アランが何かをつぶやいていたがセシリアにはどうでもよかった。それよりも目の前で血を垂らす執事をどうにかしなければと思った。
「クラウス。守ってくれてありがとう。でも、酷い怪我だわ。早く止血しないと」
「いえ、間に合ってよかったです。もう少し早くついていればよかったのですが、少々邪魔がはいりまして…はぁ、お嬢様に怪我がなくて本当によかった」
ふと、クラウスの足の力が抜ける。ストンと膝をついたクラウスにセシリアは慌てて支えようと手を添える。
「クラウス!?」
「申し訳ございません。お嬢様をお守りできたことに安堵してしまい、力が抜けてしましました」
普段はあまり見ることのないクラウスの力の抜けた表情にセシリアはドキッとしたが、すぐに手に生暖かいぬるりとした感触がありハッと我に返った。
セシリアは止血をしようと慌てて懐からハンカチを取り出しクラウスの腕に巻き付けようとする。しかし、彼女のひ弱な手ではうまく止血ができない。もたもたとしていると、すっとセシリアの脇から手が伸びてきた。
「貸せ、私がやる」
「…ありがとうございます」
アランはセシリアからハンカチを受取ると手慣れた手つきで止血をした。王子である彼が、止血に慣れていることにセシリアは驚く。
「剣の稽古でよく傷を作るからな。止血は手慣れている」
「…そうでしたか」
礼を述べるクラウスに気にするなと声をかけたアランは、地面に伏した狼へと近づいた。
「なるほどな。薬で眠らせたのか…」
アランの発言にあの時クラウスが狼に刺した針は麻酔針だったのかとセシリアは納得した。
「今日はもう帰った方がいい。これの犯人は私が探しておく。…落ち着いたらまた連絡する」
「かしこまりました、殿下」
セシリアにそう言うと、アランはクラウスに視線を向けた。
「其方は王宮の薬師の治療を受けていけ。獣の噛み傷は油断ならないからな」
「ご厚意、感謝申し上げます。そのようにいたします」
あの後、セシリアは駆けつけてきた父親と共に王宮から侯爵家へと戻った。しばらくしないうちに犯人は捕まり、犯人を捕まえてくれたお礼にとカロータスの刺繡を施したハンカチをアランに送ったのはまた別の話である。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
110
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる