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第一夜 あんずが欠けた夜
しおりを挟むぴちゃり、とあんずの顔に血しぶきが跳ねた。
「別に、いいんだ。どうせ、あたし死にたかったし」
そう呟き、彼女は口元を緩ませた。
第三十四回、ブルームーン・セレモニー。
今回の生贄に選ばれたのは、大好きなたった一人の親友だった。
「あんず」
呟いた私の声は震えていた。胃液が身体の奥からせり上がり、思わずその場にしゃがみ込んだ。
「あんず……!」
再び、口にした。失いたくない人の名を。私に微笑みかけてくれたたった一人の友達の名を。
しかし必死に上げた小さな叫びは、彼女たちのシュプレヒコールに掻き消された。
「か、け、ろ! か、け、ろ!」
束になった声のうねりに酔いそうになる。
セレモニーのかけ声は、予め決められていた。命が『欠ける』ようにという願いが込められた台詞。クラスメイトたちは恐ろしいほどに声をぴったり重ね、かけろ、かけろと何度も繰り返した。
機械的に繰り返される声。彼女たちはどんな想いで、そのかけ声を口にしているのだろうか。
『欠けて』しまったら、生贄となった者の一生は終わる。高校一年生、青春の真っ只中だというのに――。
ブルームーンの夜、選ばれし生贄はクラスメイトたちに殺される。
それが、この女子高で受け継がれてきた、『ブルームーン・セレモニー』という伝統的なお祭りだった。
一ヶ月に満月が二回あるとき、二回目の満月をブルームーンと呼ぶ。ブルームーン・セレモニーを行うクラスに私たちは選ばれた。
この高校に入学すると、三年間帰ることを許されなかった。校舎も、そこから繋がる寮にも鍵がかけられていた。
どこにも行くことが出来ない。
誰かに相談することも出来ない。
この場所で、セレモニーは第三者に知られることなく、ひそやかに受け継がれてきていた。
私は彼女たちから少し離れた、茂みの影でうずくまっていた。生え放題となった草葉の匂いが、無遠慮に鼻腔へ入り込んでくる。
校舎の裏にある大きな森の、奥深く。普段は一切外に出ることを許されていないが、ブルームーンの夜、セレモニーが行われるときだけ、足を踏み入れることを許されていた。
私は氷のような手のひらで耳を塞ぎながら、クラスメイトの輪にちらりと目をやった。あんずを囲う、大きな人だかり。全員制服をまとうのが、お祭りの正装とされていた。
クラスメイトたちは片手を勢いよく突き上げながら、声を上げ続けている。
「か、け、ろ! か、け、ろ! か、け、ろ!」
かけ声には、興奮の色が混じってきていた。どこか、楽しそうでもあった。
一番背の高い女子があんずに近づいていく。右手には鉄パイプ。胸の鼓動が、一気に跳ね上がった。
鉄パイプが宙を舞う。そして躊躇いなく振り下ろされる。
それの表面にこびりついた赤錆は、不気味な斑点状の染みと混ざり合っていた。
どん、という鈍く大きな音。
うっ、という力のない呻き声。
私はまぶたをぎゅっとつむり、痛いくらいに耳に押し当てた両手に力を込めた。
それでも聞こえてくる鈍い音が、立て続けに何回も鼓膜に響いた。生ぬるい風がふわりと吹き、つんとした臭いが漂ってくる。
「あんずちゃん、もう血だらけだね! せっかくメイクしてきてたのにねー」
笑い混じりの生徒の声が聞こえてくる。この甲高い音域は、堤さんのものだろう。誰よりも大きな声で笑い、クラスの中心にいる、私の大嫌いな人。あんずとこっそり彼女の悪口を言いながら過ごした昼休みが、酷く遠い出来事のように思えた。
「いつも皆に囲まれてきゃっきゃ笑ってるから、死ぬ直前までへらへらしてるのかと思ってたぁ。もう声も出せないの? ねえ、笑ってよ。私、あんずちゃんの笑顔好きだったんだよぉ」
堤さんの楽しそうな声が耳にへばりつく。目の縁から涙がほろりと落ちた。
今年の生贄は、『最もクラスで愛されている人』だった。
「やめて……もう、やめてよ……」
もう、私からは蚊の鳴くような声しか出なかった。地面に爪を立てると、土の匂いにむせそうになった。
鈍い音はリズムを刻むかのように、何度も空気を振動させる。私は涙を流し続けながら、心の中で、助けてと叫んでいた。心の叫びが誰かに届いてほしかった。神様でも幽霊でも何でもいいから、終わりへ落ちていく道を、ねじ曲げて欲しかった。
血の臭いが、どんどん濃度を増していく。
何度か聞こえてきていた呻き声は、もう聞こえなくなっていた。
「あーあ、あんずちゃん、とうとう動かなくなっちゃったね。死んじゃったのかな?」
堤さんの声は更に甲高くなっていた。
「制服に赤い血って、めっちゃ映えてるよー。エモすぎ~」
これは、誰の声だろう。もう分からない。私は目をゆっくり開いた。睫毛の上に溜まった雫が、ぽとりとスカートに落ちた。
私は空を静かに仰いだ。
「あんずちゃん……ごめんね……」
ふと呟かれた声は、寂しそうな響きをしていた。この声はきっと――。
空を見上げると、暗闇に冷たく浮かぶ満月が森を静かに照らしていた。
こんなもののせいで、あんずの命は、『欠けて』しまうのだ。いや、欠けてしまうのではなく、失ってしまうのだ――。
私は月を睨み続けた。
「田端さん、保健委員でしょ? あんずちゃんがもう死んだか確かめてあげてよ」
嬉しそうな誰かの声に、「はいはい」と気怠げな田端さんの声。歓声が上がるのが聞こえた。
少しの間が空いたあと、田端さんの声が響いた。
「あー……死んでるよ。見れば分かるでしょ。目ン玉ひん剥いてるじゃん」
その場に、一瞬の静寂が訪れた。突風が森を駆け抜け、木々が低く唸りを上げる。
鈴虫が沈黙を縫うように、声を重ねて鳴き続けていた。
やがてぽつりと、誰かの声。
「あんず……死んだんだ」
その呟きに、その場の風向きが変わったのを感じた。
死体に群がる虫のように、さざ波立つクラスメイトの群れ。
「……ホントに?」
「おおー!」
「マジか!」
「死んじゃった、あんずちゃん死んじゃった!」
「あんずの命、ついに欠けちゃったね!」
「ブルームーン・セレモニー、大成功じゃん!」
私は塞いでいた耳から、両手を下ろした。足の力が抜け、地面に尻もちを着く。
ゆっくりとまぶたを閉じ、息を長く吐いた。充満する血の臭いには、もう何も感じなかった。
「あんずちゃん……」
先ほど寂しげな声を出した人物と同じ声に、心の中で「何も出来なかったくせに」と毒づいた。
「あたしたち、今、サイコーにアオハルだね!」
高揚した声を上げたのは、誰だったのだろうか。いや、誰でもいい。もう、そんなの、どうでもいい――。
「……ねえ、本当にやっちゃったけどいいの?」
「いいんだよ。――イインダヨ」
誰かの戸惑った声も、もはや何の意味をなさない。
私たちの頭上に浮かぶ満月に、心の中で語りかける。せめて、あんずが最後まで頑張ったという事実を、私を守りきろうとしてくれた優しさを、スポットライトのように照らしてください。それくらい、望んでもいいよね――?
「記念記念~!」
スマホのシャッター音が鳴る。動画の撮影音が響く。
圏外のままのスマホが、死体を撮るためだけに光っていた。
「うわ~、人って殺されるとこんなにブスな顔になるんだ~。ネット使えたらインスタ載せたのにぃ」
「そのときは、『アオハル』『記念日』ってハッシュタグ付けたいねっ!」
笑い声が軽快に弾み、重なり合う。スマホのフラッシュが、まぶたの裏を白く染める。
フラッシュが頭蓋の奥深くにまで痛いほどに突き刺さり、何かが、白く、音もなく、弾けた。
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