ブルームーン・セレモニー

月森優月

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第二夜 逃げよう、二人で

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 1
 
 この学校には、全ての教室に月齢表が貼られていた。
 そしてその横に小さな黒板があり、そこに『あと〇日』、その下に『満月、衝動的な行動に注意』などと書かれている。その文言は度々書き換えられ、『上弦の月、精神の揺らぎに注意』、『新月、気力の減退に注意』などと書かれる。
 私が入学したとき、赤いチョークで『あと百四十七日』と書かれていた。その数字は、毎日一日ずつ減っていく。何故この学校が月の移ろいを注視しているのかも、百四十七日後に待ち受けているものの正体も、当時の私は、何も知らなかった。
 入学して一ヶ月後、生徒たちは時折それを話題にしていた。
「あれって何なんだろうね? 全校テストへのカウントダウン?」
「じゃああの月の写真と、隣の変な文は何なわけ? 意味わかんなくて不気味~」
「月を信仰してる新興宗教だったりして」
「やだぁ~」
 生徒が、月齢表の前に群がりながら軽やかに笑う。私は俯き、次の授業の教科書に視線を落とした。教室で無邪気な笑い声が上がる度、私の居場所は削られてゆく。
 突然、開いている教科書に影が落ちた。顔を上げると、肩までの髪をふわっと巻いた少女が、たんぽぽの綿毛のように柔らかい笑みを浮かべて佇んでいた。
「ノノちゃん、好きなの?」
 反応出来ずに固まっていると、彼女は机の横にかけているスクールバッグを指差した。
「それ、北海道限定のノノちゃんだよね」
 そう言われて、私はやっと彼女の言っていることが理解できた。私のスクールバッグには、片耳がちぎれ、ボロボロのセーラー服を身にまとったうさぎのマスコットがぶら下がっている。『ノノちゃん』というキャラクターだった。
「昔、北海道に住んでたから……」
 久しぶりに口を開いたせいか、声は小さく掠れていた。その言葉に彼女はくしゃっと笑った。
「そうなんだ! いいなあ、北海道。そのノノちゃん、スカーフがすごく可愛いよね。普通のノノちゃんよりちょっと色が白めなの、知ってた?」
 スカーフがラベンダー色の、北海道限定のノノちゃん。普通のノノちゃんより色白なのは気付かなかった。
「ううん、知らなかった」
「あたしもね、ノノちゃんのファンなの」
 好きと言わずにファンと言う。
 その言い方に心の奥が温かくなった。
「それにね、あたしも、北海道限定のノノちゃんスクバに付けてるの」
「そうなの……?」
「おそろいだねっ」
 嬉しそうに笑うその姿は、あまりにも眩しかった。いつも多くの友達に囲まれ、楽しげな笑い声を響かせていた彼女。私の世界と交わることがないと思っていた。でもその彼女は今、私の目の前にいる。
「花村、さん」
 思わず、名前を呼んだ。
「ありがとう。……話しかけてくれて」
 恐る恐る口にすると、彼女は一瞬真顔になった。そして歯を見せて、いひひと笑った。
「あんずでいいよ。舞香」
 心がきゅっとなった。私は教科書をぱたんと閉じ、頬をゆるませる。
「……あんずも、ノノちゃんみたいに色白だね」
 クラスメイト数人が、先ほどからこちらをちらちらと見ていることに気付いていた。
 でも、怖くなかった。 
 その言葉にあんずは頬を赤らめながら笑った。
 ノノちゃんの真っ赤な瞳を見つめながら、この時間がずっと続けばいいと思っていた。
 あのあと、全校集会で「ブルームーン・セレモニーという伝統的なお祭りについてお話があります」と校長先生が切り出した瞬間、教室とは違う張り詰めた空気が漂った。続く説明に、背筋が冷えて足が震えた。舞香の方を振り向くと、彼女は青い顔をして爪を噛んでいた。
 そして、その説明から一ヶ月後に私たちのクラスは選ばれてしまったのだ。
 私は、そのお祭りを受け入れるために、色々なことを諦め、納得しようと頑張っていた。
 でも、彼女は違ったようだった。

 2
  
 ある夜、食堂の端っこの席に私たちは座っていた。食器の乗ったトレイを片付ける生徒たちから隠れるように、顔を近付けてお喋りしていた。
 あんずは更に顔を近付け、声を潜める。
「――逃げよう。二人で」
 その声は微かに震えていた。
「あたし、ヒトゴロシなんで絶対にしたくない。こんなところにいたくない」
 彼女はそう言ってかぶりを振った。
 私はあんずの提案を聞いてもすぐには頷けなかった。
 だって、私たちはこの学校に閉じ込められている。ここの扉は絶対に開かない。逃げられるはずがなかった。どうやって逃げるの? って訊きたかった。
 それに――。
 もし逃亡に失敗したら、どうなるのだろうか。途中で教師に捕まったら、どうなるのだろうか。待っているのは、ヒトゴロシをするよりも恐ろしいものかもしれない。
 処罰されるのは、私だけでなく、あんずもだ。計画を持ちかけた彼女は、私より酷い仕打ちを受ける可能性だってあるのだ。
「……怖いよね。でも、大丈夫。あたしが舞香を守るから」
 あんずは私の顔を覗き込んで、言った。何の保証もない言葉なのに、身体中のこわばりが少しだけ緩むのを感じた。
 あんずは、私の耳元で囁いた。
「あたし、知ってるの。数学の細田センセイ、合鍵を机の引き出しにしまってる」
 はっとして私は息を吸った。あんずを見つめ返す。彼女の大きな黒目は、揺らぐことなく私と視線を合わせている。
「ホント……なの?」
 私の声は掠れていた。
「うん。職員室で細田センセイが一番上の引き出し開けたとき、奥に鍵の束が見えた。一つ一つにラベルが貼ってあったの。『昇降口』とか、『一階裏』とか書いてあった」
 その鍵たちは、確かに外界へと繋がる鍵かもしれなかった。
 私は遠くの席に座って談笑するクラスメイトをそっと見つめた。大人しい三人の少女。もし、あの中の誰かが生贄に選ばれたとしたら、私はどんな気持ちでその人を殺めるのだろうか。
「あたし、舞香と一緒に普通に生きたい。くだらないことで笑い合うような青春を送りたい」
 あんずの切実な想いに、みぞおちがひりひりした。
 その熱に背中を押されるように私は口を開いた。
「……うん。逃げよう」
 口にしてみると、胃の奥がすっと軽くなった。
「二人で、こんなところから抜け出そう」
 私の言葉に、あんずは真顔でこくりと頷いた。
 テーブルの下から、あんずの小指が私の小指に絡む。
「絶対、二人で最高のアオハル楽しもうね」
 秘密の指切り。私たちはささやかな祈りのために、危険な扉をこじ開けることにした。
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