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第四夜 ガラスの悲鳴
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月のない夜だった。
ベッドから抜け出し、部屋を出る前に窓の外に視線を向ける。一筋の光もない暗闇を見つめていると、身体ごと吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。私はテーブルの上に置いてあったノノちゃんをぎゅっと握りしめ、目をつむった。
どうか、成功しますように。
私たちは、明日の朝には校舎の外で手を取り合って笑い合っていると信じたかった。久しぶりに見る外の世界は、どんな匂いで包み込んでくれるだろう。
部屋から出て、暗い廊下を忍び足で進む。誰にも見つからず、待ち合わせ場所のホールに到着した。まだ、あんずの姿はない。ノノちゃんをぎゅっと抱きながら、彼女の到着を待った。
少しして、広がる闇がぬるりとゆらめいた気がした。
「舞香」
囁き声が、鼓膜を揺らす。目をこらすと、人影がほんのり視認出来た。
「よかった。来なかったらどうしようかと思った」
「本番はこれからだよ。絶対成功させるからね」
あんずは私の腕を掴み、にぎにぎとほぐしてくれた。その手のひらは、じとっと汗をかいていた。
今夜の蛮行がもし見つかったら、ただじゃ済まないだろう。失敗することは世界の終わりと同等だ。
ここの学校の別の呼び名を、姥捨て山という。
いらない子どもを閉じ込める、規則の厳しい女子高の皮を被った、監獄だ。
2
あんずと共に、寮と校舎を繋ぐ渡り廊下へ向かう。あんずの握る懐中電灯が、渡り廊下の前に立ちはだかる扉を照らした。上部にはめられた、すりガラス。これを外してすり抜ければ、渡り廊下へ出ることが出来る。
「校舎の前の扉は鍵がないから、ここさえ、突破出来ればオッケーなの」
あんずはそう言って、大きなトートバッグからガラスカッターとガムテープを取り出した。そして、ガムテープをガラスに貼っていく。
「切り込みを入れて外すとき、床に落ちたら大きな音するだろうから」
彼女の手際のよさに、私は感動していた。怖くて不安だろうに、淡々とガムテープを破いては貼り付ける様子には落ち着きがみられている。やっぱり、あんずはすごい。私は手伝うことすら出来ず、横で彼女を見守っているだけだった。
クロスするように縦横に計六本ガムテープを貼り終えると、あんずはガラスカッターに手を添えた。小さな刃が懐中電灯の灯りを受けて、鋭くきらめいている。
刃先をガラスにそっとあて、ゆっくりと動かす。ガラスが切れていくときのキィィという悲鳴は、静寂の中では思ったより大きく、あんずはびくっと肩を動かし、一瞬手を止めた。先ほどより、ゆっくり慎重になぞっていく。刃先を追いかける白い線はどんどん延びていく。
懐中電灯受けて、青白く光ったあんずの顔。こめかみを、汗が伝っていた。私は小声で囁いた。
「いい感じだよ、あんず」
彼女の表情が少しだけ綻んだ。よかった、ちょっとは役に立てたかな、と私の頬の強ばりも緩んだ。
一辺ずつ切り込みを入れていき、ついに、線と線は繋がり、ぐるりと四角形を描いた。あんずの、ごくりと唾を飲み込む音が響いた。
彼女はガラスカッターを足元に置き、ガラスにそろりと手を伸ばす。そして、少し勢いをつけながら向こうへ押し込んだ。
薄氷が割れるような、乾いた音が鳴り響く。パキッという音は、沈黙に包まれた丑三つ時を切り裂いた。そして、私たちの逃避行の入り口がそろりと開かれた。
ガムテープがひしゃげ、ガラスはふわりと浮くように内側に傾いた。
「あ……」
声を出したのは私だった。思ったより簡単に外れたことに、驚いてしまったのだ。あんずも意外だったようで、指先がわずかにぶれた。
「あ、いたっ……」
彼女が小さく鋭い声を上げた。突然、手を引っ込めかけた。小指の腹に、ぷくりと赤い粒が盛り上がっていた。血だ、と分かったとき、心の芯の体温が下がっていくような感覚に襲われた。
そのとき、ドン、という低い音が張り詰めた空気を揺さぶった。あんずが手を引いた拍子に、ガラスが床に落下した音だと分かった。思ったより大きな音がして、私たちは目を合わせた。
二人とも、何も言えなかった。
息を殺して、存在を消す。静かな夜が再び戻り始めていた。
「……外れた」
あんずはほとんど息だけで言った。だから私も「……外れたね」と囁いた。
ぽかりと空いた空間を懐中電灯で照らす。細い廊下が伸び、その奥に、古めかしい扉があった。そこに鍵穴やら南京錠の類いは確認出来ない。
あんずは指先の血を拭くこともせず、トートバッグとガラスカッターを置き去りにしたまま、ガラスが外れた穴に頭を突っ込んだ。そして、奥へ奥へと身体を押し込める。彼女は器用に身体をくねらせ、勢いを付けて足を浮かせて扉の向こうに辿り着いた。
身体が床に着地するときの音にも、誰かが来る気配はなかった。
「あんず、大丈夫?」
「大丈夫。ほら、舞香も来て」
あんずは向こう側から手を伸ばしてくる。私はその手を取り、彼女と同じように頭を入れて地面を蹴った。顔面から床に着地してしまい、思わず声が出そうになる。
「大丈夫? 痛かったね」
しゃがみ込んだあんずは、強打した鼻を押さえる私の髪の毛を優しく撫でた。彼女はいつも優しい。何でこんなに優しく出来るのだろうか。まだまだ、あんずの知らないことがある。
渡り廊下を歩いてるとき、私の手からノノちゃんが落ちた。あんずはノノちゃんを拾い上げ、私に手渡してくれる。そして少し先を歩きながら、手を繋いで一歩一歩進んでいく。あんずの指から流れる血が私の手にも移っていた。
渡り廊下と校舎を隔てる扉は、やっぱり鍵が設置されていなかった。ドアノブをひねると簡単に開き、私たちを招き入れてくれる。
「……行こう」
あんずの呟きに、私は黙って頷いた。
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