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第五夜 警報
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懐中電灯を向けながら、職員室へ向かう。乾いた足音と、二人の荒い息づかいが交錯していた。
やがて光が、『職員室』と書かれた札を浮かび上がらせる。
「……ここだね」
扉に手をかけるあんず。極力音を立てないように、慎重に引き戸を開ける。ガラガラという音は大きくて、私はノノちゃんの手を握りしめた。
「結構音、響いてる」
「でも……ここを開けるしか、入る方法はないよ」
「そうだけど……」
無意味なやり取りなのは分かっていた。あんずは私の手を静かに振りほどき、再びドアを開け始めた。何で、と言いたくなった。バレたら、二人とも終わりなんだよ。あんずだけでなく、私だって……。しかし口にすることは出来ず、私の叫びは真っ暗な職員室の中へ飲み込まれていった。
あんずは躊躇うことなく、職員室の奥へ歩を進める。私は一瞬迷ったが、あんずのあとを小股でついていった。
彼女が足を止めたのは、私も見慣れた机だった。机の上に家族写真が飾られた、細田センセイの机。
「……ここの、一番上の引き出しに入ってる」
そう言って、あんずは引き出しを開けた、懐中電灯の光が、引き出しの中を仄かに灯す。プリント類が整理整頓されてしまわれていた。
――でも、鍵の姿はどこにもない。
「え……」
あんずが声を漏らした。手を引き出しの奥まで入れて、鍵を探している。手の動きは段々慌ただしさを増した。嫌な予感が脳内に走り、私は彼女の斜め後ろに佇んだまま、こぶしを強く握った。
「ない……ない!」
いよいよ彼女は焦りを隠しきれなくなったようだった。あんずが動揺すると、私はもっと動揺してしまう。膝小僧がカタカタ震え出した。
「そのプリントの間は?」
私も思わず早口になる。彼女はプリントの間に手を入れた。
「……あ」
気の抜けた、吐息混じりの声。あんずは手を引いた。
その手には――くすんだ色の鍵束が握られていた。
「あった……」
あんずがこちらを見る。あんずの目は潤んでいた。私は彼女の肩に手を置き、
「あったね……」
と呟いた。
鍵束は、『昇降口』と『渡り廊下』、それと『寮出入口』だけが、赤文字で書かれていた。それらの鍵だけ錆び付いている。
あんずはそれをしっかりと握りしめ、私の手を掴んだ。走り出したい衝動を抑え、足裏をしっかり踏みしめる。
机の間を縫うように私たちは職員室を出て行こうとした。
あと一時間後は、私たちは学校の外にいるかもしれない。外の世界はもう夏が始まっているだろう。初夏の日差しをあんずと浴びたかった。
そのとき――。
りん、と鈴の音が鳴り、『新月の夜、欠ける者に注意。欠ける者に注意。新月の夜、揺らぐ影に注意――』と女子生徒の声の無機質なアナウンスが響き渡った。声の後ろで、鈴の音が鳴り続けていた。
それはどこか堤さんの声に似ている気がした。笑っていない堤さんの声なんて、聞いたことがないけれど――。
影、という言葉に、職員室の奥の暗がりが一層暗くなった気がした。
私たちは顔を見合せ、足を止める。
「今の放送って……」
「まさか、警報……?」
どれくらい、私たちは固まっていたのか分からない。
どこかで鍵の擦れる音が聞こえた気がした。
続いて、カチリ、と鍵の回る音。
あんずの瞳が小刻みに揺れる、彼女の手をぎゅっと握り、私は近くの机の下を指差した。
あんずを安心させたかったのに、息が喉の奥で引っかかり、上手く呼吸が出来ない。
私たちは机の下へ身を隠した。
息を殺しながら、二人で手を繋ぐ。あんずの手は震えていた。大丈夫だよ、と息だけで言う。その声にもあんずは無反応だった。
足音が、近付いてくる。
やがて、職員室のドアから光が差し込んだ。それが懐中電灯の光だと気付いたとき――冷たい唾が喉を降りていった。
「――おい」
低い声と共に私たちの元に光が当てられ、あんずが尻もちをつく。ガタン、という音がした。
「お前ら、何をしている」
その口調の冷たさに肌が粟立つ。
「花村と篠田――か? 警報が鳴ったから来てみたら……。何をしているんだ、こんな時間に」
聞き覚えのある声に顔を上げると、担任の牛水センセイがこちらを睨みつけていた。床のホコリが光に照らされきらきらと輝いている。
「ごめん……なさい……」
私は小声で呟いた。謝るしかなかった。謝ったとしても許してもらえるわけがないだろうけど――。
そのとき、背中に熱い手を感じた。自分の身体があんずに押されたと気付いた時、彼女は机から這い出て駆け出していた。あんずが抱きしめていたノノちゃんが、音なく床に落ちる。
「おい! 花村!」
牛水センセイは前につんのめりながらあんずを追う。二人の足音が遠ざかってゆく。
私は一人職員室に残された。
あんずの遠ざかる背中を見つめながら、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「あんず……どうして?」
目の前の光景が信じられなくて、目を擦ると指先に涙が触れた。
私はノノちゃんを拾い上げた。
二つのノノちゃんを抱きしめ、その子たちに顔をうずめた。
あんずの匂いがした。
2
逃げ切れるはずなんてなかった。
あんずはすぐに捕まり、数人の教師と共に私たちは手首を掴まれた。私たちの意志など関係なしに、ひきずるように校舎の奥に引っ張っていかれる。
あんずは私を見ようとしなかった。私はあんずをずっと見ていた。
一度も足を踏み入れたことのない旧校舎に、私たちは連れていかれた。かび臭い湿った空気が立ち込め、木造の廊下は歩くと軋み音を立てた。
「センセイ、ごめんなさい……。もう逃げようとなんてしないので……」
私は何度か許しを乞いた。しかしセンセイたちは無言で私とあんずの手首を強く掴んだままだった。
時折、センセイたちは低い声で何かを囁き合う。何を話しているか分からないからこそ、怖かった。
やがて鉄製の扉の鍵を牛水センセイが開けた。ギィィという錆び付いた音と共に、生臭い匂いが鼻をつく。
その部屋の中は、赤錆びたポールが何本も立てられていた。
牛水センセイが脇に抱えていた鞄の中から、何かを取り出す。カチャリという無機質な音がした。
センセイが私の手に嵌めたのは――それまた錆び付いた手枷だった。
手枷の片端をポールに繋ぎ、私は身動きが取れなくなった。あんずも隣のポールに繋がれた。私はガチャガチャと抵抗を試みたが、冷たい手枷はびくともしない。
私とあんずは軋む床にお尻をぺたんとつけ、うなだれた。
「ここで、儀式の日までお前らを『保存』する」
保存という言葉に肝が冷えた。私たちは、一体何のために保存されるのか――。
私はあんずをちらりと見た。
彼女は目を伏せたまま、唇を噛んでいた。
センセイたちが背中をくるりと向ける。
一度も振り返らずに扉を閉めるセンセイたち。鍵穴に差し込まれる鍵の音。
「くそっ……」
私は呟いた。
曇った窓ガラスから空を見上げると、闇の中に星々が煌めいていた。
「あんず……」
その声にも、あんずは無反応だった。さっき、彼女は逃げようとした。私を置いて。二人で逃げようって言ったのに――。
「……だから、やなんだよ……」
彼女の独り言が鼓膜に響く。主語のないその言葉は何に絶望しているのか、何に怒っているのか分からない。
「あんず、さっき……」
『逃げようとしたよね?』と言いたかった。でもその台詞は足元の暗がりに呑まれていった。
部屋を見渡すと、壁にかけられた時計は、十一時二十五分で止まっていた。目の前にチョークで白く汚れた黒板には、消しきれていない『か、け、ろ』の言葉。
その横に小さな黒板と、そこに書かれた文字――『あと一日』。
その下には『待宵の月、明日はブルームーン』と書かれている。
ブルームーン・セレモニーのことを嫌でも思い出させられた。この教室で何があったかは分からない。けれど、きっとブルームーン・セレモニーがあってこの教室は『使われなくなった』。
部屋の隅に目をやると、赤黒い染みが点々とへばりついていた。
「――うまくいくはずだったのに」
最初、聞き間違いだと思った。
「ねえ、どうして一緒に走ってくれなかったの」
でも、聞き間違いじゃなかった。
「ねえ、怖かったの、あたしだけ?」
私は彼女を見た。
彼女は私を見上げていた。
その瞳には、涙が滲んでいた。
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