悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

文字の大きさ
23 / 25
後日談

手に入れた夢は

「ただいま戻りました」

 家の中はいい匂いがしていた。居間兼食堂兼台所と寝室の二間きりの粗末な小屋。
 暖炉の椅子に腰掛けていたレオノーラが、ぱっと立ってやってきた。

「おかえりなさい、あなた」

 抱きついてきた体を抱き返す。ふーっとラウルの体から緊張が抜けていった。
 今頃、の方へ帰った部下達も、それぞれの家族や同居人達と寛いでいるだろう。すぐそこの「狩り小屋」に詰めている警備当番の者達も、交代で食事と睡眠にありつけるはずだ。
 今日は、砦の工事の監督に、運河の件での教会側との打ち合わせ、建築資材の発掘状況確認と、対人折衝が多くて、とても気疲れしたのだった。

 森に放し飼いにしている豚は、丸々とよく肥えて冬にはいい保存食になりそうだし、森と川の幸は豊か、とりあえず確保した畑――砦内に立てこもるときのために、必ず設けられる――では、豆類も豊作だ。
 このまま開墾農民になれたらなあ、と根っからの庶民のラウルなどは思うのだが、それは許してもらえそうになかった。

 ちょっとそんな話をロドリックにこぼしたら、「いつまでお嬢様に鄙びた生活をさせる気だ」と、どやされた。以来、騎士達に「隊長」呼びが徹底されるようになってしまった。責任者としての自覚を持たせるためなのだという。
 それは意外と効いていて、最初は騎士達も、「隊長」と呼ばれるたびに閉口した顔を見せるラウルを面白がって呼ぶことが多かったのだが、そうして投げかけられた問題に対して、「隊長」として対応しているうちに、なんとなく呼び名にふさわしい関係と自覚ができあがってきたのだった。

 ラウルの名誉のために言えば、べつに彼だって、本気で農民になりたいと言ったのではなかった。ただ、根無し草だった彼にしてみれば、帰る家のある農民というのは憧れだったのだ。それに似た状況に浮かれて、を語っただけだった。
 少々憧れていたものとは違った形になるが、ラウルだってを造っているところだ。どこかに腰を落ち着けたいと願い続けた彼が、一所懸命にならないわけがないのだ。

 彼は持てる力のすべてで、難攻不落の砦を築くつもりだった。そこに愛しい妻レオノーラを住まわせるのだから。――それに、共にこの地を守っていく部下仲間達もいる。
 夢は手に入れておしまい、ではなかったのだった。そこからが、始まりだった。あたりまえのことなのに、手に入れて初めて、ラウルはそれに気付いたのだった。

 欲しかったものを手に入れても、変わらず毎日、苦労の連続だ。一つ問題を片付けると、次の難題が立ち上がってくる。
 生きるということは、常に神が科す試練を乗り越えることに他ならない。――と、育ての親の神父なら言うだろう。
 それでも、その苦労すら心を満たすのだ。この腕の中に寄り添ってくれる人と生きていけるなら、それにまさる喜びはない。彼女がいてくれる、それだけで、ラウルはいつでも心の中に、至福を抱いていられるのだった。

「今日は、新鮮な牛の乳が手に入ったから、シチューにしたのよ」
「それは楽しみです。いい匂いがしていますね」

 レオノーラは王妃になれるようにと身に着けたものを、今では砦全体の衣食住を預かることで発揮している。内向きを任せられるおかげで、ラウルも本来の仕事に心置きなく取り組めていた。

 食事の間は、別行動していた間の報告になる。翌日の打ち合わせも済ませ、それから暖炉の前に盥を持ちだして一日の汗を拭い、寝間着に着替えると、お待ちかねの時間だ。
 二人は、部屋の隅に片してあるキリム盤を、いそいそと持ち出してくるのだ。

「わたくしからでよかったかしら」
「ええ、そうです」
「今夜は、何手にする?」
「二十手でどうですか?」
「そうね。悪くはないけれど……」

 彼女は駒を動かしてから、靴から抜き出した素足を伸ばして、つー、と彼の足をつついた。
 その足に、自分の足を絡め返しながら、ラウルも駒を動かす。

「そうですね。……では、十手で」

 大幅に減らしてしまった夫に、さすがに彼女も笑う。彼は恨めしげにぼやいた。

「なんですか。一応、私だって見栄を張ったんですよ。なのに……」

 昼におあずけを食らって、早く夜が来ないかと、何度も太陽を見上げていたのだ。だが、妻はキリムを打つのを愛しているし、ラウルだって楽しい。その後、少々時間は短くなっても、あっちの方も妻は付き合ってくれるのは知っている。だから、あまりがっつくのもどうかとやせ我慢をしたのだった。

「同じ気持ちみたいだから、笑ったの。お願いを忘れられてなくて、良かったわ」

 『あなたがどれだけわたくしを愛しているか、教えてほしいの』。今聞いたばかりのように耳によみがえって、いてもたってもいられなくなり、ラウルは腰を上げた。盤越しに彼女に口づける。

「やっぱり、今すぐお付き合い願えますか、レオノーラ」
「よくってよ。ちょうどわたくしも、あなたを脱がせたいと思っていたところなの」

 二人は手に手を取って、キリムの盤はそのままに、愛を伝えあうために寝室へとおもむいたのだった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

仮面王の花嫁

松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。 しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。

兄妹じゃないとわかったのでお兄様と結婚したら、全部仕込みでした

こじまき
恋愛
【20260401読みやすいように話を分割しました】 伯爵令嬢ヘイゼルは、兄アリステアに恋をしている。叶わないと知りながら、それでも諦めきれなかった。 しかし子ども時代の「取り違え」が発覚し、子爵令嬢ロレッタとして“正しい場所”で生き直すことに。 そして妹ではなくなった彼女に、アリステアは求婚する。 運命のねじれは正されて、望んだとおりに最愛の人と結ばれた―― けれど――その「正しい運命」は、兄アリステアによって用意されたものだった―― ※「小説家になろう」にも投稿しています。

一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました

由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。 ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。 遠い存在になったはずの彼。 けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。 冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています