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後日談
手に入れた夢は
「ただいま戻りました」
家の中はいい匂いがしていた。居間兼食堂兼台所と寝室の二間きりの粗末な小屋。
暖炉の椅子に腰掛けていたレオノーラが、ぱっと立ってやってきた。
「おかえりなさい、あなた」
抱きついてきた体を抱き返す。ふーっとラウルの体から緊張が抜けていった。
今頃、村の方へ帰った部下達も、それぞれの家族や同居人達と寛いでいるだろう。すぐそこの「狩り小屋」に詰めている警備当番の者達も、交代で食事と睡眠にありつけるはずだ。
今日は、砦の工事の監督に、運河の件での教会側との打ち合わせ、建築資材の発掘状況確認と、対人折衝が多くて、とても気疲れしたのだった。
森に放し飼いにしている豚は、丸々とよく肥えて冬にはいい保存食になりそうだし、森と川の幸は豊か、とりあえず確保した畑――砦内に立てこもるときのために、必ず設けられる――では、豆類も豊作だ。
このまま開墾農民になれたらなあ、と根っからの庶民のラウルなどは思うのだが、それは許してもらえそうになかった。
ちょっとそんな話をロドリックにこぼしたら、「いつまでお嬢様に鄙びた生活をさせる気だ」と、どやされた。以来、騎士達に「隊長」呼びが徹底されるようになってしまった。責任者としての自覚を持たせるためなのだという。
それは意外と効いていて、最初は騎士達も、「隊長」と呼ばれるたびに閉口した顔を見せるラウルを面白がって呼ぶことが多かったのだが、そうして投げかけられた問題に対して、「隊長」として対応しているうちに、なんとなく呼び名にふさわしい関係と自覚ができあがってきたのだった。
ラウルの名誉のために言えば、べつに彼だって、本気で農民になりたいと言ったのではなかった。ただ、根無し草だった彼にしてみれば、帰る家のある農民というのは憧れだったのだ。それに似た状況に浮かれて、昔の夢を語っただけだった。
少々憧れていたものとは違った形になるが、ラウルだって砦を造っているところだ。どこかに腰を落ち着けたいと願い続けた彼が、一所懸命にならないわけがないのだ。
彼は持てる力のすべてで、難攻不落の砦を築くつもりだった。そこに愛しい妻を住まわせるのだから。――それに、共にこの地を守っていく部下達もいる。
夢は手に入れておしまい、ではなかったのだった。そこからが、始まりだった。あたりまえのことなのに、手に入れて初めて、ラウルはそれに気付いたのだった。
欲しかったものを手に入れても、変わらず毎日、苦労の連続だ。一つ問題を片付けると、次の難題が立ち上がってくる。
生きるということは、常に神が科す試練を乗り越えることに他ならない。――と、育ての親の神父なら言うだろう。
それでも、その苦労すら心を満たすのだ。この腕の中に寄り添ってくれる人と生きていけるなら、それにまさる喜びはない。彼女がいてくれる、それだけで、ラウルはいつでも心の中に、至福を抱いていられるのだった。
「今日は、新鮮な牛の乳が手に入ったから、シチューにしたのよ」
「それは楽しみです。いい匂いがしていますね」
レオノーラは王妃になれるようにと身に着けたものを、今では砦全体の衣食住を預かることで発揮している。内向きを任せられるおかげで、ラウルも本来の仕事に心置きなく取り組めていた。
食事の間は、別行動していた間の報告になる。翌日の打ち合わせも済ませ、それから暖炉の前に盥を持ちだして一日の汗を拭い、寝間着に着替えると、お待ちかねの時間だ。
二人は、部屋の隅に片してあるキリム盤を、いそいそと持ち出してくるのだ。
「わたくしからでよかったかしら」
「ええ、そうです」
「今夜は、何手にする?」
「二十手でどうですか?」
「そうね。悪くはないけれど……」
彼女は駒を動かしてから、靴から抜き出した素足を伸ばして、つー、と彼の足をつついた。
その足に、自分の足を絡め返しながら、ラウルも駒を動かす。
「そうですね。……では、十手で」
大幅に減らしてしまった夫に、さすがに彼女も笑う。彼は恨めしげにぼやいた。
「なんですか。一応、私だって見栄を張ったんですよ。なのに……」
昼におあずけを食らって、早く夜が来ないかと、何度も太陽を見上げていたのだ。だが、妻はキリムを打つのを愛しているし、ラウルだって楽しい。その後、少々時間は短くなっても、あっちの方も妻は付き合ってくれるのは知っている。だから、あまりがっつくのもどうかとやせ我慢をしたのだった。
「同じ気持ちみたいだから、笑ったの。お願いを忘れられてなくて、良かったわ」
『あなたがどれだけわたくしを愛しているか、教えてほしいの』。今聞いたばかりのように耳によみがえって、いてもたってもいられなくなり、ラウルは腰を上げた。盤越しに彼女に口づける。
「やっぱり、今すぐお付き合い願えますか、レオノーラ」
「よくってよ。ちょうどわたくしも、あなたを脱がせたいと思っていたところなの」
二人は手に手を取って、キリムの盤はそのままに、愛を伝えあうために寝室へと赴いたのだった。
家の中はいい匂いがしていた。居間兼食堂兼台所と寝室の二間きりの粗末な小屋。
暖炉の椅子に腰掛けていたレオノーラが、ぱっと立ってやってきた。
「おかえりなさい、あなた」
抱きついてきた体を抱き返す。ふーっとラウルの体から緊張が抜けていった。
今頃、村の方へ帰った部下達も、それぞれの家族や同居人達と寛いでいるだろう。すぐそこの「狩り小屋」に詰めている警備当番の者達も、交代で食事と睡眠にありつけるはずだ。
今日は、砦の工事の監督に、運河の件での教会側との打ち合わせ、建築資材の発掘状況確認と、対人折衝が多くて、とても気疲れしたのだった。
森に放し飼いにしている豚は、丸々とよく肥えて冬にはいい保存食になりそうだし、森と川の幸は豊か、とりあえず確保した畑――砦内に立てこもるときのために、必ず設けられる――では、豆類も豊作だ。
このまま開墾農民になれたらなあ、と根っからの庶民のラウルなどは思うのだが、それは許してもらえそうになかった。
ちょっとそんな話をロドリックにこぼしたら、「いつまでお嬢様に鄙びた生活をさせる気だ」と、どやされた。以来、騎士達に「隊長」呼びが徹底されるようになってしまった。責任者としての自覚を持たせるためなのだという。
それは意外と効いていて、最初は騎士達も、「隊長」と呼ばれるたびに閉口した顔を見せるラウルを面白がって呼ぶことが多かったのだが、そうして投げかけられた問題に対して、「隊長」として対応しているうちに、なんとなく呼び名にふさわしい関係と自覚ができあがってきたのだった。
ラウルの名誉のために言えば、べつに彼だって、本気で農民になりたいと言ったのではなかった。ただ、根無し草だった彼にしてみれば、帰る家のある農民というのは憧れだったのだ。それに似た状況に浮かれて、昔の夢を語っただけだった。
少々憧れていたものとは違った形になるが、ラウルだって砦を造っているところだ。どこかに腰を落ち着けたいと願い続けた彼が、一所懸命にならないわけがないのだ。
彼は持てる力のすべてで、難攻不落の砦を築くつもりだった。そこに愛しい妻を住まわせるのだから。――それに、共にこの地を守っていく部下達もいる。
夢は手に入れておしまい、ではなかったのだった。そこからが、始まりだった。あたりまえのことなのに、手に入れて初めて、ラウルはそれに気付いたのだった。
欲しかったものを手に入れても、変わらず毎日、苦労の連続だ。一つ問題を片付けると、次の難題が立ち上がってくる。
生きるということは、常に神が科す試練を乗り越えることに他ならない。――と、育ての親の神父なら言うだろう。
それでも、その苦労すら心を満たすのだ。この腕の中に寄り添ってくれる人と生きていけるなら、それにまさる喜びはない。彼女がいてくれる、それだけで、ラウルはいつでも心の中に、至福を抱いていられるのだった。
「今日は、新鮮な牛の乳が手に入ったから、シチューにしたのよ」
「それは楽しみです。いい匂いがしていますね」
レオノーラは王妃になれるようにと身に着けたものを、今では砦全体の衣食住を預かることで発揮している。内向きを任せられるおかげで、ラウルも本来の仕事に心置きなく取り組めていた。
食事の間は、別行動していた間の報告になる。翌日の打ち合わせも済ませ、それから暖炉の前に盥を持ちだして一日の汗を拭い、寝間着に着替えると、お待ちかねの時間だ。
二人は、部屋の隅に片してあるキリム盤を、いそいそと持ち出してくるのだ。
「わたくしからでよかったかしら」
「ええ、そうです」
「今夜は、何手にする?」
「二十手でどうですか?」
「そうね。悪くはないけれど……」
彼女は駒を動かしてから、靴から抜き出した素足を伸ばして、つー、と彼の足をつついた。
その足に、自分の足を絡め返しながら、ラウルも駒を動かす。
「そうですね。……では、十手で」
大幅に減らしてしまった夫に、さすがに彼女も笑う。彼は恨めしげにぼやいた。
「なんですか。一応、私だって見栄を張ったんですよ。なのに……」
昼におあずけを食らって、早く夜が来ないかと、何度も太陽を見上げていたのだ。だが、妻はキリムを打つのを愛しているし、ラウルだって楽しい。その後、少々時間は短くなっても、あっちの方も妻は付き合ってくれるのは知っている。だから、あまりがっつくのもどうかとやせ我慢をしたのだった。
「同じ気持ちみたいだから、笑ったの。お願いを忘れられてなくて、良かったわ」
『あなたがどれだけわたくしを愛しているか、教えてほしいの』。今聞いたばかりのように耳によみがえって、いてもたってもいられなくなり、ラウルは腰を上げた。盤越しに彼女に口づける。
「やっぱり、今すぐお付き合い願えますか、レオノーラ」
「よくってよ。ちょうどわたくしも、あなたを脱がせたいと思っていたところなの」
二人は手に手を取って、キリムの盤はそのままに、愛を伝えあうために寝室へと赴いたのだった。
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