悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

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番外編

泣かせたい

 粗末な小屋の中から、女性の呻き声が、ひっきりなしにしている。
 その小屋の裏でうろうろしては、隙あらば窓から中を覗きこもうとする男の襟首を引っ掴み、ロドリックはずるずると離れた場所へ連れて行った。

「ここに居たって、おまえには何もできることはないんだから、狩り小屋に行ってよう。な」

 彼にしては珍しく優しく――気持ちがわからないこともないので――諭してみたのだが、相手は子供のようにうずくまって、断固行かない意思を示した。

「嫌です。行きません。ここに居たって何もできることはないは誤りです。ここに居ることはできるんです」

 ロドリックは天をあおいだ。お手上げだった。
 うずくまっているラウルの妻が産気づいたのは、未明のことだった。
 産婆は「村」の方に一月も前から招いてある。「狩り小屋」に詰めている護衛が呼びに行き、侍女のマリエラ共々連れてきた。
 ラウルはおろおろしながらも、お湯を沸かしつつ、妻の手を握っていたのだが、「男は部屋から出ておいき!」と一喝されて、小屋から追い出されてしまったのだった。
 それ以来、小屋のまわりをうろうろしては、耐えがたくなると、産屋になっている寝室の窓から、中を覗きこもうとするのだ。

 どうしても何か妻のためにしたいのなら、仕事でもしてろ、とは言えなかった。
 お産は命懸けだ。命を落とすこともある。に間に合わなかったら、とんでもない不幸の中でお嬢様――ロドリックが剣を捧げた貴婦人――を逝かせることになる。

 だったら後は、酒でも飲んで待っているしかないのだが、それは一番はじめに拒否された。
 「何かしなければならない時に泥酔していたら、何もできないでしょう」と、いつもへっぴり腰のラウルにしては、キッとした顔で言ったのだ。

 ロドリックはラウルの旋毛を見下ろした。
 たいてい情けない感じの男。それがラウルだ。今だって、持ち上げられて引きずられていかないように、うずくまっているしかできないでいる男だ。
 初めて紹介された時は、「この男の首を刎ねよ」と侯爵が命じてくれるのではないかと期待した。
 ロドリックが騎士見習いの頃から憧れ、騎士となってからは剣を捧げた貴婦人、侯爵家のお嬢様を汚したのだから。

 お嬢様はしどけないガウン姿で男に寄り添って、微笑んでいた。乱れた髪に、誘うような肌と、赤らんだ目元。寝る前の化粧っ気のない顔のはずなのに、妖艶な雰囲気が増していて、ロドリックはお嬢様を直視できなかった。
 それで、じろじろと男の方を見ることになったのだったが、ズボンは下ろされているし、股間にはお嬢様のネグリジェを掛けられているし、後ろ手に縛られていて、困ったように、へら、と笑う。
 どこからどう見ても、男からどうこうしたというより、お嬢様が何かしたとしか見受けられなかった。

 ……これがまだ、手を取り合って、「愛しあっているんです!」と言われた方が、殺意を覚えなかったかもしれない。
 だが、男はそんな情熱を見せもしなければ、言い訳をしたりもせず、ただただへらへらと状況を受け入れていたのだ。
 これだけの貴婦人を手に入れて、その態度。ロドリックには、それがどうにも許しがたかった。

『娘を傷物にした痴れ者だ。相応の償いをさせる。死なぬよう見張って、働かせよ。逃げ出すようなら殺してかまわない』

 侯爵からそう命じられたのを幸いに、正々堂々殺せる日を待ち望んで、ロドリックは彼を見張ってきた。
 けれど、そうして見られたのは、ヘラヘラしているわりに、老獪に一つ一つ着実に侯爵の命令をこなす姿で。――それも、人生を捧げているとしか思えない態度で。はからずも、行動でその気持ちを見せられてしまったのだった。
 言葉で語られたなら、ここまで信じなかっただろう。しかし、彼はお嬢様の名さえ口にしなかった。
 ただ一度、その口から名前が出たのは、侯爵からお嬢様の窮状を知らされた時。あの時見せた動揺が、本当のこの男の気持ちなのだろうと、悟らないわけにはいかなかった。

 ひときわ酷い呻き声が聞こえてくる。ラウルが、ぎゅっと体を縮める。耳は塞がず、自分の足を抱え込んでいるのだ。
 情けなく無様なことこの上ない姿なのに、逃げ出さない彼を、ロドリックはもう、情けない男だとは思わない。いっそ、よくもここまで恥ずかしげもなく情けない姿をさらせるものだと、感心している。
 こういう強さもあるのだろう。
 命を助けられた恩を別にしても、この男の「部下」として働けることを、今ではまあまあ気に入っているのだった。

「んぎゃーっ、んぎゃーっ、んぎゃーっ」

 赤ん坊の泣き声が響き渡った。ラウルがぱっと顔を上げ、立ち上がろうとして、……転んだ。寝転がって、足をさすって、ロドリックに泣きそうな顔で訴える。

「足がっ、痺れてっ、連れて行ってください!」

 ロドリックは、はー、と溜息をついて、ラウルに手を貸してやった。
 玄関口まで連れて行き、いきなり中には入らないで、自分の妻マリエラを呼ぶ。

「ああ、ちょうどよいところに。ラウル殿、お子様を抱いていてくださいな」

 入っていい許可を得て、暖炉の前で赤ん坊の体を清めてやっているところへ行った。
 おくるみに包まれた子を受け取って、ぼうぜんと凝視しているだけのラウルに、椅子を持ってきてやって座らせる。

 髪の色は、まだ淡くてわからなかった。顔も真っ赤でくしゃくしゃで、どっちに似ているとも言いがたい。強いて言えば、そのへんにいるコウモリに似ているなと、横から覗きこんだロドリックは思った。そんなことを言えば、マリエラに睨まれるのがわかっていたので、黙っていたが。
 マリエラは寝室に戻っていき、暖炉の前は三人だけになった。

 ほー、とラウルが深い吐息をこぼした。それで、はっと我に返って恐れおののいた表情でロドリックを見上げると、「小さいです」と言う。

「レオノーラ様のお体から出て来たんだ。でかかったら困るだろう」
「そうか。そうですね。……どうしよう。ふにゃふにゃしてて……」
「落とすなよ」

 からかったのだが、ラウルはガチンとかたまった。かちこちになったまま、大事そうに子供を抱えて見入っている。寝ているのか起きているのかもわからない赤ん坊は、時折むにむにと顔じゅうを動かしていて、見飽きなかった。

「ラウル殿」

 マリエラに呼ばれて、ラウルはおそるおそるというように寝室に入っていった。赤ん坊はマリエラに引き取られ、レオノーラの横たわるベッドの横で膝をつく。

「あなた」

 声を掛けられた瞬間、ラウルは滂沱と涙を流しはじめた。差し出されてきた彼女の手を両手で握りしめ、それに額を押しつける。

「よかった。……よかった」

 何度もそう言って泣き続ける夫に、レオノーラは、ふふふと上機嫌に笑った。

「とうとうあなたを泣かせてやりましたわ。ご感想はどうかしら?」
「……たぶん、嬉しいと言うんだと思います。心がはちきれそうです」
「そう。よかったわ」
「……子供がかわいかったです」
「ええ。天使のようよね」
「……ありがとうございます、レオノーラ」

 彼の子供を無事に産んだことだけではない、何もかもをひっくるめて、それ以外に言いようのない万感の思いが込められていた。

「どういたしまして」

 彼女は優しく笑って、夫の手を握り返した。

「……ところで、あの子、男の子ですか? 女の子ですか?」
「男の子よ。名前を考えてあげて」

 子供への最初の贈り物は、命は母から、名前は父から。そういう風習の土地柄だ。
 ラウルは父親の自覚をもって、神妙に頷いた。

「とりあえず五十個まで絞りました。近日中に決めます」
「まあ、あなたったら」

 彼女はまた笑った。この上なく楽しそうに。
 それに、ラウルもようやく、心から嬉しそうに笑ったのだった。
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