上 下
15 / 156
2-港町シーサイドブルー

15.少女、説得する。

しおりを挟む
「あった、ここね」

 翌日、まだ日が昇りきらない内からニチカとウルフィは行動を開始した。オズワルドからこっそり拝借した地図を頼りに、街から十分程度の森にたどり着く。目星をつけていた洞穴の前に立ち様子を伺う。

「本当にここにいるのかな」
「んー」

 オオカミ姿に戻っているウルフィは、耳をピクピクとさせ報告した。

「中からゆっくりだけど大きな呼吸の音がするよ」
「いってみよう」

 彼を引き連れたニチカは薄暗い洞穴に手をかけおそるおそる呼びかけてみる。こんにちはと、小さめの声は中で反響して消えて行った。しばらく待つも返事はない。

「おかしいな、確かに誰かいるんだけど」

 一歩踏み出そうとしたウルフィは、その瞬間ピリリと刺すような殺気を感じる。間髪いれずにヒュンッと何かを発射するような音が響いた。

「危ない!」
「ひぁっ」

 飛び上がりニチカの後ろ襟を咥えて引き倒す。その頭上すれすれを矢が通り過ぎて行き、ビィィィンと後ろの木に突き刺さった。へたり込んだニチカは青ざめた顔でそれを見上げる。

「気をつけて! 誰かいる!」

 警戒を呼び掛ける声と同時に洞窟の暗がりから誰かが出てきた。ボウガンに矢をつがえているのはニチカとそう年の変わらない少女だった。

「誰だ? こんなところに何の用だ!?」

 少年のように短く切った髪と鋭くつり上がった目がなんともトゲトゲしい。ゴーグルを首から下げているところを見るとこの女の子がホウェールの操舵手なのだろうか。事情を話す間も与えてくれずに、彼女はジャコッと次の矢を装填した。

「さっさとどこかに行け! ここには何にも居ないんだから!」
「わわわっ、ちょ、ちょっと待って……ひぃっ!」

 ウルフィは次々発射される矢をジャンプで回避していく。座り込んだままだったニチカは、意を決して震える声で呼びかけた。両手を上げて敵意が無い事を示す。

「待って! 私たちはホウェールを捕らえに来たんじゃないの、忠告しに来たのよ」

 その声に、ボウガンを持つ少女が動きを止め怪訝そうな顔をする。それでも油断はせずこちらに狙いを定めたままだ。

「忠告?」
「今からここに洗脳薬をもった悪魔みたいな男が来るわ!」
「え、えぇぇ、ニチカ、悪魔みたいなっていうのはちょっと……」
「事実よ!」

 義理堅い従僕は主人を庇うのだが一刀両断される。操舵手の目をまっすぐに見たニチカは必死に訴えた。

「そいつは脳を破壊するような薬をホウェールに使おうとしてるわ。そんな解決法ぜったいダメ! だから私は先回りしてここに来たの」
「それを信じろと?」
「都合のいい話なのはわかってる、でも、ホウェールを助けたいなら信じて。私は貴女の味方よ」

 しばらく無言が続いたが、詰めていた息を吐いた少女がボウガンを降ろし手を振った。

「ついてきて、中で話をしよう」


 彼女の後について入った洞窟は思ったより明るかった。緑のぼんやりした明かりが壁に張り付いている。

「ヒカリゴケが自生してるんだ。夜なんかも結構みえるんだよ」

 先を歩く操舵手がそう言いながら少しだけ目もとを和らげる。

「さっきはいきなり攻撃して悪かったね。よく考えれば社長の手先があんなバカ正直に正面から乗り込んで来るはずないか」
「バカ正直……」
「あぁごめん、気に障ったんなら許して。こういう物言いしかできなくてさ。アタシはミーム。ホウェールのパートナー操舵手だよ」
「ううん、警戒する気持ちもわかるもの。私はニチカっていうの」
「僕ウルフィー!」
「ホウェールはこの先にいる。気が立ってるかもしれないから静かにしててね」

 ごくりと息をのみながら角をまがる。途端に飛び込んできた巨体にニチカは言葉を失った。

 最初は青い壁があるのかと思った。だが壁はよく見るとわずかに動いて収縮を……違う、呼吸をしている。ぎこちなく視線を右に向ければ、大きく開けた一面から湖と朝の光の光景がキラキラと流れ込んでくる。つまりこの洞窟は中で湖と繋がり水路のようになっているのだ。

 青い壁だとばかり思っていた巨大クジラは目だけをぎょろりとこちらに向けた。ミームがすかさず言い聞かせる。

「マリア、この人たちは大丈夫。攻撃しちゃダメだよ」

 大きな銅鑼のような瞳にじっと見つめられ変な汗が出てくる。フーッと重いため息をついてホウェールのマリアは目を閉じた。

「もうすぐお産だから神経質になってるんだ」
「お産……」


 ――居なくなる前の晩ホウェールに縋り付いて泣いてたんだって。『このままじゃ三人ともダメになっちゃう』って


「だから居なくなる前の晩に『三人ともダメになる』って言ったのね!」

 ピンと来て思わず大声を出してしまう。反響する声に慌てて口を抑え小声で続ける。

「三人っていうのは、マリアと、ミームと、お腹の中のコのことだったんだ」
「あ、あぁそうだけど、どうしてそれを?」

 そこで港で聞き取り調査をしたことを伝える。誰にも行き先を告げずに姿をくらました二人の身を皆案じていたことも。

「みんな心配してたわ、どうして黙って消えたの?」
「それは……!」

 ミームはギリリと歯を食いしばり拳を握り締めた。

「ゴラムが、あの社長が全部悪いんだ!」

 彼女の話はこうだった。あのゴラムという社長は数年前に先代の社長を蹴落とし、今の地位に収まっている。そのやり方はとにかく利益主義で社員をまるで使い捨てのように扱うのだという。

「中でもマリアはうちで唯一の大型だったから朝から晩まで働かされてるんだ。ロクに休みも貰えず過労死寸前まで行ったこともある」
「ひどい……」

 そんなある日、ミームはマリアの妊娠に気づいた。その時走った感情は、嬉しいというよりこのままではマズいというものだった。

「ホウェールは体は大きいけどとっても繊細な生き物なんだ、大事な時期に動きすぎると赤ちゃんはもちろんマリアの身だって危ない」
「それ社長サンには言ったのー?」

 ウルフィが尋ねると操舵手は静かに首を振った。

「言えない。あの社長に子どもの存在を知られたら取り上げられるに決まっている。マリアは産んだ後すぐに子供を旅に出すつもりなんだ」
「すぐに? お母さんと引き離して大丈夫なの?」
「……それでも、あの会社の奴隷になるよりはマシだと思う」

 そこには諦めにも似た表情があった。彼女は立ち上がりパートナーの顔に優しく触れる。

「マリアは言ってた。自分は生まれた時から大型旅客機として働いてたから別の生き方をしらない。だから自分の子供には広い世界を見て欲しいんだって」

 自分にできなかった望みをわが子に託す。その選択はニチカの胸に来るものがあった。立ち上がり力強く言う。

「わかった! そういうことなら私も協力する! いつ産まれる予定なの?」
「もういつ産気づいてもおかしくない状態なんだ。ただアタシもホウェールのお産なんか初めてだからどうなるかは……」
「待ってて、なんとかして説得してくるからっ」

 踵を返し駆け出そうとしたその瞬間、氷のような声が洞窟内に響き渡った。

「その説得する相手っていうのは、まさか俺のことじゃないだろうな?」
しおりを挟む

処理中です...