仮面少女LIZU

月影 光(つきかげひかる)

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第1話:仮面の少女

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目覚めた時、少女はまだ“人”だった。
だが、その記憶は、どこにもなかった。

身体は冷たく、硬い石の床に横たわっていた。
目を開ければ、そこには天井もなく――ただ、いびつな月がひとつ。

欠けた月。
にじんだ赤。
白い世界の中心で、それだけが、生きているように空に浮かんでいた。

身体を起こす。
思考は砂のように崩れ、まとまらない。
手の中には、なぜか銀の鍵が握られていた。
古びた金属は冷たいはずなのに、掌に伝わるのは微かな温度。
――まるで、遠い誰かの体温の名残。

「…………」

声が出るかどうかも、わからなかった。
名を呼ぼうにも、名など思い出せなかった。

代わりに――
ふくらはぎに光る“輪”が目に入る。

鈍く光る銀の輪。
そこに刻まれていた、たったひとつの言葉。

『LIZU』

少女は、それを自分の名だと、“思うしかなかった”。

立ち上がれば、足元に崩れかけた祭壇。
割れた石材に絡みつく蔦は白く乾き、
壁面に残る碑文は風化してほとんど読めない。
ただ一片、《鍵》をかたどった象嵌だけが、
月光を受けて鈍く輝いていた。

祠の奥に風が走る。
それは死者の吐息のようでもあり、
遠い過去に神がいた名残のようでもあった。
風に混じり、かすかな鈴の音が聞こえた気がした――
夢の中で聞いた礼拝の鐘のような、記憶の残響。

「……おまえは、誰だ?」

風の声か、月の囁きか、それとも自分自身か。
答える術もなく、少女はただ、仮面の奥で瞬いた。

白い仮面。
うさぎを模した異形の面(おもて)。
その眼窩には――
左に深紅のルビー、右に蒼きサファイア。

夜の光が、それを幽かに照らしていた。
まるで世界の始まりと終わりを映す瞳。
少女は、知らぬはずの感情――懐かしさに似た痛みを覚え、
心臓がひとつ、硬く脈打つのを感じた。

静寂。
そして、最初の一歩。

石の破片が転がり、鈍い音を立てる。
少女は、何も思い出せないまま、ただ歩き出した。
世界が、何かを待っている気がして。

白い霧が、遺跡の隙間からゆっくりと立ち昇る。
それは命のようであり、死のようでもあった。
遠くの空がかすかに揺れ、地平線の向こうに朽ちかけた尖塔がいくつも並ぶ。

その中心に、ひときわ高い塔があった。
その天辺には、逆さに吊られたような銀の輪が浮かび、
まるで少女の足首と同じように、何かを封じているようだった。

風が運んでくる声がある。
人の言葉ではない、何かの詩――
それは歌のようでもあり、呪いのようでもあった。

彼女の仮面はそれに応えるように微かに震え、
瞳に嵌めこまれた宝石が、ひとつだけ瞬いた。

ルビーが揺れ、サファイアが静かに光を受ける。

「LIZU――」
その名を呼ぶ声が、どこかで確かに響いた。

だが少女は振り返らない。
まだ名を持たないまま、
ただ、この世界の終わりか始まりかを目指して、
ひとつ、またひとつと足を進めていく。

名も知らぬ世界で。
記憶も持たずに。
鍵だけを手に――。

※次回、仮面の少女が出会うのは、笑わないピエロ――“影の道化”。
➤ 第2話:影の道化と沈黙の森 へ
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