禁踏区

nami

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6章 済度

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 …………ヒタ…………



 何事もなかったように、八雲さん──月宮伊吹は私達に狙いを定めて足を踏み出す。



 だが、今までピントがずれ、ぼやけていた顔がくっきりと表情を形作っていた。



 ──怒りだ。



 その顔を見た瞬間、私は幾つものナイフを身体中に突きつけられた気がした。
 抱いたことのない戦慄が、幾度となく全身を駆け巡る。


 鬼──

 化物──

 怪物──

 魔物──


 私の頭の中は、それらの単語で埋まっていった。



「奴は俺が食い止めるッ! 2人は沙雪さんを探すんだッ!」



 恐怖で麻痺した体を、真人さんの鬼気迫った叫びが動かした。


 私と美伽は頭蓋の小山に飛び付くようにして戻った。



 どこ──!?


 どこ──!?


 どこ──!?


 沙雪さんは、一体どこにいるの──!?



 焦りは限界まで来ている。



「ぐわああぁぁぁぁッ!」



 真人さんの悲鳴に、私と美伽は同時に振り返った。そして同時に叫んだ。



「真人さんッ!」
「真人先輩ッ!」



 真人さんの心臓部に、八雲さん──月宮伊吹の指先が差し込まれていく。


 相手は禁呪を行い圧倒的な霊力を得た悪霊──生身では敵わないと真人さんもわかっていたはずだ。


 でも、私達を守ろうとして──!



 助けなきゃ!



 反射的に体が動きかけるが、



「あたしが行く! 凛は探してて!」



 弾丸のように美伽は飛び出し、真人さんを突き飛ばした。
 そうすることで真人さんは、八雲さん──月宮伊吹の魔の手から脱出した。


 しかし、真人さんは倒れたまま起き上がろうとしない。



「あ……あんたの相手は、あたしがしてやるよ! この人でなしッ!」


 威勢はいいが、その声は震えている。
 美伽は八雲さん──月宮伊吹に体当たりを食らわせる。
 だが、相手は霊体。効果はなかった。



 見ている場合じゃない!
 早く探さないと……!


 頭蓋の小山に向き合う私だが、



「あああああぁぁぁぁッ!」



 真人さんと同じく、今度は美伽が八雲さん──月宮伊吹の餌食となった。



「美伽ッ!」



 美伽が真人さんを突き飛ばして救ったように、今度は私が美伽を突き飛ばした。


 美伽も真人さんと同じで起き上がろうとしない。


 嫌な予感で一杯になるが、すぐ目の前の存在が、彼らの身を案じる余裕を与えなかった。


 独りになってしまった……。


 破れかぶれになって、私も美伽に倣って体当たりを食らわせる。


 八雲さん──月宮伊吹をすり抜ける感触は、形容しきれない不快感に溢れていた。


 その結果は、美伽と同じだった。


 ただ違うことと言えば、私はバランスを崩して倒れ込んだことくらいだ。


 膝に鋭い痛みが走る。擦りむいてしまったようだ。



 …………ヒタ…………



 八雲さん──月宮伊吹が迫る。



 もう、おしまいだ──……。



 絶望が私の足腰を萎えさせ、尻餅をついた格好のように座ったまま後ずさる。




 がしゃっ……!




 頭蓋の小山に背がぶつかる。


 退路はもうない──。



 …………ヒタ…………



 …………ヒタ…………



 1歩1歩、確実に追い詰められる。



「い……、いやっ……!」



 頭蓋の小山に阻まれて進めないことはわかっている。
 それでも、後退せずにはいられなかった。


 後退しようとする度に、積み上がった頭蓋達ががしゃがしゃと音を立てる。



 そして、1つの頭蓋が小山から転がり落ちてきた。



 
 

『…………私は、ここです…………』


 
 


 耳元で囁かれた気がした。


 私は転がり落ちてきた頭蓋を拾い上げる。


「──あ……!」



 その頭蓋を見るなり、これが沙雪さんだと確信した。



 なぜなら、その頭蓋は右の眼窩がなかったから──。
 普通ならあるはずの穴は、骨で覆われるようにして埋められていた。



 萎えていた足腰が力を取り戻すのがわかった。
 その頭蓋を抱え、私は立ち上がる。



 そして、八雲さんに彼女を差し出した。




 沙雪さんの頭蓋を目にするなり、八雲さん──月宮伊吹はぴたりと静止した。
 


『あ…………あぁあ…………』



 八雲さん──月宮伊吹の口から声が漏れる。
 2人の声が重なった奇妙な声であった。


 そのまま八雲さん──月宮伊吹は頭を抱え、



『や…………やめ…………ろ…………。おい……だ…………そ……うと…………す……る……な…………』



『い…………やだ…………。も……う…………ころ……し…………たく…………な……い…………』



 それぞれの主張を口にした後、八雲さん──月宮伊吹はのけ反るようにして絶叫する。



 それに呼応した形で、活動を停止していた筐が再び動き出す。



 八雲さん──月宮伊吹は叫び続ける。



 内部では激しい闘いが繰り広げられていることだろう。



 再び、八雲さんの体から黒い影が出始める。



 先程と同じように、黒い影は少しずつ剥がれていく。



 あと少し──!



 お願い、うまくいって──!



 私は沙雪さんの頭蓋を抱きしめて祈る。



 そしてついに、その悲願は達成された。



 黒い影──月宮伊吹は完全に八雲さんから分離し、渦を巻くようにして魔封じの筐へと吸い込まれていく。



 やがて、この世のものとは思えないほどおぞましい悲鳴をあげて、月宮伊吹は魔封じの筐に封じられた。



 本能が蓋を閉めろと警告する。



 私はその場に沙雪さんの頭蓋を静かに置き、慌てて筐に駆け寄ると、傍に転がっている蓋を取り、しっかりと蓋をした。



 これでようやく終わったんだ……。



 安堵に全身が包まれる。


 視界の端に白いものが映った。
 ──八雲さんだ。

 その姿は、月宮伊吹から解放されたことで、生前の──本来のものだ。
 彼は、初めて目にしたと言いたげな表情で、自分の両掌を見つめている。



『御前様……!』



 女性の声が響いた。
 声がした方を注目すると、そこには、あの黒地に牡丹柄の着物を着た沙雪さんの姿があった。


『沙雪……』


 八雲さんは優しげに微笑む。


『僕は、ずっと君を──……』


 沙雪さんの元へ歩を進める八雲さんだが、途端に沙雪さんの表情はかげり、八雲さんに背を向けてしまった。



『…………私は兄様に──月宮伊吹に純潔を踏みにじられました。私は穢れています。それでも、御前様の傍にいる資格があるのでしょうか?』



 沙雪さんの告白を聞いて、八雲さんの悲しげな色をたたえた清らかな瞳が伏せられた。


 しかし、迷うことなく沙雪さんの元へ歩み、



『可哀想に。辛い思いをしたんだね……』



 背後からそっと包むように、彼女を抱きしめた。



『君は穢れてなどいない』



 沙雪さんは八雲さんに向き直り瞠目する。
 八雲さんは改めて沙雪さんを抱きしめた。
 沙雪さんは泣きながらそれに応え、八雲さんを抱きしめて返した。



 本当によかった……。



 長い間離れ離れになっていた2人の再会。感動で涙腺が緩んでしまう。



 八雲さんと沙雪さんはこちらを見て微笑んだ。


 そして、2人はゆっくりと消えていった……。


 そうだ、美伽と真人さんは!?


「2人とも、しっかり!」


 交互に体を揺する。


 そこを、大きな地震が襲う。


「きゃああぁッ!」


 そこかしこに作られていた頭蓋の小山が次々と崩壊していく。
 揺れが激しく、まともに身動きがとれなくなってしまった。


 この騒ぎの中でも、美伽と真人さんは目を覚まさない。


 そんな、まさか──!?


 確かめようと手を伸ばそうとする。


 すると、私と2人の間を、輝く球体が高速で駆けた。
 驚き、私は伸ばしていた手を引っ込める。


「な、なんなのこれ……!」


 いつの間にか、輝く球体に囲まれていた。
 それらは先程の球体同様に、高速で辺りを飛び交っている。
 軌道が光の緒を作るため、まるで人魂のように見える。


 いや、実際そうなんだろう。
 この球体達は、この地に縛り付けられていた魂なんだ。


 月宮伊吹が封じられたことにより、その呪縛は解けた。
 自由を取り戻した魂達は、死後の世界へと旅立とうとしているのかもしれない。


 揺れはますます激しくなる。
 もしかするとこの地震は、魂達が引き起こしているのかもしれない。
 大勢の閉じ込められていた魂が、一斉に動き出した──その膨大なエネルギーによるものではないだろうか。


 後方で落盤が起きた。


 ここに留まっていたら、いずれ落盤の下敷きにされるかもしれない。


 冗談じゃない! ようやく終わったっていうのに……!


 なんとかしなきゃ、と強く思うものの体が思うように動かない。



 その時、すぐ横で天井が落ちてきた。



 その轟音が、私の意識を根こそぎ奪ってしまった──……。
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