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52 新しい日常
しおりを挟む大広間の中央で、マーシアは、ひとつ深く息を吸い込んだ。
間抜けな魔王の起こした茶番劇の幕引きもまた、茶番劇なのだと、心の中で皮肉る。
国王にとっても、城の中のどのような人物にとっても、フリーシャは所詮ただの使い捨ての姫に過ぎない。しかし、マーシアは、重要な駒になりうる。
それでいいのだと、フリーシャは笑った。
納得はいかないが、それでフリーシャの望むとおり丸く収まるのだからしかたがない。何より、マーシア自身、今は、何をおいても得たい物があった。そのための手段は選ばない。
マーシアは、隣にいる青年を見上げた。
精悍な顔立ち、銀髪に優しく彼女を見つめる赤い瞳の青年が、小さくうなずいた。
フリーシャは、魔王のもとへとと旅立ち、そして彼のもとにとどまる事を決めた。ならば私も旅立とう、と、マーシアは決意する。望む道を見つけたのだから。それを得るために。
新たな茶番劇の始まりであり、先の茶番の幕引きを。
「お父様、ただいま戻りました。このたびの顛末、私と、私を救って下さったマージナルの第一王子ナイジェル様が説明させて頂きます」
フリーシャは、遠く、山の向こうを眺めた。眼下に広がるのは、遠くまで続く山々。
フリーシャがその向こう側でいとなまれる生活に戻る事はない。
それでいいと思った。
フリーシャは自分を抱きしめる腕に触れると、きゅっと手に力を込めた。
向こうには、一握りの大切な人がいる。けれど、ここには、ずっと求め続けてきた私の黒騎士がいる。比べるつもりはない。あそこにあの城にフリーシャの居場所などはじめからなかった。彼のいる場所がフリーシャの生きていく場所だった。
背中からフリーシャを包み込むようにして抱きしめる彼女の黒騎士を仰ぎ見る。何度見ても綺麗な顔だと思った。
黒い瞳は夜の闇の安らぎを思わせた。
手を伸ばしてその頬に触れると、どこか表情が柔らかくなったように見え、こんな顔も出来るんだと、フリーシャは記憶にはなかった彼の表情を見られたことに胸が高鳴る。
今、ここにいるのは二人だけだった。
マーシアも白竜の王子も行った。
否、もう、白竜ではない。マージナルの第一王子ナイジェルに戻ったのだから。
彼は、本当にフリーシャの幸運だった。出会った時から、そして今も。
彼がいたおかげで今回の筋書きができあがったのに、最後まで「助けに来たのはフリーシャであって、私ではない」と、今回の筋書きを嫌がっていた。
フリーシャより年上なのに、フリーシャよりも真っ直ぐな王子。そんなところも、やはり思い出しては、好ましく思うのだ。
魔王に触れながら、王子を思ってくすりと笑う。
「何を笑っている」
柔らかだった魔王の表情が不快そうにゆがんだ。
「ただの思い出し笑い」
気付かずにクスクス笑うフリーシャに魔王は一つ息を吐いた。
「気に入らぬ」
ぼそりとつぶやいた声は、フリーシャには届かなかった。
「え?」
聞き返したフリーシャを、魔王がのぞき込むようにその瞳をとらえた。
「誰のことを考えている?」
その瞳に魅入られて、フリーシャの心臓が大きくはねる。何度見ても、慣れないかもしれない、と、思った。けれど、その表情はどこか不機嫌に見える。
「え、誰って……」
何となく、名前を挙げると良くないような気がした。いじめ抜かれた城での生活で磨き上げた危機回避能力は伊達ではない。
「く……黒い、騎士様、の、事……?」
首をかしげながら不自然な疑問系で答えると、眉をひそめた魔王が疑わしげに見つめてくる。
見つめられながら、ふと、その瞳に自分が映っているのを見つけ、出会ってから何度も噛み締めた想いを、再びゆっくりと味わう。
ここにいるのは、ずっと求めていた黒騎士なんだと。
改めて思う度にこみ上げてくる幸福感。
それを思うと、自然と顔がゆるんでしまう。
不快そうな表情を見ながら、フリーシャは幸せを噛み締めて笑いかけた。
「大好き」
私の黒騎士。
好きの気持ちがいっぱいになってあふれそう。
フリーシャはありったけの思いを口にする。体を反転させて、自分を包むように抱きしめる黒騎士を、力一杯抱きしめる。存在を確かめられる幸せに胸がいっぱいになる。
魔王は、人間に関心がないだろうと思っていたことをふと思い出す。
けれど、その認識は、少しだけ、ほんの少しだけ、改めようと思う。
魔王は、私にだけは、関心を持ってくれているのだから。
彼の背に腕を回して、体いっぱいでその存在を感じる。そうするとさっきよりもずっと幸せが胸一杯にあふれる。それが苦しいほどの痛みとなって体を突き抜けて、フリーシャはほぅっと息を吐いた。
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