闇夜に灯る、彼方の灯火

真麻一花

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 夕暮れ時に、砂浜を踏みしめる音が小さく響く。
 サクサクと音を立てて、波打ち際に向けて足跡が刻まれた。
 青年は足を止めて、夕焼けに染まった海をまぶしそうに眺めた。

 年に一度はこうしてここに来る。最後に親友と別れた、この海に。

 あれはもう、十年以上も前の話になる。
 サクリと、音を立ててまた一歩を踏み出し、青年は波打ち際に近づきながら、キラキラと赤い光を反射する海を、眼を細めて見つめる。
 十年も前のことになると、ずいぶん記憶はあやふやになっていた。

 あれが夢だったのか現実だったのか、それすらも、もう今となっては不確かなのだ。

 思い起こせば、それは夢と現実の合間のような、短くてどうしようもなく曖昧な邂逅であった。
 あの日、青年の身に起こったことは、あまりにも非現実的すぎたのだ。

 思い出して、青年は苦笑する。
 今なら、わかる。あんなバカげたことを言った自分を、どうして大人達が誰も嘘だと言わず黙って聞いてくれたのか。

 本気にしたわけではないだろう、と青年は思う。ただ、自分の気持ちを思いやってくれたのだ。
 そして、親友の両親には、そこまで自分の息子を思ってくれてたことへの感謝もあったのかもしれないし、それが本当であって欲しいという願いもあったのかもしれない。

 青年は、苦く、あの時のことを思い返す。
 死んだ息子と、生き残ったその友人。複雑な気持ちはあったのだろうが、それでも彼らは許してくれた。

 とにかく、あの時、否定はされなかったが、本気にした人もいなかっただろう。
 もし、今の自分があの場にいれば、彼らと同じ反応をしたかもしれない。
 感慨にふけりながら、青年はふと思う。

 確かに、あれは夢だったのかもしれない、と。

 時が経てば経つほどに、あの出来事は現実味を失っていくのだ。
 今となってはこうして思い出すことさえも少なくなった。
 あやふやな記憶の中、全てがこうして過去のことになっていくのか、と寂しく思うこともある。

 けれど青年は、少し楽しげに微笑む。
 夢だったのではと思う反面、今でも耳に残る、確かな記憶もまた存在していた。

 『約束な』

 そう言って交わした、最後の言葉。
 交わした声も、触れた感触も、目を閉じれば鮮明によみがえる

 あの日あの約束だけは、十年が過ぎた今もなお、こんなにも鮮やかだ。

 何が現実で、何が現実でないのか。そんなことはどうでもいいことだと青年は思う。
 自分は確かに約束をした。
 それが、自分にとっての真実。

 それが夢でも、たとえ現実味を失っても、それが自分にとっての真実である限り、あの日の出来事を信じ続けるだろう。
 交わした約束は、今も胸の中に残っている。幼い頃の約束があの日果たされたように、あの日交わした約束もまた、いつか果たされるだろう。
 自分が信じている限り、必ず。
 そう、信じている。
 目に見えることだけが真実とは思わない。そういうことがあってもいいんじゃないかと青年は思う。

 あいつが迎えに来たら、なんて言おうか。

 青年は楽しげに表情をゆるませて想像する。

「こんなに年をくったよ」
 そう言うと、あいつはいつもの顔で微笑むかもしれない。
 そしたら、俺も笑って言おう。
「約束、忘れていなかっただろう」
 と。

 じいさんになったとき、あいつが迎えに来る。

 他人が言えば、笑ってしまいそうな、そんなバカげたこと。
 そう、誰も信じなくてもいい。それは自分だけが知っていればいいこと。
 それがあの日交わした二人だけの、真実。
 



 あの日と変わらない海が目の前にある。寄せては返す波の音がひどく懐かしいものに感じた。
 青年は懐かしさをかみしめて、海に背を向けた。
 ふと、堤防の上に、たばこを吸いながら自分を見ている人物がいることに気付く。

「よう」

 青年が彼に気付くと、その男はひらひらと手を振った。

 柏木?

 めずらしいその友人がいることに、青年はわずかに驚く。
 帰ってくるなんて、聞いてないぞ。
 大学に進学して以来、ほとんどこの町に帰ってくることのなかった友人だ。それでも切れそうで切れないまま、何故かつきあいは続いており、今でもときどき連絡を取る。

 けれど、今回の帰郷は全く聞かされてなかった。
 その事を、「友達がいのないヤツだ」と、うれしさを滲ませてつぶやく。
 今でもまともに連絡を取る中学時代の友達は、友昭とこいつぐらいだな。
 青年は笑みを深くすると、歩みを早め堤防を軽くこえた。
 驚きながらも、再会は嬉しいものだった。

「久しぶりだな、いつ帰ってきた?」

 青年は久しぶりに会えた友人に声を掛ける。

「さっき」

 友人はそう言って目を細めると、携帯灰皿に吸いかけのたばこを押しつける。
 そういう事を気にしそうにないのに、変なところで相変わらず律儀なヤツだ、と友人の行動に、青年は小さく笑った。

「今日、あいつの命日だよ」

 青年が言うと、友人は小さくうなずいた。

「今、墓参り行ってきた」

 青年は微笑む。

「どうしたんだ、突然に」

 特に大型連休でもない日の帰郷に、青年が不思議そうに尋ねると、友人はわずかに目を細めた。

「ガキができたんで、それの報告」
「へえ、おめでとう」

 何でもないようなことのように言ったその言葉に、青年は少し目を丸くして祝いの言葉を返した。
 ちなみにこの友人が結婚したなどと言う話は、聞いたことがない。

「……めでたいんだかねぇ」

 笑いながら彼は呟いた。

「わざわざ報告に帰ってくるぐらいなんだから、めでたいんだろ」

 友人の照れ隠しに気付いて青年はにやにやと笑いながらからかう。

「……かもね」

 少し嬉しそうにも見える微笑みを浮かべ、友人はうなずいた。

「近いうちに式を挙げると思うけど、おまえもくるか?」
「なに、その薄情な誘い方」

 笑いながら何を話すでもなく、そのままぶらぶらと歩く。
 そんな沈黙が心地よかった。

「……行くか?」

 青年がにやっと笑って飲みに誘う。

「いいな」

 友人は小さく笑ってうなずいた。

 
 お前のことを思い出しながら、新しい命の誕生を祝って飲むのも、悪くない。
 淘汰は、歩きながらそう思った。


 

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