茜色の空に消えろ

虫とるず

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第二話

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 伯方高校では屋上での昼食が許可されており、入学し、少しずつ学校に慣れて来出した時期には、かなりの生徒が屋上で昼食を取っていたのだが、今はわざわざ移動するのがめんどくさくなったのか、ほとんど人はいない。しかしそんな中でも僕達四人だけは呆れるくらいに毎日屋上で昼食を取っているのだ。
 四階にある文芸部の部室の向こうには屋上へ続く短い階段があり、その先には頑丈な鉄の扉が構えている。ところどころサビで茶色く侵食していて、かなり年期の入っていそうな扉である。
 僕は見慣れたその扉を躊躇なく開けると乾いた風が容赦なく僕達三人を襲った。
その風の程よい冷たさが心地よく、連れてきた秋の匂いにセンチメンタルな気分になってしまい、僕は一人で苦笑してしまうところだったが、どうやら後ろにいる女子二人もその気持ちは同じようで、目を見開いて秋を感じていた。
 屋上には誰一人おらず、隅にある葉やらゴミのせいで殺伐とした雰囲気をただ寄せていた。
 すると、背後にグランドコロッケを二つ片手に持ちもう片方には焼きそばパンやサンドイッチを持った剛林が来た、
「最近誰も屋上で飯食ってねーのな、こんなに眺めがいいのに」
 確かに眺めは綺麗なのだ。博多町の景観のいい街並みが一望でき、その奥に聳え立つ山々が日の光に照らされて、峰々が露わになっている。その光景は百万ドルの夜景ならぬ一億ドルの昼模様なのだ。
「気温が下がってきたからじゃない?」
 竹崎が入り口のすぐ横の特等席に座りながら呟いた。入り口の横側は盛り上がっていて座ったままでも景色を一望できるのだ。
「確かに意外と寒いかも…あと少し汚いし」
 怪訝そうな顔をしながら藤村も竹崎の横に座る。すると、僕と剛林は互いに顔を合わし、苦笑いしたあとで、座った。

 僕は淡々と自作弁当を食べている。ああ、少し塩が効きすぎているな、これはまだ中が焼けてないんじゃないか、少しだけ肌寒いかも、などと考えながら箸を口に持っていく。無言なのは僕だけじゃなく他の三人も同様で、一心に昼食を食べている。大体面白い話題がないときは、いつもこんな感じなのだ。喋ることよりも今は、エネルギー補給することが優先だ、と思っているのではないだろうか。
 すると、やはり剛林が笛を鳴らす。しかし、その合図は予想だにしない言葉で、おそらく本人も口にしようとしたわけではないのだろう。考えていたことがついつい口に出てしまったのだ。
「恋ってなんなんだろうな」
「は?」
 竹崎が一番に反応した。続いて藤村も、驚愕した表情になっている。
「き、気持ち悪。あんたまさか恋してるの?誰に?」
「し、してねーよ。…わかんねーし」
 何故か剛林は動揺して、グランドコロッケにかぶりつく。藤村は横目で、なんとも言い難い双眸がむき出しになっている。そんな中、僕は知らないふりをしていた。しかしそれは竹崎によって阻止された。
「…しゅ、駿君は、その…恋、とかしたことあるの?」
 僕は手を止めた。
__恋をしたことがある? 
 あるのだろうか。こんな僕にも恋をすることができるのだろうか。というより、僕も剛林と同様に恋を知らないのではないか。だけど、何故か僕の脳の片隅の片隅が針で刺されたような痛みが生じるのは、やはり恋について無関心ではないのだ。だが、今の段階で考えられる結論を述べるのであれば__
「…多分、ないんじゃないかな。僕にはそういうの」
 俯いて呟くと、秋の匂いが別の何かに変わった気がした。
 ふと、竹崎を見ると、頬が桃のように染まっていて、動きが止まっていた。そして、僕が見ていたことに気づいたのか慌てて
「そ、そっか。そうだよね」
 と語尾にほとんど覇気がなかった。
「…そうなんだ」
 そしてそっとため息をつくかのような竹崎の微微たる呟きを剛林だけが察知し、彼は屋上の片隅に集まった色が掠れた葉を見つめた。
 なんとなく空気感が変わり、静寂が齎す外界の異様な騒音を感じた。お箸が弁当箱の底にコツンと当たる音でさえ、うるさく感じる程だった。
「そういえばさ…」
 そんな中、ふと僕は昨日あった出来事について話そうと思った。竹崎が恋についての話題を出し、僕はそれについて考えていた。しかし、何故だがそのことで頭をよぎったのは、昨日本屋で出会った黒髪の少女の事だったのだ。僕は瞬時に三人の視線を感じた。
「昨日、本屋に行ったんだけど、その時黒い長髪の女の子にあったんだ。だけど、なんていうか、雰囲気が変わってて…近寄り難いというか、近付けない、というか」
 まるで、どこかのお偉いお嬢さんみたいだった。確かにスタイルもルックスも良かったが、そうじゃない、何かがあった。
「…神々しい?ていうか、なんか普通の人じゃなかった」
「有名人か?読モとか」
 剛林が問う。
「でも有名人なんてこんなところにいるかな?この辺りで映画の撮影をするとか聞いてないし」
 藤村は興味ありげな表情でこちらを伺った。彼女は芸能界や映画について詳しく、将来はそういう方向を目指しているのだと聞いたことがあった。
「…う~ん。でも有名人とかではないんだよな、多分。なんとも言えないんだけど」
 僕はそう言って最後に残していた卵焼きを口に運んだ。それは意外と辛くて、なんだか滑稽な味だった。
 すると大きな口に牛乳のストローを咥えた剛林はゆっくりと、躊躇しているように言った。
「それって…恋、なんじゃね?」
 視界の先で竹崎がビクッと肩を震わせたのがわかった。
「え?違うよ、話したこともないんだから」
「だから、一目惚れだよ。お前はその本屋であった女の子に魅了されたんだろ」
 確かに、していないといえば嘘になるが、恋だと言えば大袈裟だ。僕はそんな単純な、剛林みたいな男じゃない。だけど、だけれども、やはりどうしても彼女のことが気になってしまうのは、もしかしたら、僕は似合わない恋煩いにかかっているのかもしれない、なんてやはりありえない話なのだが。
__僕は人を好きになってはいけない。
 いつからか、そんな言葉が僕の脳裏を反芻するようになった。それは、自分の中にあるポリシーなのかもしれないし戒めかもしれない。だけどそれは僕にとって絶対遵守なのだ。根拠はないが、僕の体がいつも囁く__
__恋はまるで猛毒のようなものだ。しかも抗体ができないから、どうしようもなく苦しい。
「そんなわけないじゃん。駿君が誰かに一目惚れなんて、に、似合わないよ」
 思考巡りして、我を忘れていた僕を起こしてくれたのは竹崎だった。
「竹崎、それ馬鹿にしてない?」
「だって駿君たわい無いし」
 不満そうな表情を浮かべた竹崎の指摘に僕は屈託のない笑みをして同意してしまった。そうだ僕は__たわいない。どうしようもなく、呆れてしまうほどに僕は不甲斐ないのだ。そんなこと、言われなくても認識している。
 心臓の拍動が僕の腕につけた時計の秒針の速度を追い越して、時の流れを明瞭に意識させ、寂れた屋上の片隅の陰にうずくまるように鎮座していることを、僕はようやく気付いた。
 ふと、秋風が吹いた。その風が黒い髪をたなびかせる。一瞬だけど脳裏に彼女が浮かんだ。
「まるでこの状況を揶揄しているみたいだな」
 剛林が言う。
「…どんな状況?」
 その隣の藤村が悪戯な双眸で聞いた。
「…さあな。何だろうな。でも、お前はわかってるだろ藤村」
「うん。口にコロッケ付けてることぐらいはね」
 藤村はニコッと満面の笑みを浮かべた。
 な、と剛林は急いでそれを取り、そのまま口に放り込んだ。しかし、まだ口の周りについていないか入念にチェックし始めた。すると彼は僕の方を見やり、ついていないか、と自分の口を人差し指で刺した。僕は首を振ると、彼は安堵したように溜息を吐いて、ストローを咥えた。どうやら相当自身のプライドが傷ついたのかもしれない。パーフェクトなルックスを持つものは時に面倒な自尊心を持ってしまうものなのだろう。何処となく訝しげな彼の表情が滑稽で、僕は苦笑した。僕みたいな人間が、僕とは正反対のような人間と仲良くなったのは、剛林のようなイレギュラーな存在が僕にとって安らぎをもたらしてくれるからなのかもしれない。すると僕は温まる豊かなものを感じながら、話題を変えるよう促した。
「そういえば、剛林と竹崎はもうすぐ部活のインターハイがあるんだよね?」
 恋話の次は部活とは、青春を謳歌せし者の方言だ。
「うん。あと一ヶ月もないんだ」
 とっくに昼食を食べ終えた竹崎は体操座りで縮こまって、顔の半分を組んだ腕の中に埋めている。
「やっぱり練習はいつもよりキツイ?」
 部活をしていない僕にとって、竹崎の気持ちがわかるはずがないが、大事な大会がすぐ先に迫っているときは、やはりほどほどの緊張は生じるのではないだろうか。
「いいや、普通かな。大会前にきついメニューは体を故障しかねないからね」
「そうだよな」
 そして僕は、竹崎に似たような態勢でいた剛林を見やる。
「剛林も?」
 するとややあって彼は答えた。
「…まあな。でも、最近なんか気合いはいらねーんだよな」
「なんで?」
「分かってたら、んなこと言わねーよ」
 スランプ、というやつか?と僕は思った。剛林でも悩むときは悩むのだ。だから僕はこれ以上詮索しないようにした。だが、まだゆっくりとマイペースに昼食を摂っている藤村が余計な釘を刺した。
「毒に侵されてるんだよ、きっと」
 「…毒?」
 剛林は彼女の言う毒という喩えが何のことを示すのかをわかっていないようだった。剛林はなに変なこと言ってんだ、と頭を掻きながら背筋を伸ばした。しかし、僕にはその毒というものが何なのか、漠然としてわかってしまった。
 そして、今日四人の中で唯一湿り気がなかった藤村から炭掛った雲がもくもくと現れた。彼女はまるで、胃の中に溜まった不純物をゆっくりと吐くように言った。 
「私も毒に侵されているから」
 



 僕の住んでいる区域に唯一一つだけあるバス停に止まり、蛇腹式の扉が無機質な開閉音を出した。それと同時に大自然の豊潤な香りが鼻を刺し、夕を告げる自然界の号笛が幻想的に鳴る。背にはバスが街に向かって走り、あとに残った静けさにはこの上ない虚しさが突いた。
「帰りますか」
 僕は虚しさを紛らわせるために呟き、ポケットに手を入れて悠々と歩き始めた。
 家までは敷かれた道路をただ真っ直ぐに歩いていけば右方向に鎮座していて、バス停からはさほど遠くない。
 右車線を歩いていると、その向かいから基準を守ったゆったりとした速さで軽トラックが走ってきたので、僕は左車線に避けた。左車線側には中流の蒼社川があり、僕は音も立たずクールに流れるその様が好きだったので、横目で眺めた。
 その瞬間電気が走ったような感覚が全神経に伝わってきた。そしてその美しさと、幻想的さ雰囲気さが僕の双眸に焼きついた。
 僕はもう一度凝視してみた。しかしやはり幻想でなく現実だった。
 蒼社川の側にある巨大な石の上に、あの少女が立っていた。
「な……」
 僕は感嘆を漏らし、喉から嫌なものが出た。
 すると、まるで蒼社川とマッチしているような優美な少女は、そんな僕に気づいて、ゆっくりと首を動かして上を見た。そして、長く伸びた黒髪を華奢な手で耳にかけると、彼女の口角が上品に上がった。
「…久しぶり」
 彼女のその声音が、木漏れ日を浴びながら雄大な木の下で横になっている自分の姿を連想させた。しかし、ほとんどが川に吸収されて、僕の耳には音のみが聞こえ、その記号はわからなかった。
「なんて言ったんだ?」
 僕は尋ねた。
「なんでもないわ」
 今度はちゃんと聞き取ることができた。一音一音が頭の中に流れた気がした。そして、僕の彼女をもっと見たいという好奇心が無意識に体を動かし、彼女の元に降りて行った。


 



 
 
 
 
  



 
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