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第3章 夏~Summer~
第13話 雨の中のサヨナラ
しおりを挟む「あぁ~…暑っちぃ~。」
信号待ちの桧山さんが気怠そうに肩から力を抜きぼやく。
『本日の最高気温は三十五度と真夏日になるでしょう。水分補給を怠らず過ごしてください。』
ニュースキャスターがラジオ越しに残酷な予報を言い伝える。
梅雨のじめじめした暑さも嫌だが真夏日の暑さも嫌だ。
「三十五度以上なったら会社休みとかにならないかなぁ。」
子供みたいな事を言う桧山さんに隣の美沙香が少し笑った。
「美沙香ちゃん、最近よく笑う様になったな。」
「そ、そうですか?」
「なんか良いことあった?」
そう問われると美沙香がこちらをチラッと見る。
俺は気付かないふりをしてスマホに目をやる。
「い、え、特に、ない、で、す。」
ぎこちない喋り方。嘘が下手なんだなと分かりやすい。
「そっか。」
その分かりやすい嘘を直ぐに信じる人もいた。
美沙香と付き合って一週間。
会社には公にせず過ごした。
それは美沙香も了承した。
私情を持ち込んで仕事をしていると思われたくないからだ。
「さっさと終わらせてビール飲みて~。」
車の中からでも蝉の鳴き声が酷く五月蝿い。
でもなぜか、この鬱陶しい鳴き声が落ち着く…と言うか…。
「うし!さっさと終わらせよう!」
収集車が止まると同時に両サイドの二人が勢い良く降りだす。
「あ、はい。」
俺も続けて降りると猛烈な暑さが体全体を包み込むかの様に襲った。
朝の八時とは言え容赦なく夏の日射しが俺達を照らす。
車内の冷房が恋しい。
「雨でも降ってくれりゃちょっとはマシなんだけどなー。」
「それは勘弁です。雨が降ると作業に支障が-」
桧山さんと美沙香が手を動かしながら話しているのを反対側から聞いた。
(雨…か。)
もうずっと、レイの姿を見ていない。
梅雨の季節は過ぎ去り、夏がやってきた。
夏の訪れと共に、あいつは居なくなったのだろうか。
感傷に浸っているかの様な自分にハッとした。
俺には美沙香がいる。
なのに別の女性の事を考えているだなんて。
でも、そうじゃない。
レイはそう言う対象とは違う、もっと別の何か。
友達?家族?仲間?
どれも当てはまる様で当てはまらない、喉に何か閊えた気分だ。
「ひやぁ!」
美沙香の悲鳴で我に返った。
「どうしたっ?」
慌てて後ろを振り返る。
「す、すまない。これが。」
指を指した方を見ると蝉の脱け殻が転がっていた。
「あぁ、なんだ。」
思わず溜め息が出た。
それを拾い上げ脱け殻をじっと見る。
「よ、よく触れるな。」
「脱け殻だろ、動きゃしない。」
「そうだが…私は無理だ。」
「ま、苦手な人も多いわな。」
妙に切なく感じるのは何故だろう?
この幼虫は長い年月をかけて、外に出て
短い寿命の中、必死に鳴いて朽ちていく。
こんなに残酷な事、他にあるだろうか。
「晴?大丈夫か?」
「あ、あぁ。大丈夫大丈夫。」
脱け殻を隅に置き作業に戻る。
「本当か?水、しっかり摂れよ?」
「大丈夫だって。そっちこそバテるなよ。」
なにしてんのかな?レイの奴。
少し肌寒く、肩に力が入る。
着る服を誤ったか両手で腕を擦っている。
前方にコンビニだろうか、俺はそちらに向かって歩いている。
すると四人ぐらいの男達が軟派でもしているのだろうか。
屯って一人の女の子と話している。
女の子は明らかに困惑している。
その姿に眉間に皺が寄った。
だがどう声を掛けよう。
場合によっては余計に不安を煽ってしまうかもしれない。
「-ちゃん、ご飯食べた?俺らと一緒に食いに行こ。」
軟派野郎の一人が絡んでる女の子の名前だろうか。
そう呼んだ。
外から雷鳴が鳴り出したと分かった途端に目が覚めた。
地鳴りの様な小さい音から徐々に大きくなってきている。
何かに引っ張られるかの様に上半身を起こす。
今見てた夢に異常な思いが募る。
なんだ?何故こんなに胸が張り裂けそうなんだ。
動機も激しく息遣いも荒い。
怖い夢とかじゃ無かったはず。なのに何故こんなに体が、心が苦しいんだ。
その刹那、カーテン越しに光と、再び雷が鈍く響き渡った。
雨が…雨が降ってくる。
落ち着かせるついでにカーテンを開け天気も確認するがまだ降ってきていない。
(俺は何を期待しているんだろ。)
階段を降りキッチンに向かうと親父と母親がテレビを見ていた。
「あら、起きたの?」
「うん。」
「何か食べる?」
「いや、いい。」
冷蔵庫を開けミネラルウォーターを飲む。
少し落ち着いたか文字通り一息ついた。
「洗濯物。」
親父がぶっきらぼうに母親に言った。
「入れましたよ。」
「そうか。」
味気無い会話に嫌気が差したのか俺はまだ半分残っているミネラルウォーターを一気飲みした。
だが飲みきれずペットボトルを持って部屋に戻る事にした。
いつもならあんな風景、なんとも思わないはずなのに最近やたら癪に触る。
部屋の扉を開け、そのまま窓も開けてみる。
夜でも若干暑さが残っている空気を感じた。
部屋の時計を確認すると午後九時過ぎ。
床に着いてから三時間程しか経っていなかった。
いつもなら疲れて九時間ぐらい爆睡しているはずなのに。
ここ最近、不定期だが妙な夢を見る様になってからと言うものの熟睡出来ていない。
(確か…。)
まだ梅雨が始まった頃、もう二ヶ月程前になる。
レイと出会ってからだ。
同じタイミングで美沙香とも出会った。
あの時は両者とも何も想わなかったはずなのに今は…。
すると空に閃光が走った。
直後に雷の轟音が鳴り響き、その拍子に思わず肩がピクッと跳ね上がった。
「お、落ちた?」
周辺を確認しようと軽く身を窓の外に出す。
すると旋毛に一雫が落ちる感触を覚えた。
次第に屋根から伝わる音。
雨だ、雨が降ってきたのだ。
俺は自室に目を移すと…
そこに居た。
「こ、こんばんわ~。」
いつ振りだろうか。
暗くて良く確認出来ないが、そこにどこかぎこちない雰囲気のレイの姿が。
「あ、あぁ。」
とりあえず灯りを着けようとリモコンを押す。
起動音が鳴るや否や「いや!点けないで!!」と激しく拒むレイ。
「え?」
だが既に灯りは部屋に光を広げる。
よく見えなかったレイに目をやると…。
「お、おいおい…。」
持っていたペットボトルが手から落ちた。
体の一部…なんてもんじゃない。
あちらこちらに穴が空いた様にレイの姿は消えて失くなっていたのだった。
「な、なんでだっ?どうしてそんな…。」
「分からない…分からないよ。」
力無く下を俯く姿に心が痛んだ。
以前からおかしいと思ってたんだ。
手先から少しだけ消えかかっていたのを。
何故もっと真摯に考えなかったんだろう。
「私、消えるのかな?。」
消える…それはつまり。
「いやっ、そんなことあるかって!大丈夫だよ!」
何も確証無いが、とりあえず宥める様に俺は熊の縫い包みを手に取りレイに見せた。
「ほら、コイツも言ってるぞ、多分。」
レイは俯いた顔を少し上げ縫い包みを見る。
「はる…っ君。」
一瞬、ほんの一瞬だ。
俺の名前を呼んだはず。なのに違和感を覚えた。
あまりにもぎこちないを通り過ぎて様子がおかしい。
無理も無い。こんな姿になっているのだから。
「ゴメンね、私…。」
再び顔を俯かせてしまう。
「元気だせよ?その…原因分からないけどさ。落ち着いて考えよう。な?」
まるで園児をあやす様に熊の縫い包みも同時に動かす。
「急に現れて、急に居なくなって本当にごめんなさい。」
改まった口調、らしくない。
「色んな場所に連れて行ってくれて、本当にありがとう。」
なんだ、凄く不安になっていく。気付けば汗をかいていた。
「今更なんだよ?」
「私はやっぱり"ここ"に居たら駄目なんだよ。」
「え?どう言う-」
どう言う意味だと訊こうとした瞬間にレイは踵を返した。
「バイバイ、晴君。」
レイは逃げる様に部屋から飛び出て行った。
理解出来ず固まってしまった。
開けっ放しだった扉が徐々に閉じられていく。
外から激しい雨音と同時に部屋の温度が下がっていくみたいに感じた。
「あ!レ、レイ!!」
我に返り急いで後を追うことに。
「お前さっきから…うわっ!」
すれ違った兄貴を撥ね飛ばす勢いで階段を降りた。
「ちょっとなに?」
リビングから母親の声も聞こえたが無視して靴も履かず外に飛び出した。
バケツをひっくり返したかの様な豪雨だった。
「レイ!!待ってくれ!!」
少し先に姿が見え必死に追いかける。
このままじゃ…このままじゃもう会えなくなりそうな気がして、脚が絡みそうなぐらいに走った。
「待ってって!!」
あんなに速かったのかと思うくらい追い付けない。
周りの人は恐らく俺の事を白い目で見ているだろう、傘越しでも分かる。
それでも何度も止まる様に言い続け走った。
「うわっ!っと!」
案の定、脚が絡み前から転びそうになったが両手で凌いだ。
直ぐに体勢を切り替え土砂降りの中また走る。
しかし距離は縮まらない。
レイは何度かこちらを振り返る度に俺は叫んだ。
「待って!なんで逃げんだよ!!」
その制止を振り切り再び走る。
すると先にある踏切が鳴り出した。
まずい…このままじゃと思っているのもつかの間。
無情にも遮断桿が降りてしまう。
レイは遮断桿をすり抜け対角線に止まった。
「くそ!」
周りの目もあり遮断桿を潜り抜ける事も出来ず開くのを待っていると…。
レイはなんとも言えない表情で軽く手を振った。
(なんだよ…そんな顔見たくないっ。俺は-)
すると凄まじい勢いで電車が通り過ぎた。
飛沫が飛びかかり顔を顰める。
警報音が止み、遮断桿が上がると既にレイの姿は居なかった。
「え?何かの撮影?」
「アイツ頭イッてんじゃない?」
「怖い怖いー。」
周りの雑音が聞こえてくる中、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちてしまった。
「お前って…本当に迷惑だよ。」
また居なくなるのか、急に。
やりきれない思いが沸々と湧き上がってくる。
「まただ…。」
自分でも何を言っているか理解出来なかった。
が、心の中からそう思い気付けばそう口にしていた。
「…。」
鈍い痛みが両手に走り確認してみると皮が捲れ赤くなっている。
雨に混じった血が手首へと滴れ落ちていく。
頬にも雨が滴れ落ちた。
目柱が熱い、泣いているのかと自覚した。
「俺、なにしてんだ。」
冷静になってみる。
自分には美沙香と言う大切な彼女がいる。
なのに違う女性…剰え相手は幽霊だぞ。
(馬鹿馬鹿しい…。)
ゆっくりと膝を立ち上げる。
今まで何に振り回されていたんだと開き直る。
ようやく意味の分からない謎の現状から解放されるんだと思いながら家に向かう。
未だに激しく降り続ける雨に向けて呟いた。
「雨はやっぱり、嫌いだな。」
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