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三章 総統閣下の無くしもの

6 「離さなかったからな」

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***


「ん……」

 目を覚ますと豪華な天井が目に入る。
 照明は日本製だが壁紙が海外の高いやつだ。

「ホテル……? ちょっと高めの……」
「起きたか」
「!?」

 夢うつつを揺蕩っていると至近距離からレインの声がして跳ね起きた。
 俺が寝ていたベッドの横で、椅子に座り優雅に英字新聞を広げるレインがいる。

 あまりにも画になりすぎて天使か何かかと思った。もしくは夢かと。
 しかし、徐々に頭が冴えていくにつれ現実だと思い出す。

「そうだ、俺、確か倒れて――?」
「ああ」
「レイン……様、が、俺をここまで?」
「離さなかったからな」

 レインが指先で俺の右手をつついた。
 なんだろうと目をやれば、レインの上着をしっかりと握り締めている。
 ずっと握っていたのか手がすっかり固まってしまっていた。

「わ……!? ごめ、じゃなかった、申し訳ありません……!」
「……敬語はいらない。敬称もだ」
「ええ……? 俺たちって初対面、ですよね……?」
「……そうだな」

 なんだかレインの表情がどんどん険しくなっていくから何を不快に感じたのかと思えば、俺の言葉遣いだったらしい。

(うーん、既視感あるなあこのやり取り……。俺との記憶は失ってるみたいなのに……もしかして、この顔がレインの好みなのかな……?)

 レインと『悪の組織』ビル屋上で2年ぶりの再会を果たした時も、敬称は抜きにして話すよう言われた。
 今回はそれに加えて敬語もとは。
 動く方の手で思わず自分の顔をぺたぺた触る。

 レインは他人にあまり興味がないはずだ。
 良くも悪くも絡まれるせいで避けていると言ってもいい。

 それなのにどうも、この体相手には打ち解けるのが早いようでもやもやする。

(取り立てて特徴のない顔のはずなんだけどな)

 改造人間の元になったDNAにでも興味があるのかと考えたが、改造の過程で別人として育った肉体は似ても似つかない。
 720号と719号が並んで歩いていても兄弟と思われることすら無いだろう。

「顔が痛むのか?」
「い、いえ……そういうわけじゃないで、ええと……そういうわけじゃない、よ……」

 レインが俺に優しい理由を考えていました――なんて言えるはずもなく曖昧に濁した。
 すると眉間に皺を寄せるものだから、誤魔化し方が雑だったかと狼狽えれば口調のことだったらしい。
 言い直すと頷き、未だに手を離さない俺を片腕に抱えて立ち上がった。

「うわっ……待って、俺、離すから……」
「そのままでいい」

 レインはツインの寝室を横切り、冷蔵庫から水を取り出すと片手で器用に蓋を開けて俺に差し出す。
 ベスの卵以来何も口に入れていなかったから喉はカラカラだった。
 ありがたく飲みながら、どうしてこうなったのかとレインと会った時のことを思い出していく。

(――まさか、レインがいるとは思わなかった)

 体調は相変わらず最悪だったが家に一人でいると孤独に押しつぶされそうで、少しでも人と一緒にいたくて街に出た。
 街はいつもと変わらず、だから少し奇妙で。
 注意深く見ていると、駅員が全く同じルートを歩き続けていたり、親子が全く同じ話を繰り返していたり。
 洗脳が馴染んできたのか虚ろな目こそなりを潜めていたが、奇妙に繰り返される日常があった。

 渋谷駅まで来たのは無意識だ。
 ついた時には自嘲した。
 かつてハチ公像の見える茂みでレインが俺を見つけたから、期待したのだ。

 レインは今間違いなく俺との日々を忘れている。
 記憶を消されたか、悪者として置き換えられたかまではわからない。
 とにかく、今のレインが阿僧祇刹那を探すはずはない。

 それなのにレインの気配を無意識に探しこんなところまで来てしまった――と茂みの傍に座り込んだ時、信じられないものが目に入った。

 夜の人工的な光にも美しく輝く金髪。
 人の中にあって頭ひとつ抜けた長身と、多くの人を魅了する威容。
 『悪の組織』総統、レイン・ヒュプノス。

「レイ……っと、やべっ」

 口の中で、誰にも聞こえないくらい小さな声で名を囁やこうとしただけなのに、何の偶然かレインが俺の方を向いた。
 咄嗟に顔を背け誤魔化そうとするが、一瞬目に入ったレインの顔があまりにも辛そうに見えて。

(見間違いか? いや――)

 もう一度見たら、レインもまだこっちを向いていた。
 その顔は、間違いなく調子が悪い時のもので

(胸でも痛むのか? 頭か? ああもう、お前はすぐに隠そうとするんだから――!)

 駆け寄って、愛しい子の顔をよく覗き込んだ。
 辛いのに、それを隠している時の顔をしている。
 体調が悪いのか、何か辛いことでもあったのか。

「ずいぶん辛そうだけど大丈夫か!?」
「……? あ、ああ」
「本当か!? 念の為病院行った方が……この時間なら確か、あっちの病院なら受付を」
「大丈夫だ。――お前の方が顔色が悪い」

 小さなレインを連れ回すにあたって、夜間や飛び込みでも受け入れてくれる病院はいくつか暗記していた。
 幸いなことに今でも覚えていたから連れて行こうとタクシーを探せば、腕を掴んで引き止められる。

「俺? 俺のことは別にいいだろ今は。それよりレインが」
「阿摩羅みたいなことを言うな」
「……阿摩羅?」
「俺の、育ての親だ」
「えっ……あ、ああ……なるほど……」

 なぜ今阿摩羅の名前が出るのかと思えば、どうやら阿摩羅はレインには特別な洗脳をかけているらしい。
 阿僧祇刹那不可思議阿摩羅自分に置き換えたのだろう。
 阿摩羅がレインを拾い、育てたことになっているようだ。

(……どうしてそんなことを。趣味が悪いな……)

 レインが洗脳を受けていることなんてわかっていたのに、思いの外ショックを受けている自分がいた。
 レインと共に過ごした13年間は、俺にとってかけがえの無い大切なものだ。

 阿摩羅は俺を大罪人と呼んでいた。
 俺は阿摩羅に、過去すら奪われるほど憎まれているというのか。

「……い、おい、聞こえているか」
「――あっ! ごめん、考えごとしてて。何?」
「お前の名は何かと聞いた」
「そりゃ、せつ……じゃなくて、えーっと」

 さすがに刹那と言うわけにはいかない。
 何か偽名を名乗らなければ。

(えーっと、ハチ公……はさすがに駄目か。えーっと、えーっと……)

 必死に考えを巡らせるが、なぜか平気そうになってきたレインに反して俺の体調は最悪になっていた。
 焦ったり走ったりしたのがよくなかったのだろう。

 しかし名乗らないのもおかしい。その時、咄嗟に頭に浮かぶ名前があった。

「ポチ!」
「……それは冗談か?」
「いや、ほら、源氏名みたいなもので……」

 冗談も何もかつてお前が、本名を名乗れない俺のことを勝手にそう呼んだんだよ!と言いたい。
 あれはレインなりの冗談だったのか。

「源氏名?」
「そ、そう。俺、この辺の店で働いていて……」

 とりあえず適当に適当を重ねて誤魔化す。
 なんだかまずいことを言っているなあという自覚はあった。

 貧相な体に見合っていない高級な服に、まともとは言い難い源氏名。
 近くには繁華街があり、様々な呼び込みが行われている。

 服は客からのプレゼントで、俺は春か何かを売っている――そう誤解されてもおかしくはない。
 しかしまあ、レインと関わるのはこれきりだろうし構わないだろうと、嘘を重ねた。

「じゃあ俺、そろそろ行くから……もしまた体調悪くなったらすぐ病院に、うわっ!?」

 離れようとすればなぜか引き寄せられ息が止まる。
 そして。

「――っ!」

 レインに、キスをされていた。


 ――俺の記憶はここまでだ。
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