優しく咲く春〜先生とわたし〜

おにぎりマーケット

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それぞれの午後7時

屋上にて

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side:優


珍しく何事もなく、19時に仕事を終えていた。
しかし、家に帰る途中に、倒れている少女を見つけ、再び病院へ。その子は今日、学校で健康診断をしたばかりの、春斗のクラスの女子生徒……白河咲、だった。
児童相談所の保護が間に合わず、負傷してしまった様だった。
病院へ搬送。緊急手術を終えて、彼女は一命を取り留め、今に至る。

ほっと一息つきながら、自販機で缶コーヒーを2つ買う。
俺は病院関係者として、春斗に手術や、今後の治療について説明した。事務処理を終えて春斗の姿を探したが、病室にも待合室にも、見当たらない。

きっとここにいるんだろう。
そう思って、俺は屋上のドアに手をかけた。

春斗が医者だった頃。
落ち込む度にここにくる彼を、見つけたり待ち構えたりして、よく慰めた。
優しいくて繊細な彼だからこそ、誰よりも患者に寄り添って、傷ついていた日を思い出す。

案の定、屋上のベンチに春斗は座っていた。
月明かりに照らされ、柔らかく吹いた春の夜風に髪の毛をなびかせている。

俺が入ってくる物音に気づき、振り向くと、「お疲れ様」と笑顔を見せた。
春斗も幾分か疲れたような顔をしていた。
近づいていき、並んでベンチに座ると缶コーヒーを手渡した。

「ありがとう」

春斗は受け取るが、手の中で缶を弄ぶ。
俺は、自分の分のコーヒーを開けると、口をつけた。
コーヒーの苦味が、ゆっくりと胃に落ちて、染みていく。ひと口飲んでから、間違えて無糖を買ってしまったことに気づいたが、今は感覚的に、この苦味がちょうどいい気がした。

「……大丈夫か?」

春斗の顔を見ずに、呟くように言った。
生死を彷徨う人の場面というのは、いくら見ても慣れるものではない。その重さに耐えかねて医師を辞めた春斗には、今日の一件で相当負荷がかかっただろう。生死を彷徨っていたのは、彼の生徒だったんだから、なおさらだ。

ふっと空気が緩んで、春斗が笑った。

「大丈夫……と言いたいところだけど……流石に堪えたわ」

春斗は弄んでいたコーヒーの缶をぎゅっと握りしめて、声を震わせた。恐怖か不安か、後悔か……彼の心の中に何かがぐっと押し寄せているのがわかった。

「でも、優が白河さんを見つけてくれて、よかった。俺だったら、助けられなかったと思う」

潰れそうな声で、春斗は口にした。
きっと心からそう思っているんだろう。
でも実際そうなっていたら、春斗は全力で目の前の子どもを助けようとしていただろうし、その結果は誰にもわからない。

「あほか。現場は全部偶然だ。終わったあとに、もしもで結果を考えるのは違うだろ」

はっとしたような表情をして、春斗は俯いた。
きっと、昼間の健康診断のことも、考えてしまっていたのだろう。
俺の言った言葉は、白河咲の件だけではなかった。過去の……もう昔になってしまうような、春斗が悔やんでいることにも向けていた。

重く長い沈黙が訪れて、耐えかねたように春斗が口を開いた。

「俺……医者辞めたとき、すごくほっとしてたんだ。もう、目の前で痛々しく亡くなっていく子どもを見なくてもいいんだって。でも、どうしても子どもが好きだったから、教師になったけど……」

先を続ける前に、大きく息を吸ったのがわかった。

「今日は……心折れかけた」

春斗は苦しそうな表情を見せながらも、瞳にはしっかりブレない何かを浮かべていた。その目を見て、少し安心する。

「……折れてはないんだな」

俺がそう言うと、春斗は頷いた。

「そう、折れてはない。助かったなら、先生として、その先を絶対に繋いでやらなくちゃって。話してて思った」

泣きそうになりながら、笑う。
今まで、そんな顔を何度も見てきた。
そういう素直で真っ直ぐなところが、俺には無くて、春斗にはある。
春斗はもう、大丈夫だ。俺がそう思うのと同時に、彼もこれ以上は何も言わなかった。

最初とは、違う空気が流れている。深夜の屋上は静かな街を見下ろす。眼下に広がる灯りは少なく、その全てはすっぽりと月の光に覆われていた。

沈黙をそっと破るように、俺は言った。

「……そういえば、今日の夕食、何だったんだ?」

春斗は気が抜けたような顔をする。

「ん?カレーだよ……あぁ、もう日付変わってんのか」

時刻は深夜0時半。もう明日が来ていた。
ほっとしたら、お腹が空いていたことに気づく。そういえば、昼から何も口にしていない。

「せっかくだし、食べに帰るか」

春斗の料理はおいしい。すごく凝ったものはつくらないが、いつも安定してほっとするような味の料理を出して来てくれる。

「置いたカレーの方が美味しいって言うしね。……あ、福神漬けないよ」

「……なくても食える」

春斗がイタズラするように笑う。
いつもの調子に戻ってきたことが嬉しい。
からかうように、春斗は言った。

「大人になったね。ずっと思ってたけど、そのコーヒー、砂糖入ってないでしょ。飲んであげようか?」

「ちょっと黙れ」

俺は、口に合わない苦いコーヒー煽る。
やっぱりおいしくないなと思いつつも、悔しくて飲み切った。

「うわ、飲んだ。優はほんと、負けず嫌いっていうか」

負けず嫌いと言われるのが何となく嫌で、春斗を睨みつけた。

「春斗。口、縫合してやろうか?」

「おー、こわこわ。医者は敵に回せないね」

春斗はそう言って、笑いながら首を竦める。

屋上から降りると、もう一度だけ、白河咲の病室に2人で寄ってから、帰路に着く。

空の高いところから、月の光が優しく降り注いでいた。
明日から……いや、もう今日からのことを考えて、気持ちが重くなることもあるが、いまこの束の間は、考えても仕方がない。
春の夜、息を大きく吸い込んで、2人の家までゆっくり歩いた。
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